*郵趣雑記の頁

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2001
年以降に、登戸郵趣会(旧JPS登戸支部)会報に載せてきた様々な郵趣関連の記事を、紹介します。


20011月 郵政事業庁発足記念切手展に出品報告

郵政事業庁の発足を記念する切手展が目白の切手博物館で、4月20日から29日まで開催された。
この切手展に三浦のコレクションを出品したので報告します。
当初は特に出品も何もするつもりはありませんでした。

4月に入ってから、急に、切手の博物館の田辺氏から連絡があり、郵政事業庁の事業として電信関係を出品してくれ、との依頼がありました。
どうやら郵便と貯蓄関係の展示だけしか考えていなかったようで、急遽電信関係も展示すべしとなり、三浦に声をかけた様です。

過去のJapex作品は全て、そのまま保存してあるので、二つ返事でOKをしました。
電話3フレーム、電信3フレーム、電波管制に関連してアマチュア無線を8フレームプラス展示しなかったリーフも含めて全115リーフを出品しました。
三浦以外は片山さんの郵便史などのコレクションの展示でした。

大変だったのはアルバム5冊を目白まで持参した時でした。
車のついた旅行用のバックに詰めて持っていきました。
私は最終日の最後の1時間しか会場に行きませんでしたが、200名強の入場者があったそうです。
下のショウルールの人に、「事業展は半分三浦の個展ですね」といわれました。
会場のスペースの3分の1を占領してしまいました。

以下は三浦の出品内容と、招待状です。
電信:JAPEX82「トン・ツー・トン電信の話」
モールスの電信発明から25年後に、東京・横浜間に公衆電信が始まった1870年が日本電信創業です。
このコレクションは電信の歴史、発展、電報などを総括的にまとめてあります。

電話:JAPEX78「電話物語」
電話はベルの電話が発明された翌年、1877年に輸入されました。
初代逓信大臣榎本武揚の民営論は否定され、官営で電話事業が始まりました。
東京・横浜で電話が始まった1890年が日本の電話創業となります。
「電話物語」として、電話全体のコレクションを紹介します。

アマチュア無線:JAPEX98「CQCQこちら郵趣マチュア無線局」
アマチュア無線は、電波管理行政の観点から無線局の一つとして管理されている。
日本のアマチュア無線は1927年に草間貫吉に「私設無線電信無線電話私設」として認可されたことに始まります。
電波管理の面ではなく、アマチュア無線全体をコレクションで紹介します。


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20016月 インターネットでの無料葉書の実例

「郵趣」6月号に、「エコーなんて目じゃない、インターネットで無料葉書を」という記事がありました。
この実例は一度だけ誰かのコレクションに入っているのを、目白の切手博物館での展示かスタンプショウの展示で見たことがあり、私製といいながら私のコンピュータ関連のコレクションに入れるべきマテリアルであると考えていました。

さっそく挑戦して見ました。とりあえず女房宛てに試しのメールです。鳥海さん宛にも送付してあります。
その実例の裏と表のコピーを紹介します。
表の右下に小さく2001/6/4と印字された日付は私がWEBで申し込んだ日付です。
申し込んでから1週間程度で発送されるので、急いでいる時は利用できません。
急がない、ちょっとした連絡であれば、利用しても良いと思います。
広告の内容を指定できると、面白いコレクションになりますが、広告主の指定は出来ません。 
<画像は割愛「>

 

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*2001年7月 JAPEX出品こだわりのコレクション

さて、三浦のコレクションのこだわりとは何か? 特に今まで考えたことや意識したことはなかった。
強いて言えば、自分なりのコレクションをつくる、それがこだわりであったといえる。
「電気―その偉大なる世界」ということをテーマとし、このテーマに沿うサブテーマでコレクションをつくってきた。
これからも創り続けるつもりである。

時間の制約のある人間にとって、色々なテーマに手を出している暇はない。
私のコレクションはこのテーマ以外には無い。新切手が発行されても、買いに行かない、使用済み切手が手に入るまで待っている、いや、じっと我慢をしている。
自分自身との根競べでもある。

仮貼りのリーフも作る時間も無い、従って、多少の例外があっても、毎年JAPEXに出品するリーフが、その年に作成するリーフの全てである。
その代わり、一度出品したコレクションは次回に作り直すまでは、そのままにして保存してある。
そうしたコレクションが、今になって棚を見ればそれなりに大きなコレクションになっている。

JAPEXに出品し、銅賞以上の賞がつけば、自己満足のコレクションがそれなりに評価されたと解釈して次のサブテーマに取り組むことにしてある。
電気の人物、発電、送電、家電、照明、灯台関連が2作品、電力応用、電力の歴史、電信、電話、電話番号、ラジオ放送、テレビ、無線工学、アンテナ、通信衛星、地上局、海底電線、コンピュータ、バーコード、アマチュア無線、ITU、電気通信の歴史と合計24作品が完成している。
1
9X3+5X8=97フレーム+αである。切手の博物館で個展を行うにも狭くなってしまっている。

6月の例会で見せたコレクションはその第1部作で、JAPEX75に出品して、出品開始後5年目にして始めて銅賞を貰った思い出の深いコレクションである。
最初に銅賞を得るのに5年もかかったので、20程度以上のサブテーマを完成させる為には100年必要となる計算で合ったが、その後は2回だけ佳作となった以外は、どうにか銅賞以上がつくようになり、毎年一つのサブテテーマを完結することになり、結構時間的にきつい作業になっている。 

あと数テーマのサブテーマで「電気―その偉大なる世界」は一巡することになり、以降は今まで作ってきたコレクションを再構築し、今後更にJAPEXに出品を続けるつもりである。
JAPEX
は71−73に出品 74年はアメリカに駐在していて出品不可、75から連続出品しているので、連続出品記録50年連続も夢ではない。
郵趣協会が改組されたり、無くなったりしても、JAPEXだけは生き続けて欲しいのが、私のこだわりである。


