京都に蹴上げ発電所などを訪ねての記 

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2000年11月30日 京都訪問時に京都在住の友人Yさんに案内してもらって蹴上げ発電所などを見学した。
この蹴上発電所は日本では最初の営業運転を行った発電所であり、この発電所の電気を利用して開業した京都市電は、日本の最初の市電である。
通常の観光客のように京都に行って寺や仏閣巡りはしない、こうした技術の歴史を探訪するのが趣味の醍醐味である。


蹴上げ発電所は地下鉄の蹴上駅から歩いて数分の場所に蹴上げ発電所はあった。レンガ造りの建屋で、建屋に向かって導水管があることを認めないと水力発電所であるとは思われない。現在は無人で、関西電力の所管で、門が閉じられ、中に入って見学は不可能であった。現在も稼動しているか否かは、不明であった。

近くにある疎水記念館にあった展示品のひとつに起工趣意書があった。これによれば、「石炭を燃やすと英国(ロンドン)のごときスモッグ公害となる。よって水力発電が好ましい」となっている。この趣意書には、まだ市電に関してはまったく触れられていない。 産業振興、工場で石炭を燃やして蒸気機関を動力とすれば、スモッグとなる。それに対して、発電を行い電気で工場を動かせば、公害防止になる。という趣旨のようです。

*蹴上げのインクライン:
傾斜鉄道である。舟を運ぶことを目的としている。
この事業の推進者である田辺らが米国NJ州のモーリス運河にならって建設した傾斜勾配式のもの、運転には蹴上げ発電所の電力が使用された。その為に、発電所の完成を待ち、明治24年12月にインクラインの営業運転を開始している。昭和23年まで運転を継続。2本の軌道の中間に巻き上げケーブルがある。

*京都電車
日本で最初の市電である。
電車のモータはGE製 25馬力、台車はベッカー社製、 車体は井上工作所製造、 幅2m、長さ6m、定員28名、時速10kmで走った。 レールはアメリカ製。

明治21年に疎水事業の為にアメリカに出張した田辺・高木はボストンで路面電車を見て、高木らは疎水の電力で京都に電車を走らせることを考え始めた。そして日本で最初の市電を京都で開始した。 この電車の営業開始によって、人力車が減った。

*蹴上げ発電所の発電機
最初はエジソンのDC発電機2基を設置。
疎水記念館の説明では、蹴上発電所は明治45年まで運転を行なった とある。 
「昭和51年に発行された山崎俊雄著 電気の技術史によれば 蹴上げ発電所は今も稼動している現存する日本最初の水力発電所」と記述されている。最初の発電所はその後に改築されたのかも知れない。


 疎水記念館にあった初期の発電機の説明

 蹴上げ発電所の初期発電機 4号機

 

 蹴上げ発電所の初期の水車


*明治20年に「京都電灯」が業務開始している。これは火力発電所の電力を販売した。

*疎水の利用法 
最初は疎水の水力をそのまま動力源として使用することを考えた。それがアメリカ出張などで水力発電などのよさを知り、水力発電による電力を動力源とすることに変化した。

*蹴上げ発電所のユーザは、当初は インクラインと 京都時計のみ、遠方まで配電を行なうことがまだ困難であった。

*夷川(えびすかわ)発電所
京都市内に蹴上発電所に続いて、夷川発電所も建設された。
初期の発電機:水車は英国のボービング社製のフランシス水車、発電機はウエスチングハウス社製。 
現在の発電機(1992−93年に取り替えた)は300KWで国産、S型チューブラ水車及び同期発電機で、現在も発電所として運用中。但し 無人運転。
京都の町の中で、川をせき止めた水位差の小さい(数mか)場所で発電を行なっている。ちょっとした貯水池になっており、水量は十分にあるように見える。


 夷川発電所

 無人運転中の夷川発電所

 

 夷川発電所の説明プレート