*「おもしろ電気通信史」の概要

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*巻頭言の原稿の一部から

はじめに 
現代の生活は「電気」「電子」「エレクトロニクス」「電気通信」や「IT(情報技術)」といった技術なしには成り立たなくなってしまっています。
こうした技術は過去1世紀半の間に急速に普及してきた技術です。
我々はいまさら、電気のなかった江戸時代に戻ることはできません。

特に通信は、人と人とのコミュニケーションに始まり、現在では地球規模での情報伝達が可能になり、インターネット全盛の時代を迎えています。
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世紀を迎え、今後もさらなる通信技術の発展や普及があるでしょう。
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世紀後半はグローバル(Global::地球規模)という用語がもてはやされましたが、21世紀はコスミカルな(Cosmical:宇宙規模)通信の時代になるかも知れません。

「温故知新」というように、過去の経緯を知って、21世紀の展望、今後の「通信」技術のあり方を考えるのも一考ではないでしょうか。
電気通信の歴史に関しては多くの成書が刊行されてきていますが、電気、電子、電気通信という分野は、理屈が先行し、難解というイメージがあり、工学系ではない分野の人にとっては、物語のように簡単に読むことはできず、かなり近づきがたいイメージがありました。

比較的新しい巨大プロジェクトを除けば、発明者は必ずしもその道の専門家であるとは限りません。
電信を発明したモールスは画家でしたし、電話の発明者ベルは盲人教育者、無線の実用化を果たしたマルコーニは富裕な家庭に生まれた無線に興味をもった若者でした。
このことは、必ずしも発明は専門知識を必要とせず、着想が肝要ということができます。

文系の人にも、工学に関する新しい発明のチャンスはあります。
ということで、本書は文系の人にも分かりやすいように記述したつもりです。
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世紀の通信技術は、必ずしも工学系の人間だけが担当するのではなく、広範な分野の人の着想と努力によるものと思います。
こうしたことから、本書は文系の人も分かりやすい形に仕上げています。
エレクトロニクス技術の歴史からその概要を理解して、21世紀における新通信方式の開発や、関連する新ビジネスの立案に役立てて欲しいと念願します。

そのために、本書では技術の歴史だけではなく、電気通信技術の入門書的な側面も配慮しています。
工学系の人にはわかりきったことを説明したり、コラムとして記述したりしていますので、その部分は読み飛ばしてください。

電気通信の歴史は、かなりの部分が個人(場合によっては複数の)の努力や着想に基づいています。
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世紀までは、多くの発明は個人の力量に大きく依存し、それ以降は企業や国のプロジェクトに依存し、個人の名前は出てこなくなる傾向にあります。
最終的に努力を行ったのは個人であり、そうした努力は歴史に残しておくべき、と考えます。
何も「顕彰」という大げさなことではなくても、足跡をきちんと記録と記憶にとどめるということが必要です。

*目次

1章 電気通信以前の通信方法を調べてみよう
2章 電磁気学の始まり
3章 視覚通信の発明とテレグラフの語源
4章 電気式テレグラフの発明と有線電信の普及
5章 電話の発明から実用化へ
6章 無線通信の発明から実用化へ
7章 ラジオ放送の始まりとアマチュア無線
8章 テレビ放送の始まり
9章 無線通信の発展と無線の応用
10章 宇宙通信とエレクトロニクスの時代
11章 コンピュータの発展と情報伝達

*主なトピックス

※ 文科系でも発明は出来る。モールスは画家だった。電話発明のベルは盲人教育の先生、マルコーニはアマチュア無線家。
※ 佐久間象山、勝海舟、島津斉彬も無線通信の研究家。
※ 赤穂浪士の矢頭の末裔が計算機を発明した。

※ ベルより、おらが国の電話発明のほうが早いぞ。」異説が多い電話発明。
※ 電話を発明したのはベルだけど、実用化したのはエジソンだ。

※ タイタニック号遭難。氷山を発見したが、無線通信士はタイタニック号に連絡できずに、寝てしまった。

※ 八木アンテナは世界的な技術。だが、当初日本では認められなかった。
広島、長崎の原子爆弾には、日本人発明のアンテナが使われていた。 

※ 戦争が、通信技術を発達させた。
※ 西南戦争。西郷さんも電信機の威力に負けた。
※「敵艦見ユ」の日本海海戦は三六式無線通信機の勝利。
※ イギリスの先行したレーダ技術は戦争を変えた。 このレーダにも八木アンテナの技術が使われた。
※ イギリスはドイツ軍のエニグマ暗号の解読に成功。

※ マルコーニは、すでにテレビを予言していた。
※ 電子的テレビを発明したのは、高柳健次郎とズウォーリキン。

詳細は本を読んでください。

読後感などは電子メールで  VYJ01354@nifty.ne.jp  へお願いします。


*本に採用した図の基になった切手を紹介(一部)