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20018月 フィラニッポン2001参観の記

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年に一度のフィラニッポン2001を参観した。83日、3日目の金曜日、多分最もすいていると思って出かけた。案の定、すいていて、ゆっくり参観できた。
今回の参観では、以下の4つの目的を持っていた。

1.三浦の種集範囲のコレクションを見ること。
関連するテーマでは、イスラエルからコンピュータ、ウルグアイから灯台のコレクションが展示されていた。
この両者とは、かつてマテリアルの交換などを行っていた収集家である。
台湾から通信に関する出品、ユース部門でコンピュータのコレクション出品があった。
その他に、JAPEXや全日展出品でおなじみの勝井さんの電話、滝井さんの光りと発電に関するコレクションがあった。
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点も関連するコレクションがあれば、見たかいもあるといえる。

2.展示作品の中から、自分に収集範囲になるマテリアルをチェックする。
国別コレクションやステーショナリーなどのコレクションの中で、普段実物を見る機会の少ないマテリアルから、関連するものを見つける。
広告印、電報、穿孔切手、等など。
その為に、流しながら、殆ど全展示を見て回った。何点か欲しいなーと思うマテリアルがあった。

3.郵政ブースでの使用済み作成
私のコレクションは使用済みで構成してある。
各国の郵政は記念のスタンプを準備しているのでパスポートに切手を貼ってスタンプ収集ならぬ、使用済みを作る目的で、各国のブースを回った。
ブースを持った国の数は71カ国プラス発行代理を行っている会社のブースで37カ国分あった。

使用済みを集めていても、長い間には未使用も溜まってくる、WEBを見てどういう国がブースを出すか調べて、自宅にある未使用を整理して、会場に持参した。
そうした使用済みを作成した切手の枚数は約150枚、切手帳等は4件、フルシート2枚、ステーショナリー3枚であった。
その他に、各ブースで関連する切手を見つけては購入し、その場で使用済み作成を行った。
フルシート5枚、小型シート3枚、ステーショナリー1枚、に押印した。

従って合計で200枚という使用済みのマテリアルを1日で入手できたことになる。これは大きな収穫である。
国別の成果としては合計44カ国の使用済みを入手した。

パスポート用の切手も買わないと押印サービスを行わないといわれて、購入し、合わせて押印した国が4カ国あった。
ポルトガル、ニュージーランド、トンガ、サンマリノである。
旧ソ連の切手を現在のロシアの消印では押印できないのは当然としても、アルゼンチンでは最新の切手でなければ押印しないと持参した切手の押印を断られた。残念。

WEB
にはブラジル郵政の名前は無かったので持参しなかったが、会場ではブースがあった。
ブラジルの使用済みを作れなかったので残念。
こういう使用済み切手作成を、国際切手展を利用して行うのは、多分、三浦だけでしょう。記録に残します。

4.切手商ブースめぐり
1−3で疲れてしまい、切手商でじっくりマテリアルをあさる時間と、体力が無くなり、簡単にドイツ、イギリス,イタリーから来た切手商でマテリアルを見、三浦の希望を伝えておしまいにした。ちなみに家を出て帰るまでの万歩計の数値は18000歩であった。

以上が私の、主目的の事柄に関する報告でした。

会場を見ての感想など
5.出入り口が2ヶ所に限定されていた。警備の都合などで2ヶ所に限定したのであろうが、途中の休憩やトイレなどの為に会場から出る為には少し不便さを感じた。

6.参観者が少ない。
パスポート押印には人気があったが、作品を見ている人が少ない。おかげで見て回るには都合が良かったが。

7.会場が少し暗い。
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リーフのフレームで高さも有り、展示列の間隔も広くないので、照明が不十分となって、少し見る人には暗いと感じた。
展示作品にとっては暗めの照明の方が好ましいのかも知れない。

8.切手展カタログに一言。
英語、フランス語、ドイツ語などFIPで認定された言語なら良いとされるが、せめて切手展のカタログには、それそれの申請された言語での出品題名の掲載だけではなく、その簡単な英語訳と、日本語訳があれば、多くの参観者には有効なのではないだろうか。それによって多くのカタログが売れるようになるのではないだろうか?

最後に作品を見て、
9.航空(宇宙)郵趣部門にあった「From Astronomy to space station」では切手は数枚だけ、あとは全てカバーやその他のマテリアルだけであった。
同じ部門にあった「Der Vorstoss in den Werltrum」では、いわゆる人工衛星打ち上げの記念カバーが多数入っていた。
航空(宇宙)郵趣の場合はカバー主体でも良いのかも知れないし、意図して作ったマテリアルも堂々と国際切手展に展示されるのかも知れない。

テーマ部門で「Man & Shell」という作品は、数点のFDCとマキシムカードがあったが、あとは小型シートと単片だけ。
これで国際切手展のレベル?と思う作品もあった。


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2002年3月  最近入手したマテリアル

三浦が最近インタネットオークションのひとつであるEbayで入手したマテリアルを紹介します。
ベトナムで発行されたアインシュタインの切手で、黒色が一色抜けているエラー切手が、まともな切手とともに未使用が出品されていました。
出品者はベトナムの住人でした。
基本的に未使用は集めないのですが、出品者がベトナムであれば、消印を押させて使用済みにできると踏んで、札を入れました。
この入札では競争は皆無で、いとも簡単に、8米ドルで落札しました。

そして、落札後には、出品者と電子メールのやり取りをして、適当な台紙にそれらの切手を貼って、もし消印を押すために郵便料金が不足であれば適当な切手を貼り足せ、その代金はこちらが持つ、といって、消印を押してもらいました。送料なども含めて支払いは10米ドル。

こうして入手したものが下の図にあるマテリアルです。
うまいことに2枚並べて貼ってくれ、消印はちょっと読みにくいが、その方がいつ消印を押したのか判りにくいので、都合がよく、非常に面白いマテリアルができました。
左下には追加の切手があります。
このマテリアルは今年のJapex2002出品予定の「原子力」のコレクションに使用する予定です。

  

 

