記;2012−6−2
熱海に市外電話発祥の地碑があることは、かなり前から知っていました。
熱海に行く機会があれば、この碑を探訪しようと思っていました。
今回、一泊の旅行があり、熱海に出かけましたので、帰路、この発祥の地を訪ねることができました。
場所は熱海ニューフジヤホテルの敷地内です。
ホテルの正面玄関を出て、左手に坂を上った道路沿いの左手に有ります。
有名な大湯間欠泉のある敷地に隣接して、この碑は建てられていました。
この坂の名前が湯汲坂、間欠泉の手前に湯汲坂の由来などを示すプレートがあり、このプレートにも市外電話のことが記載されています。
湯汲坂の案内プレート 「日本初の公衆電話(明治22年)」と記載
右から 間欠泉、奥まったところに建つ発祥の地碑、そして記念の公衆電話(緑色の公衆電話が設置され、実際に使用できる形になっていました)
6角形の膠腫電話ボックス
白く塗られた 6角形の電話ボックスがあり, 上部には以下の説明が書かれている。
**************************************
市外通話発祥の地
温泉と風光に恵まれ, 冬暖かく, 夏涼しい熱海は明治の頃, 多くの政治家や政府高官が保養や会談のため来遊したので, 東京との連絡が非常に多く, そのため東京〜熱海間に電話回線が敷かれ明治22年1月1日に開通しました。
東京の電話交換業務が開始されたのが, それから2年後の明治23年12月でした。
それまで熱海側は内務省噏滊(きゅうき)館(熱海電信局), 東京側は木挽町にあった東京電信局で 通話料のほか 呼出手数料をとって公衆電話の取扱いを開始したものです。
これわが国最初の市外通話です。
噏滊(きゅうき)館のあったのが, この場所でしたのでわが国市外通話発祥の地を記念して「市外電話創始の地」の碑を立てました。
このボックス公衆電話は, 熱海市がこのように電話に大変ゆかりが深いので明治100年を記念して わが国最初のボックス公衆電話 (明治33年東京の京橋のたもとに設置され, ボックスの型は六角形で白塗りでした) を模して復元したものを, 今回改装したものです。
東京で 電話交換業務が始まるより前に 東京-熱海の市外電話ができていた とは, 当時から 大物政治家や有名人が 多数熱海に来ていたことの 証明になるだろう。
このボックス公衆電話は実物ですから,
熱海を訪れた記念通話にご利用下さい。
昭和61年11月19日 熱海市・NTT熱海電報電話局
*****************************************
市外電話創始の地碑
碑の文章
**********************
明治22年(1889年)1月1日 この場所にあった内務省の 噏滊(きゅうき)館と東京木挽町の東京電信局との間に
わが国で初めて公衆用の市外通話が行われました。
これはアメリカのアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明してから 13年後のことであります。
昭和37年3月 日本電信電話公社
*******************************