 

「おもしろ電気通信史」では、一般の書籍としての性格から、切手を丸ごと図に採用することは避けて、切手の一部を図として取り込んでいます。 
以下はその例です。 本ではモノクロですが、基図にした実物の切手をカラーで紹介します。

        

  3章に採用したペリー来航の図       基図のアメリカ発行 ペリー来航の切手

             

   第5章に採用したライスの電話の図  基図のドイツのライスの電話を描く切手

       

   5章に採用した商用電話開始時の図     基図は東コロモ島発行のベル100年切手 

            

10章に採用した通信衛星モルニアの図   基図となったソ連発行のモルニア衛星を描く切手

 

 

*本書発行後のコメントなど

1。計算機を発明した矢頭良一に関して
 本書では「赤穂浪士の一人矢頭右衛門七の末裔の矢頭良一が特許を取得した加算機を発明した」と記述しました。

 これを見たT氏から、コメントが入りました。
 「矢頭右衛門七は17歳で切腹し、子供は残していない、よって矢頭右衛門七の末裔云々という記述は正しくない。
直系の子孫はいない。右衛門七の兄弟姉妹など傍系の子孫は残っているかもしれないが

うーむ。 この記述はある本から戴いたのですが・・・ ・・・・・そういわれるとそうかも知れません。 

 とことで、矢頭右衛門七は普通「やとう」と読んでいます。
しかし、矢頭良一の場合は「やず」と読んでいます。
「矢頭良一の出身地である福岡県豊前市、又県境を越えた大分県中津市にも矢頭(ヤズ)姓が結構多い。豊前市と中津市にはさまれた吉富町では矢頭姓が実に30軒。 」という情報を得ました。

なぜ、「やとう」が「やず」に変わったのでしょうか? 
と思っていると、「やこうべ」と読むのが正しい、という説がWEBにありました。


やとう、やこうべ、やず こういった変遷というかいわれを調べるのも面白そうです。 
でも、これば「電気通信史」の探求からは離れ、郷土史の研究になりそうです.どなたか詳しい方がおられれば、ご教示願います。

2.無料葉書サービス 
「ぽすこみ」という無料葉書サービスのことを紹介しました。インターネットで、スポンサーの広告が付くが、差出人にとっては無料の葉書発送さサービスが可能になり、ローランド・ヒルが「郵便料金を受取人が支払うシステムで、貧乏なために、働きに出ている父親からの手紙を受け取ることができない場面に遭遇し、そこから郵便制度の改革を考えた。低料金の郵便制度」それが160年たって無料になった。と記述しました。

 原稿を書いていたときは確かに無料でありました。でも昨今の経済情勢からか、広告収入の面で、この無料葉書は、現在そのサービスを停止しています。 残念です。
以下にその無料であった頃の葉書の例を示します。

  20017月使用例 

 

3.「のろし」の地名


本の執筆の段階では、「のろし 烽火 狼煙」という名称が地名に残るのは珠洲市の「狼煙」と 平田市の「のろし浜」と紹介した。 
2003
11月下旬にもうひとつ地名に残っている場所を発見した。
長崎市にある山の名前「烽火山」である。

「烽火山は長崎を取り巻く長崎火山帯に属し、標高426mで、長崎七高山の一つで、西に金比羅山、南に彦山と相対している。
もとは斧山とか遠見岳と呼ばれていたが、島原の乱平定後、老中松平定信が1638(寛永15)年に異国船入港の異変を急報させるために「烽火番所」を長崎奉行に命じて、頂上に狼煙台を設置させたために、この山に「烽火山」と呼ばれるようになった。」とある。
ただし、この山の名前「烽火山」は「のろしやま」とは呼ばずに、「ほうかざん」とよんでいるので、残念ながら「のろし」のイメージからは遠い存在である。

4.酒田−飛島間の八木アンテナを利用した無線通信

 1933年に開始された無線通信は、当然、70年を経過した現在、使用されてはいません。 
飛島に記念の碑だけが残っています。酒田市とびしま総合センター の提供で、その写真を入手しました。
以下に示します。


 

  超短波無線発祥の地の碑

5.モールス符号のCQDは?