 

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20024月 最近入手したマテリアル;ビキニ原爆カバー   

 

 

三浦が最近インタネットオークションのひとつであるEbayで入手したマテリアルを紹介します。デジカメでとった写真を、お見せします。

オークションの説明:
Cover sent by a sailor aboard the USS Fall River, which was in the Bikini Atoll (Marshall Islands) during the 1946 Atom Bomb tests.
Fall River cancel and franked with 6 cent prexie.
Wonderful illustrated cover depicting Atom bomb blast. Cover has complete letter on USS Fall River stationary.
1946
年にビキニで原爆実験が行われた時に、参加したアメリカ海軍USS Fall Riverに乗船していた船員が、艦船の絵の入った専用の便箋を使用して両親にあてた手紙が入っているカバーです。
消印は状態が悪くて、なんとか1946611日と、手紙の日付の翌日であることがわかります。
このマテリアルは今年のJapex2002出品予定の「原子力」のコレクションに使用する予定です。

さて、このマテリアルの入手がちょっと大変でした。
Ebayの醍醐味でもあり、苦労の多い点でもあります。
Ebayでは、三浦が10ドルで入札すると、それまでの価格に対してある一定の金額を付加した値が画面に表示されます。
5ドル。それがうまくいけば5ドルが落札価格になります。
いわゆる自動的に2番札と調整が行われます。
しかし、入札した金額は、その後の競争入札者に対しては、隠れた札となります。
入札金額までは、優先権があります。
競争者が5ドルの表示を見て、6ドルと入れると、その瞬間三浦の札が出て、例:7ドル表示されます。
競争者は9ドルと入れると、瞬間的に三浦の札が生かされて、例:10ドルと画面表示されます。
競争者が11ドルと入れると、三浦の札の最高は10ドルなので、その瞬間「競争者;あなたが上位です」と表示されます。

したがって、本当に欲しいものは現在の表示を無視して、大きな金額を入れておくことができます。
下手をすればその金額になる恐れもあり、うかつに変な高額はビットできません。
もっとすごいEbayは「買い」という手法が取れます。
これは入札締め切りの数秒前に、突然コンピュータから打ち出されて、それまでの最高額プラス一定金額でとってしまう手法です。
これは、本当に隠れた札で、最後の最後までそうした札があることはわかりません。

こうしたシステムで、このマテリアルは是非欲しいと考えました。最初は6ドルからスタートしました。
三浦はとりあえず25ドルで札を入れました。
そうしたら競争者は50ドルまで入れてくれました。
三浦は100ドルの札を入れました。競争者は100ドルも越えて入れてきました。
これではどこまで行くかわからない、この手紙入りのカバーを三浦と同等に欲しがっているコレクタがいることがわかりました。
200
ドル程度で抑えたいと思い、150ドルの札を入れました。
競争者は案の定、200ドルの札を入れました。
そこで、一計を、200ドルまでと推定できたので、表示が160ドル程度になっていたので、165ドル、170ドル、180ドルと3回も入れて、その都度競争者の札で更新させました。そして、あきらめたかのように見せました。

数日経過して、最後は、締め切りの1分前にどんと金額を入れて、「最上位:三浦 210ドル」としました。
後は代理の競合が1分以内に出てこなければ良いと願って、秒を数えました。
最終的には手に入れることに成功しましたが、大変な競争でした。


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20027月 原爆実験反対運動の葉書


三浦が最近インタネットオークションのひとつであるEbayで入手したマテリアルを紹介します。
1957
年に日本から国連のハマーショルド事務総長宛に請願として発送された原爆反対運動の葉書です。
なぜこんなものがでてくるのでしょうか?
国連に届いた葉書も時間がたつと処分されるのでしょうか?

 

 

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20038月 渡せずに終わった植物の小型印       


バラを描く小型印ではないが、花(植物)の小型印、小生が多分小型印の代収を利用していた頃のものです。
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月にコレクションを整理して、出てきたもので、元気になって例会に出席したら今込さんに渡そう思っていました。
しかし、渡せずに終わりました。
霊前に飾る花の変わりに、花を描く小型印をささげます。




 

 

 

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20038月 電気通信史の本を書きました


このほど三浦正悦・著「おもしろ電気通信史」が2年半の時間をかけて、刊行となりました。
この本は、切手に関連するネタを利用し、また切手や切手の図の一部を挿絵に利用しました。
支部の鳥海さん、山口さんからは、色々と情報をいただきました。発行に至りましたので、報告します。

 

発行元は総合電子出版社という工学関係の教科書などを発行している会社です。
今まではこういう柔らかいテーマの本は出したことがない(電気通信の歴史、というテーマ自体が硬いイメージですが)会社です。

切手の本ではなく、一般書と言うことから、切手として取り上げる場合は目打ちも入れて挿絵としていますが、そうではない場合は目打ちの部分を削除したり、部分的に抜き出したりしています。この点は郵趣の観点からは残念なことです。


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200310月 どこの国から来た???

三浦は先日E bayでアルメニアのFDCを入手した。
出品者から郵送されてきたが封筒をみて、どこの国から来たかた思った。
発信は旧ソ連、Republic of Mountainous Karabakh(カラバク山岳共和国)から、直接日本への郵送ルートはないようで、裏面の住所にあるようにアルメニア経由となっている。
この国にも切手商がいて、インターネットを利用してE bayで切手を売っている。


 

 



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*20046月 切手を表紙に使っても切手の本ではありません

 

三浦の2冊目の著書が刊行になります。来る620日発行という奥付に書かれたのが予定日です。
今回は、東京電機大学出版局から、「電磁界の健康影響 工学的・科学的なアプローチの必要性」というタイトルです。
3200
円+税というちょっと高価な本で、テーマが「電磁波(電磁界とも電磁場とも言う)」の健康影響に関するもので、ちょっとみなさんには縁の薄い本です。
本文に1枚の切手、そして表紙に3枚の切手を使用しました。表紙だけを紹介します。

 

 

 

