*東京理科大学 近代科学資料館の見学と講演会参加の記

             
 
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 まとめ:20007−4−15


2007
316日、東京・神楽坂の東京理科大学を訪問しました。
東京理科大学には「近代科学資料館」があり、計算機などの展示があります。以前から一度は訪問したいと思っていましたが、機会がありませんでした。

近代科学資料館では、313日(火)から517日(木)まで、特別展示「パーソナルコンピュータのあけぼの」展を行っています。そして、316日(金)14時から嶋正利講演会「マイクロプロセッサの誕生と創造的開発」(パソコンなどに使われているマイクロプロセッサの発明者嶋正利氏をお招きします)が開催されました。

この講演会に参加の申し込みをしました。予約券を図1に示します。

図1  


講演会は14時からなので、13時頃に近代科学資料館に入りました。入り口の写真を図2に示します。

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展示は、計算機の歴史コーナーが大半のスペースを占めていました。石や藁を使った計算から、昨今のパソコンまでの「計算と計算機の歴史」を展示してあります。様々な形のそろばんも見ごたえのあるものでした。
機械式の計算機もありました。
占いに使用する筮竹(ぜいちく)も計算用具の一つとして使用された・・・・・。またお坊さんなどが使用する数珠も、あるときは計算用具として使用された・・・・とあり、興味を持ちました。

唯一郵趣に関連するといえば、和算の関孝和の切手が1枚だけ、関孝和の関連資料に添えて、展示されているだけでした。せめて、藤岡郵便局の関孝和の碑を描く風景印だけでも飾って欲しいものです。 以下図3に私のコレクションからその風景印を示します。

  

 図3 藤岡郵便局の風景印


嶋さんの講演会に参加しました。
会場の画面を図4に示します。後ろから正面の講演内容をデジカメで撮ったので、前の席に座っている方の頭が映っています。

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嶋さんは1943年の生まれとのことでした。以前にどこかのインタネットサイトで現在は筑波大学の教授・・・という頁を拝見した時は、かなり気難しい感じの人に見えました。でも、そういう気難しさはない、普通の年配の紳士でした。

嶋さんはパソコン時代の幕あけ、最初にマイコンチップ(4004というチップ)を開発した人ですが、このマイコンチップをアメリカで開発設計を完了させて、勤務先の会社に戻ったとき、最初に「おもちゃを作ってアメリカから帰ってきた」といわれたそうです。電卓に使用する半導体ICの設計開発に行き、「おもちゃ」のようなおもしろいものを作ってきたと、決して現在のパソコン・マイコン時代の先駆とは思わなかった様です。

彼は、有機化学の専門で、化学計算を行うために、当時の大学の計算機センターを利用していたので、計算やソフトウエアに関心を持ったようです。
そこで、ビジコンという計算機を作る会社に就職しました。
ビジコンに入り、最初の6ヶ月はソフトの開発を担当したそうですが、おもしろくないので、電卓、IC電卓の部門に移動したそうです。

電卓部門では、色々な会社からのOEM注文を受けて、設計・製造していたそうですが、OEM先毎に設計するのは大変と、プログラム電卓として、プログラムの内容を変更すれば様々なOEM先に納入できる電卓ができるという趣旨で、プログラム論理方式の電卓の開発に従事したそうです。

そうした中で、汎用LSI化を推進し、開発先としてインテルを選択し、電卓用LSIの開発に着手した。この開発の課程で、インテルのホッフとの共同作業の中で、マイコンチップの構想が出て、世界最初のマイコンチップの誕生になった、のです。

嶋さんの言によれば、1)自分は、体力はあった。2)人の真似はしない。なぜならば、兄が優秀だったので、常に兄と比較された、兄を超えることを狙った。3)工夫することが大事。大学に入学するために、そのために専用の勉強をすれば良い。

こうしたことが、開発や色々なことをやってきたベースになっていると。

面白い話を聞くことができました。