高知県のYさんから以下の連絡を受けました。
「おもしろ電気通信史」読みました。 通信の歴史が、基礎知識の解説とともに、わかりやすく楽しく書かれていて、とても興味深く読みました。
趣味の切手も活用されており、イラストも楽しく万人向けの良書ですね。
いい本を作っていただきありがとうございました。 私も大変参考になりました。

P.S.
 p105の図6.22の切手ですが、「CDQ」と印刷されていますね。 
本文から考えると「CQD」(Come Quick Danger)が妥当かと思いますが、切手では「CDQ」になっているのは何故でしょうか?」

この切手を以下に示します。 SOSという遭難信号とともにCDQと書かれています。 これは、切手の誤りなのです。 
切手のデザイナーは無線通信などに造詣が深いとは限りません。
単語のスペルなどは間違えることはないでしょうが、こうした略語の場合は、えてして間違えてしまうことがあるのです。

6.22 マルコーニ無線100年記念郵便切手(バハマ1996年発行) 
上下に発信された緊急信号CQDSOS,中央部にタイタニック号とカルパシア号、左にタイタニック号の無線室、右にカルパシア号の無線室


6.TYK無線電信に関する資料の入手
   作成:2006−5−14

1914
年、今から90年以上前に世界で最初の無線電話が開通しました。これは、なんと日本の独自の発明によるものでした。
詳しくは、本書を読んで下さい。
最近、ヤフオクで関連する絵葉書がありましたので、入手しました。
以下の図に示します。
志摩 鳥羽港 日和山 世界最初 鳥潟式 無線電話所」という説明が書かれています。


   図1


追記:2006−5−30

さらにもう一枚の絵葉書を入手しました。 「鳥羽港 日和山無線電話」という説明が入っています。

1に比べると図2は、電話所の建物がより大きく写っています。

  図2 


「おもしろ電気通信史」では「1916年に鳥羽市で世界最初の無線電話を実用化」と記しましたが、誤りでした。
1916
年は終了した年でした。 もし本の改版があれば、修正しなければなりません。

正確には 電気通信試験所の歴史の中に以下の記述があります。
1914
1216:
第四部部長逓信技師鳥潟右一、第四部無線電話係逓信技手北村政次郎、第四部無線電話係逓信局技手丸毛登、TYK無線電話機を伊勢湾内の鳥羽、答志島および神島の3カ所に設置、相互間での通話実験を開始。
1916
411:
第四部部長逓信技師鳥潟右一、第四部無線電話係逓信技手北村政次郎、第四部無線電話係逓信局技手丸毛登、TYK無線電話機を伊勢湾内の鳥羽、答志島および神島の3カ所に設置し相互間で行ってきた通話実験を終了。

追記:2006−6−18  鳥潟病院の古い絵葉書

鳥潟右一は秋田の大館の出身で、大館には鳥潟会館がある。この鳥潟会館は鳥潟家を花岡町に寄付され、町村合併によって現在は大舘市の会館として運営されている。この鳥潟会館のWEBによれば、鳥潟家には、右一に並ぶ有名人が出ているようです。 兄弟なのか一族なのか鳥潟会館のWEBでは明確に関連性を説明していませんが、「鳥潟隆三」です(注:その後の交調査でいとこと判明)、鳥潟病院を設立、日本外科学会会長に就任・・・という経歴です。
 この鳥潟病院は、WEB検索の結果では、大阪の住吉区で現在でも活躍しています。この鳥潟病院と思われる古い絵葉書を見つけました。 以下の図3.4に示します。

 

 図3

 図4



7.佐久間象山の動電気医療器

  佐久間象山は松代で電信の実験をしているので、本書にも紹介してあります。佐久間象山は静電気発生装置を組み立てて、それを医療器として使用しています。当時としては摩訶不思議な力をもつ医療器として、用いられたのでしょう。
2006
514日、JR南武線稲城長沼駅構内で以下のパンフレットを入手しました。
JR
東日本長野支社20063月発行 旅学文庫 遊学城下町 信州・松代 という小冊子です。
この中の佐久聞象山の解説の中、「象山記念館  佐久間象山の遺品遺作を展示、 象山自製の動電気応用の医療器…」とありました。

あれ、動電気ではなく、静電気が正しい記述なのではないかと思いました。
動電気といえば、この用語はほとんど使用しないのですが、溜まっていて動かない静電気に対して、流れている・動いている電気ということで動電気という用語があります、何のことはない、現在は「電流」という用語が使用されます。

   

JRに確認しました。  結果は、
「「動電気」とは「流れている電気」を表す言葉でございます。象山記念館に改めて確認をいたしましたところ、象山自製の治療器が電気を流し、身体に伝えることで病気を治す器具であったため、このような表記を使用しているとのことでございました。」

現代式に言えば、静電気を利用して、体に電流を流して(感電させて)治療を行うので、静電気治療器と命名するのですが、佐久間象山は電流を患者に流すというところに着目して、動電気治療器と命名したものと、思われます。

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.テレグラフの幕末における漢字表記
期:2013927

以下の情報を見つけました。
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邪法のおかげ。(紅葉旅行記その2)   
http://www.ne.jp/asahi/comp/tarusan/main127.htm
「ちなみに、電信は当時「天連関理府」(テレガラフ)と呼ばれた。 」
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幕末の時代にテレグラフは日本にも到来していました。
様々な歴史の本を読むと、「テレグラフ」もしくは「テレガラフ」とカナ書きされています。
幕末の当時もテレガラフとカナ書きが一般的であったのか、何か適当な漢字を当てていたのか、興味を持っていました。
2003
年に「おもしろ電気通信史」を書いた時も、色々と調べてみましたが、正確な情報は見つかりませんでした。
結果として、この漢字表記は「判らない」としてしまいました。