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20049月 鉄道切手総図鑑・追補版の編集を担当しました。

 

荒井誠一編、1995年にJPSから刊行された「最新・世界鉄道切手総図鑑」の追補版の発行の希望がありましたが、諸般の事情で刊行されないまま、原稿を残して荒井さんは天国に旅たってしまいました。
鉄道切手部会では、自費出版として刊行することにしました。

三浦は過去の2冊の自書発行の経緯から、編集を引き受けました。
手書き原稿のテキスト化、鉄道切手部会員のコレクションから切手のコピーをとり、イメージ・スキャナで画像取り込み、総合編集と、6ヶ月、延べ700時間もかけて、ようやくモノクロ印刷版(表紙のみカラー)、A4200ページ強の本が出来上がりました。
頒布価格は3500円+送料です。以下に表紙を紹介します。
継続してカラー印刷版、CDROM版の編集を行います。大変な作業です。

 

 

 

 

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20051月 「イ」という文字の切手とテレビジョン


2004
年に高柳健次郎が発明したテレビジョン受信機を描く切手が発行されている(図1)。
彼の肖像はないので、一見すると何の切手かわかり難い。
白い四角い中に文字「イ」が描かれているだけ、それが木製のキャビネットのテレビの画面に描かれている。
この真ん中に描かれているのが、高柳健次郎のテレビジョン受信機である。

図1:2004年に発行された切手

 

高柳健次郎は戦前に、1926年に送信(送像)は機械的な手法であるが、受信機(受像)は電子式というテレビジョンの開発に成功し、ブラウン管上に「イ」の文字を表示できるようになった。
このテレビジョンは走査線40本(現在の普通のテレビジョンは525本)である。
戦争による中断の後、彼は日本ビクター(JVC)で副社長まで勤め、テレビ受信機の開発に従事し、普及に努めた。
このテレビジョン受信機は、1985年につくばで開催された科学万博に出品すべく日本ビクターで復元したものである。
2001
年に上野の科学博物館の展示で三浦は一度だけ見ている。

図2:「イ」の文字を表示している復元モデル

 

200516日、所要で芝公園の東京プリンスホテルに出向いた。
帰路、愛宕山のNHK放送博物館に立ち寄った。
芝公園や神谷町付近、東京タワー付近には何度も足を運んでいるが、なぜかNHK放送博物館を見学に入ることはなかった。
いつでも行けるという気安さから一度も行っていないことになった。
行ってみると、ちょうど館内をリニューアルしたばかりということであった。
色々と放送、ラジオ放送とテレビ放送の歴史に関する展示があり、興味を引かれた。

特に高柳健次郎の復元テレビが常設展示さていたのは面白かった。図2はその受信機である。
切手に描かれたものの実物を見るのも楽しみである。
3は被写体の「イ」の文字である。比較すれば、かなりの精度でテレビ受信ができていることがわかる。

 

図3:イの文字の送信側、被写体の「イ」

 

 

 

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20054月 三浦と南極 


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月の登戸支部でのテーマ「南極」に関連するマテリアルとして、電気に関するものは以下のもの程度です。
1979
NHKは初の南極からのテレビ実況中継を行ないました。
NEC
製の大きなパラボラアンテナに南極に持ち込んでいます。
以下のリーフはJAPEX80に出品した「テレビ」のコレクションの一部で、南極に派遣されたNHKの勝部キャスタのサイン入りです。


 

 

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20055月 名鑑品の紹介

 

三浦のコレクションは、基本的に金をかけてはいない。
個々のマテリアルに売った場合に高額で売れるものはほとんどない。
そうした中で、唯一例外が以下に示すアメリカ在横浜局差出のカバーである。
これは「切手名鑑」に採用された。

日本から直接海外に郵便が差し出せる体制になる前に、アメリカなどの郵便局が日本にあった。
アメリカの在横浜局の場合の横浜欧文印は、西野ら著「欧文日付印」(1980年発行)によれば、最古データは1870722日、最新データは18741014日である。

在日アメリカ局は18751月に閉鎖されている。
このカバーは187411月(日は不鮮で読めず)で、最新データを更新するものである。
このマテリアルは、いつか、JAPEXに「時空を超えた情報伝達」と題して、電気通信も含めるが、通信を幅広く纏めたコレクションに使用する予定である。

 

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20055月 第2次世界大戦ハワイ侵攻時の電報 

 

ちょっと面白いマテリアルを入手した。入手したのはE Bayである。
他に欲しい人との競合もあり、送料も含めると100ドルをちょっと超える額で、落札できた。

1941
127日に日本は真珠湾を攻撃した。
このとき、アメリカ陸軍の若い兵隊で、生き延びた兵が、攻撃を受けて数日後に、故郷の親に対して、ホノルルから電報を送っている。この電報が残っており、今回三浦が入手した。

以下に示す電報の他に、このロットには、この兵隊さんの若い頃の写真、アメリカ陸軍での辞令と見られる証書、田舎の親がこの電報を受け取ったことを報じているローカル新聞の当時の新聞の切り抜きなども含んでいる。
受け取ってから大事に、大事に、保管したらしく、薄い電報用紙は厚手の紙に糊付けされている。

電報は、ホノルル発:1941年12月11日。
親元への送達は1941年12月13日。
電文は「am OK, dont worry, write when can」(三浦流に意訳すれば、「俺は大丈夫だ、生きている、心配するな、後で手紙を書く」となる)。
色々な電報を三浦は通信のコレクションには入れているが、このマテリアルは、通信のマテリアルとしてだけではなく、第2次世界大戦を物語るマテリアルとして、戦地からの生々しい情報を「電報」で伝えているという「通信」のコレクションにマテリアルとして、使用できそうである。


 

 

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20056月 テレビにデビューしました


三浦がテレビデビューしました。
東京地区では520日深夜2415からテレビ朝日で放映された「タモリ倶楽部」における「超マニアックな図鑑」の特集番組において、です。おもしろい経験でした。


話は412日(火)の鉄道切手月例会日に突然やってきました。
タモリ倶楽部という番組はハウフルスという番組制作の専門会社が担当しています。
その神山ADが月例会後の2次会の席に参加、2004年に刊行した「最新世界鉄道切手総図鑑・追補版」をマニアックな図鑑の一つとして取り上げると、番組への参加要請がありました。

そして、編集者として三浦が番組に登場することになりました。
翌日13日(水)の夕方、三浦はハウフルスに行き、打合せ。追補版のいきさつなどを番組制作者に説明。
単に鉄道切手図鑑としての紹介ではなく、マニアックな側面を出すことで、これも鉄道切手?と、鉄道マニアでもあるタモリを驚かせるクイズ的なトーク番組にすることになりました。

カメラ収録はなんと4月16日(土)の午前中に、話が飛んできてから4日後、新宿の曙橋のスタジオで行ないました。
カメラ収録では、番組で見た方にはわかるように、タモリとやくみつるなどが図鑑に関してフリートークを行い、傍らにその図鑑の発行者(もしくは編集者、著者)が座り、質問などに答えるという形式で、図鑑毎に2030分かけました。
その中から23分ずつ適当な場面が選択されて、番組に編集されています。

番組では「わずか25部製造・・・・」がトピックスになっていますが、「高価な、超マニアックな図鑑」としてカラー印刷版が取り上げられたからです。
収録ではモノクロ版、CDR-OM版に関しても説明しました。これらはカットされています。


 

 放映されたテレビ画面から

 

 

*20057月 NHK創始時の年賀状

 

E bayでマテリアルを入手することが多い、といってもその数量は月に1点あるかないかである。
日本のヤフーもヤフオクと言われているように、ネットオークションを行なっている。
こちらは三浦にとって欲しい切手や郵趣品はめったに出てこない。
もっとも毎日出品物をチェックしているわけではないが、E bayに比べると内容量がまったく異なる。

そうした中で、この6月にヤフオクで久しぶりに三浦の欲しいものを見つけた。
愛知県にいる放送関係の切手収集家(合ったことはないが、お互いに知っているという関係)と競合となったが、遠慮せずに、ちょっと高めで落札に成功した。下図に示す。

日本のラジオ放送は1925年に、東京・芝の愛宕山の東京放送局で始まった。
この年賀状は昭和411日付け(1929年)、東京中央郵便局消印で、東京中央放送局から差し出されたものである。
当時はまだNHKとは称していない。
それだけにラジオ放送の草創期の年賀状、それも愛宕山の放送塔が描かれており、ラジオ放送の良いマテリアルになる。

できれば、当時の放送局に勤務していた人(差出人)の添え書きがあれば、面白いが、何も書かれていない。
さらに、欲を言えば、もっと早い時期の東京放送局からの差出の手紙や、年賀状が欲しい。
開局1年以内のものが・・・・ これは願望か?

 

 

 

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*20061月 今年の大名刺に代えて

 

例年1月例会での大名刺、今年は、リーフではなく、支部報への原稿を兼ねた、最近入手したマテリアルの紹介を行います。
年明けに届いたヤフーオークションで入手した葉書
2点です。

1は鉄道のマテリアルです。
押印してある特印は神戸局
10-10-14鉄道50年記念印です。
描かれている絵は鉄道開通当時の錦絵です。
よく見ると鉄道線路に沿って電信線が描かれています。
鉄道の開通に伴って、鉄道運行の為に電信が引かれているのです。
この電信の資料として、三浦は入手しました。

2は大阪中央局10-4-20の通信文化展の小型印が押印してありますが、絵は東京大阪間写真電報開始を記念する絵です。
写真電報そのものも欲しいのですが、未入手です。その代わり、写真電報に関連するマテリアルとして、入手しました。
厳格に言えば、これらの絵はテーマコレクションには使用できません、
でも、タイトルページなどには使用するなど、有用なマテリアルです。

 

 

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*20061月 欧州出張の記


三浦は10月の月例会を欠席しました。これは、この時期に欧州に出かけていたからです。
2005
105日から7日にかけて、フランクフルト(マイン)で開催されるJISC-CENELEC意見交換会という欧州と日本の政府関係の規格制定組織間の会合で、EMF(電磁波の健康影響)に関する論議も行なわれることから、業界(電子情報技術産業協会)のEMF専門委員会(三浦はこの委員会の幹事です)を代表して、参加することになりました。

そして、せっかくドイツに行くのであるから、会議終了後にそのまま帰国せずに、欧州各国の会社・組織とEMF問題に関する意見交換などを行なってはどうかということになりました。
結局、1010日の週は、ドイツ・スイス・スウェーデンを回ることになりました。帰国は1016日の日曜日でした。

この間、フランクフルトの郊外の町Hanauで上記国際会議に出席、その後はフランクフルトでのドイツのIT機器工業会との交流、スツッツガルトでの電磁界測定器メーカの訪問、スイスはジュネーブに飛んで、ILOWHOといった国際機関の訪問、ECMAという規格制定機関の訪問、ストックホルムへ飛んで、TCOという規格制定機関やコンビノーバという測定器製造会社訪問などを行いました。これらの仕事関係は堅い話になるので、割愛します。

でも、図1に示すように、会議での三浦のプレゼンには多少でも関連する切手を入れてあります。
多くの日本人は会議の資料に趣味の切手などは入れませんが、三浦はあえて挿入します。
会議の雰囲気を和らげ、会議後の懇談などがスムースになる、という効果があります。

 

 

図1 会議での資料に切手

 

 

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20062月 これもタイタニック

 

2006214日、鉄道切手部会の定例会に出席するために目白に出かけました。
夕方からの定例会の前に、10万種の張り込み帳を見ることもあって、早めに出かけました。
張り込み帳からは50枚程度の使用済みを入手しました。

そして、カウンタを見ると200円均一で小型シートが箱に一杯有りました。
その中で見つけたのが、以下の図に示すコモロ1998年発行の小型シートです。
よく見ると新聞売りが「Titanic Disaster(タイタニック号大惨事)」という号外でしょうか?売っている画面が描かれています。