今、10年経過して、ようやく、カナ書きに代わる漢字表記として「天連関理府」ということが判りました。
この「天連関理府」は、どのような文献に残っているか、確認してみました。

野辺冨次著「テレガラーフ古文書考―幕末の伝信」1987年 著者による自費出版 に貴重な記述がありました。

3章 村方記録におけるペリー献上のテレガラーフ の章で
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「黒船の到来は未曽有のことであった。
これらを直接見聞きする機会に恵まれた横浜近郊の名主たちで、筆の立つものは、多くのこれらの記録を残している。
こうした村方記録で、ペリー献上テレガラーフの記事が掲載されているものを挙げれば、中村の石川和輔「亜墨理賀船到来日記(以下石川本)・・・・などがある。

石川本の216日の条に、テレガラーフの組み立て工事を開始したことを、次のように述べている。
「今日 蒸気小火輪車組立且又外二、天連関理府千里鏡右興行御内覧の場所等作事に懸申候異人工匠五人外に異人伝手多シ」
****************************

ということで、幕末の時代のテレグラフの漢字表記は「天連関理府」であったことが確認できました。


*本書に関する書評など
1.日刊工業新聞 200381918面に掲載された「技術科学図書」の紹介ページの書評です。

新聞社の了解を得て、転載します。
新聞には本の表紙の写真が掲載されていますが、ここでは割愛。

************   ************: 
おもしろ電気通信史 楽しく学ぷ通信の歴史  三浦正悦著

携帯電語を使う若者は、通信方法の仕組み・歴史を知ることなく生活している。
その仕組みを、切手収集歴40年の技術者である著者が、時間の流れを把握できるように世界中で発行された切手に沿って通信の歴史を解説する。
技術の説明は必要最低限とし、歴史上の人物の人間関係や出会いなどを、イラストや歴史の裏トッピクスを交えて簡潔に説明している。
発明に興味をもつ人は歴史の流れを知っている必要がある。

通信関係の歴史を追跡してみると、必ずしも理系と分類される人々が発明・発見に責献したわけでなく、頭の柔らかい人々が活躍し、わが国の多くの技術者の世界的活躍に驚く。
通信の仕組みの歴史的な変遷だけでなく、どのような通信方法が出現し発達するのか、未来史を予測でき、将来の生活様式を想像できる。
(
総合電子出版刊 0332953671 A5 2302000) 

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2.郵趣協会「郵趣」200311月号に掲載された書評です

編集部と書評を書いた小熊様の了解を得て、以下に転載します。 「郵趣」には本の表紙の写真が掲載されていますが、ここでは割愛。

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本 Recommended Book
おもしろ電気通信史−楽しく学ぼう通信の歴史− 三浦正悦著

現代版「三種の神器」は「ケータイ・インターネット・テレビ動画像」といえようか。本書の表紙にあるように、携帯電話を使用する現代女性が、サミュエル・モールスとモールス通信で、グラハム・ベルと電話で、マルコー二と無線通信で、またテレビ電波を受信する八木アンテナを発明した八木秀次と連絡するイラスト、さらに地球上空を飛翔する宇宙服姿の人間が、ノート・パソコンでメールを送信する姿が描かれている。

日常何気なしに使ったり見たりしている、これらの文明の利器は、どのようにして我々にもたらされたのか。こんな疑問に易しく分かりやすく応えてくれるのが、三浦正悦氏の新著「おもしろ電気通信史」である。
筆者は30年に以上にわたって電気・電子・電気通信に関する切手を収集し、「電気−その偉大なる世界」という統一テーマのもと、1971年以来、<JAPEX>26のサブテーマでほぼ毎年出品し、強電では電力・電気鉄道・灯台、弱電では電話・通信衛星・ラジオテレビ放送など、更に国際電気通信連合(ITU)にいたるまで実に幅広い分野で活躍され、この世界では「ギネス・ブック」受賞者といってよいくらいの努力家である。

また、筆者は1975年以来、JPS人物切手部会の世話人を務められており、本書に多数登場する発明家や技術者の人物切手による紹介は、さすがに懇切丁寧だ。
本書はいわゆる「切手で見る」電気通信史的なものではないが、筆者が所蔵する切手や絵はがきを随所に使用している。また、楽しいイラストに加え、この種の著書では珍しく、分かりやすい「です・ます調」文体でかかれているので読みやすい。この分野のテーマティク収集家に、ぜひお勧めしたい。(文・小熊忠三郎)