タイタニック号の遭難事件は、無線通信の歴史のなかでトップに記述すべき事象です。
マルコーニに始まる無線通信の有用性が証明された事件です。
遭難時、最も近くにいた船舶には無線通信設備がなく、救助には参加せず、無線通信を積んだ船舶が救援に駆けつけて、そのためにかなりの人名が救助されました。

これを契機に、船舶に無線通信機を搭載する方向になり、またマルコーニの無線会社は他社の無線通信を搭載した船舶とも通信を行うことになりました。
今では信じられないことですが、マルコーニ無線は、他社の無線機を積んだ船舶との交信を行わなかったという、事業独占力をむき出しにしたビジネスに大きな批判を浴びたのです。

これらのことから、この小型シートも三浦の「通信」に関係するマテリアルになります。
船は描かれていなくても、これはタイタニック号関連のマテリアルではないでしょうか?

 

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20064月 燈台と佐野常民

 

325日に江ノ島で「灯台フォーラム」が開催されました。
この灯台フォーラムは、灯台を見るのが好き、灯台グッズを集めるのが好き、灯台の写真を撮るのが好き・・・・と何らかの形で灯台が好きな人間が集まって、話を聞いたり、話をしたりする私的な会合です。
このフォーラムで、お土産にもらったのが、燈光会発行「登れる灯台14基 その歴史」という小冊子です。
この冊子を帰路、電車の中で見ていました。
なんと、以下に示すような記事が掲載されていました。

佐野常民:
明治3年(1870年)灯台関係の事務が工部省燈台掛に移され、翌4年燈台寮に昇格した時の初代燈台頭が佐野常民です。
佐野といえば、日本赤十字の創始者として知られていますが、灯台草創期において佐野の灯台事業に果たした役割は大きく、その見識と先見力がなければ、いかにブラントンが秀でた技術を持っていたとしても、莫大な予算を要する灯台の建設は進まなかったと思われます。


そうです、佐野常民は赤十字社の創立者として、19391115日発行、赤十字条約成立75年の記念切手の4銭と20銭に肖像が描かれているのです。

こうなると、佐野常民は「灯台」関係者として三浦のコレクションに入れることになります。
ヤフーオークションに4銭の縦ペアが出品されていましたので、未使用ですが、取りあえず入手しました。
そして、これからは切手展のブースなどで、これらの使用済を探していくことになります。

さて、こうした情報はたまたま三浦だけが知らなかったのでしょうか?「灯台 佐野常民」というように2語をキーワードにインターネットで検索をして見ました。

ばっちりとヒットするものがありました。
佐賀市にある佐野常民記念館のWEBには灯台に関する記述もありました。
2006
46日のログです。
参照URLhttp://www.saganet.ne.jp/tunetami/con_18/con_18.html

マルチ人間“常民”の奮闘人生アラカルト
常民は明治政府の要職を歴任してさまざまな分野で活躍するようになります。
1869
(明治2)年からは、日本海軍の創設、イギリス式兵制の採用、洋式灯台建設の推進など、欧米諸国に肩を並べる国家づくりに貢献しました。

 

そしてさらに、この記念館のWEBには、以下のような電信機の話も出ていました。

1857(安政4)年、常民は中村奇輔らとともに精煉方製作の電信機をもって薩摩に赴いた。
写真は中村奇輔製作の電信機として諫早の旧家に伝えられるもの。


幕末に薩摩では電信機の実験を行っています。
その実験に関与したのが佐野常民となり、佐野常民はこうした事情から、三浦の電気通信の切手に堂々と掲載する対象となりました。

 

 

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20065月 アルゼンチンへの移民 受け入れの電報

 

最近E-Bayで入手した面白い電報です。関係する本人にとっては極めて重篤な電報です。
よくもよくもこのような電報が残っていたのだと感心します。
たぶん、当事者がなくなったので、下図の中央に貼られている写真の子供もたぶん亡くなったので、遺族が手放したのだと思います。E-Bayへの出品者はアルゼンチンの住民です。

この電報はアルゼンチンの移民受け入れ管理局とでも訳すのでしょうか、そこからイタリアのベニス(Venezia)宛に、192737日に発信、ベニス到着は同年38日、受け取ったMaria Tosonさんは自分と子供の写真を添えて、1927422日に在ベニスのアルゼンチン領事館に出向いて、移民の手続きを行ったものと推定されます。
アルゼンチンの印紙や大使館の副領事のサインなど目一杯に書き込まれています。

これを確証にして船でアルゼンチンに移住したのでしょう。
この電報はその受け入れの確証として大事に保管されていたのでしょう。
これは電報が貴重な情報伝達の手段として利用されていた例として、三浦の将来作成するコレクション「時空を超えた情報伝達」を構成するマテリアルの一つになります。
周りがちょっと破けているのと、ちょっとばかりおおきくて、リーフに貼るのが困難 という難点はあります。


 

 

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20065月 EBayでバトル


最近E-Bayで入手した面白い電報です。
東京海洋大学海洋科学部の練習船海鷹丸からフォークランド島の管理部へ当てた電報です。
このほかに、フォークランドの管理部から海鷹丸への返信電文の発信控え、管理部から港の担当部署と思われる部門への発信電文の控えなど合計6通、それになぜかフォークランドのガバナーから管理部へ届いたConfidential(極秘)電報、いずれも1961年当時の電報です。

以下の図は海鷹丸が、オーストラリアのフリーマントルからケープタウン経由でフォークランドへ行く、予定の到着は15日頃の予定、「入港の許可と、給水の依頼する」電文です。

E bay
でこの電報を見つけたとき、これは、実用的な船舶との通信、電信の利用ということで欲しいと思いました。
「時空を超えた情報伝達」のテーマのマテリアルです。とりあえず20ドル位でビット。そこからバトルが始まりました。

数日後に、船関係のものを集めていると見られるカナダからより、より高値で入札がありました。
これは激しい競争になると感じ、そのまま放置、締切りギリギリに再ビッドすることにしました。
締め切り1時間前にチェックをしたら、その数分前にカナダからダブりのビッドが入っていました。
同じ価格で、ちょっとの時間の差で、新しいビッドが記録されていました。
これは価格が表示されていないが、現在の価格表示より高いビッドを入れてある証拠です。

これは、同じ時間に、同時に締め切りを迎える、敵もこのビッドを見ている、これはバトルになる、これは大変なバトルになると感じました。
この電報は、100ドル程度までいくと、予想しました。
そこで、9分前に、100ドルまでは相手も札を入れるだろうからと、120ドルでビッド。
そして、時間の経過を見ました。E bay上での表示価格が、上がるか否かを観察し続けました。
5
分前でも、価格は変わりません。このままでいけば、60ドル程度で三浦の手に落ちます。
締め切りの2分前に価格が動きました。70ドル、そして80ドルと、あがっていきました。
敵が動いている。101ドルになりました。1分前です。

よし、そこでと、150ドルで再度ダメ押しのビッドをしました。
とれるなら取ってみろ という感じです。
夜の3時にバトルは終了、最終的には、103ドルで三浦の手に落ちました。
久しぶりに、1年か2年ぶりのE bayでのバトルでした。
最後の2分前にビッドしてきた敵はカナダの人ではなく、スペインの極地郵趣を集めていると思われる人でした。

ということは、締め切りの1時間前から締め切りまでの時間は、日本で三浦が、カナダとスペインで同じものを狙ってバトルを繰り広げたことになります。
出品者はアルゼンチン、現物が届いたので、紹介します。

 

 

 

 

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20067月 信濃丸の絵はがき

 

電気通信をテーマとする三浦にとっては信濃丸と戦艦三笠は関連するマテリアルとなる。
幸い三笠は風景印に残っているので、最低限度のマテリアルは入手できている。
日露戦争の時、ロシア艦隊を最初に発見し「敵艦見ユ」という無線電報を打電したのは信濃丸である。
これを受けて三笠などは出航し、日本海海戦となっている。

日本海海戦は電気通信というか無線通信の歴史の中では、如何に無線通信が有効であるかを示したエポックとして、タイタニック号の沈没と並ぶイベントである。
こうしたことから無線通信の意義が認められ、開発に拍車がかかり、普及していったといえる。

信濃丸に関しては、まったくといってよいほどの郵趣品はない。
せめて絵葉書くらいは・・・と思っていたが、今回、Yahooのオークションで見つけた。図に示す。
幸い実逓であり、台北郵便局明治43722日の消印もあり、堂々と無線通信のコレクションに入れることができそうである。

 

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20067月 電気の切手とタバコの切手接点


三浦の収集テーマの電気の切手と、川床さんのテーマ「たばこ」の切手の間に接点というか収集の対象が競合することがあるのでしょうか?
ないと思っていましたが、なんと出てき他のです。それは、平賀源内です。

平賀源内はエレキテルの研究者として、三浦のコレクションでは重要な役割を占めます。
その平賀源内がタバコを吸っている絵が年賀消印になっています。
12001年の香川県志度郵便局の年賀印です。
志度には一度三浦も行っていますが、平賀源内の旧宅が記念館として残っています。

さらに、同じ図柄がこのほど切手としても登場しました。
2はその絵葉書に記念切手を貼り、志度郵便局の風景員(平賀源内の銅像を描く。
足元にはエレキテルも描かれている)を押印したマキシムカードです。
平賀源内とタバコの関係度はどうなのでしょうか?本草学もやっていたので、源内はタバコも研究した??
こういうところに接点というか競合する点があります。

 

 

 

 

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20067月 メータースタンプと電気

 

三浦は電気・電子に関連する様々な郵趣材料を収集の対象にしています。メータースタンプもそのひとつです。
関連する広告の入ったメータースタンプは、テーマコレクション構成には面白い役目を果たしてくれます。

そして、JPSのメータースタンプ部会にも一応、席はおいてあります。
なにしろ電気に関係する広告入りしか集めないので、部会活動にはほとんど不参加です。
でも、今回、メータースタンプ部会でミニペックスを開催するということで、世話人の請地さんからも依頼を受けたので、手元の電気に関係する広告入りメータースタンプを32リーフほど、出品しました。
6
22日から25日、目白の切手博物館で開催されましたが、あいにくと秋田の義兄の葬儀となり、ミニペックスには参観できませんでした。
記念カバーと、三浦の出品作品のリーフのみ紹介します。

 

 

 

 

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20067月 詫び状も郵趣のコレクション材料? 

   

三浦に届いた保険会社からの詫び状です。
不適切な保険金支払いなどで金融庁から行政処分を受けたことに対するものです。
三浦はこの会社の何の保険に入っていたのか忘れていました、たぶん家を新築したときに、ローンに関して強制的に加入させられた長期火災保険かも知れません。
このような手紙は滅多にもらえないので、これも郵趣材料として保管しておきましょうか・・・
詫び状と封筒を重ねて以下に示します。

 

 

 

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20073月 1735年ドイツ・ハノーバのスタンプレスカバー

 

三浦のテーマ「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に、ちょっと古いスタンプレスカバーを一枚くらいは、できればカリグラフというか渦巻き型の手書きマークが描かれた封筒を入手したいと願ってきた。
ドイツのガートナのオンラインショップを覗いたら1枚だけ希望のものがあったので購入した。
70
ユーロである。決して高くはない。以下にその表を紹介する。

ガートナの説明はいたって簡単で「1735 Hannover Vorphilatelie(ドイツ・ハノーバ地区の切手発行前のスタンプレスカバー)、nach Verden(ベルデン行き)、Kabinett-Schnorkel brief(渦巻き型の手紙の封筒)、Gebr(使用済み)」としか書かれていない。

Verden
はブレーメンとハノーバーの間にある町で、ワールドアトラスに出てこない、比較的小さい人口3万人弱程度の町である。
これはドイツのWikpediaと手持ちのワールドアトラスで調べることができた。

Kabinett-Schnorkel brief」という説明で、Kabnettは内閣もしくは君主の枢密顧問の意味もあり、Schonokelは人の名前で、もしかして当時のハノーバーの君主の枢密顧問かと想像した。
そこでドイツのYahooで検索してみたが、まったく見つからない、「Kabinett-Schnorkel brief」でヒットするのはドイツの切手のオークションに出てくる類似のカバーだけである。

Kabinett
 Schnorkel briefは渦巻き型の手紙の封筒と解釈した方が良いようである。
宛名と思われるErnst christian KrimperrもドイツのYahooで検索するも何も出てこない。
普通の人間の名前かもしれない。
もっとも差出人や受取人が有名であれば、ガートナはもっと高い価格をつけるであろう。
数時間、インターネットで情報検索をして楽しみ、その結果をこのメモに残す。これが郵趣の楽しみかも知れない。


 

 

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20073月 1945年のエアグラフ

 

三浦のテーマ「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に、アメリカのVメールと共に一枚くらいは英国のAir Graphも入れたいと思った。
以下に示すのはカナダの某オークションで落札したマテリアルである。
V
メールもAir Graphも共に同様なステムで、戦地やで発信元で書かれた手紙はマイクロフィルム化にされ、航空機であて地に届き、そこで拡大・複写されて、あて先に届くというものです。

イギリスのAir Graphは第2次世界大戦中、英国郵政によって導入されたシステムで、特定の様式の用紙に手紙を書き(差出人・あて先も同一面に記載)、写真撮影してマイクロフィルムにする。
1600
通のAir Graphのマイクロフルム化された重さは5オンス程度になる、これがもし手紙として現物を運ぶとなると約50ポンド(約23kG)になる。
飛行機ではこの程度の重さでも手紙を運ぶのは困難なことから、1941年にイギリス本土と中東間で開始し、その後に徐々に達範囲を広げた。
最終的には1945731日で終了した。

この日付からみると日本はまだ終戦を迎えていない段階での終了である。
特定の様式に書かれた手紙は写真撮影後に、焼却処分されるはずである(図2の下部、サービスの説明書の中にもその旨が記載されている)が、以下の例は194575日、オーストラリアのシドニー差出で、カナダのトロント宛であるが、サービス終了間際のためか、処分を免れて、収集家の手元に残ったものと思われる。

Formica Sample
云々の話が書かれている。
フォーマイカとは、家具の表面仕上げなどに用いられる強化合成樹脂のことである、このAir Graphは商用便と思われる。

図1 手紙

 

 

図2:裏面の説明書と切手の貼付

 

 

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20074月 Great Western号で運んだ1840年のスタンプレスカバー


三浦のテーマ「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に1通位は、明らかに船で運んだ手紙・郵便物を入れたいと思った。E bayで色々と漁っている中で、以下のマテリアルを入手した。
1840
年にイギリスからGreat Western号(1838 年進水、1320トン)でアメリカ・ニューヨーク経由ケンタッキー宛のスタンプレスカバーである。

船に関しては知識のない三浦でも、Great Western号となれば、切手にも登場している船として知っているので、コレクションには最適と思う。
この船で運ばれた云々はE Bayの出品者はまったく記述していなかった、掲載された写真(図3と同じ)をみて、不鮮明な画像から、Great Western号で運ばれた手紙と判定し、ビットした。

ロンドンで1840116日に書かれ、ニューヨークの中継印は1124日である。
このマテリアルはフランクリン・ルーズベルトコレクションに入っていたもので、1946年切手商ハーマの赤いスタンプが押印されている。
この折込み手紙の半分はロンドンにおける煙草の価格表となっている。
達筆な手書き文字で、この手紙だけでは内容を理解することはできないが、煙草の商取引に関するビジネスレターであると想像している。

さて、J・ダンロップといえば有名なタイヤ屋である。
岩波人名事典を調べる「John Dunlop (1840-1921):スコットランドの発明家、1888年空気タイヤを発明・・・」とある。
残念ながら人違いである、このタイヤの発明家は生まれてまだゼロ歳である。

 

  

図1:煙草の相場表が裏表に記載      

 

図2:ロンドンで書かれた手紙

 

 

図3:説明付のマテリアル

      

ルーズベルトコレクションは大統領官邸宛に届いた手紙に貼られてきた切手を全て集めた・・・と、決して高級なフィラテリストであるとは思っていなかった。
しかし、こうしたスタンプレスカバーまで集めていたとすれば、立派な収集家である。

 

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20074月 1782年トルン・タクシスのスタンプレスカバー 

 

もう一枚のドイツのスタンプレスカバーを手に入れた。
今度は、郵趣の世界では有名なトルン・タクシスのスタンプレスカバーである。
これもドイツのガートナのオンラインショップで見つけたもので、50ユーロで、決して高くはない。

ガートナの説明はいたって簡単で、「Thurn & Taxis: 1792: Einsenach,  Decorativer Kabinett - Schnorkel brief(渦巻き型の手紙、装飾模様の封筒)」としか書かれていない。
1792
年にエイゼナハ宛にトルン・タクシスによって送達された手紙となっている。

Eisenach
(アイセナハ)は、ちょっとネットで調べてみるとドイツの中央部(旧東ドイツ)にある町で、古城があり古くからの中心地のようです。
中の手紙はびっしりと書かれており、ビジネスに関連した手紙ではないかと想像します。
中身を解析してくれる人が欲しいものです。

関係ないかも知れないが、現在のタクシー(Taxi) の語源はこのTaxisであるとされる。

 

 

 

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20054月 エスペラント語の葉書


最近、EBayで以下のものを入手した。
1913
年のスタンプレスの絵葉書で、ポーランドのワルシャワの鉄道郵便印(と、説明にあるが、詳しいことは知らない)が押されている。
書かれている言語がエスペラント語であることから、三浦の将来の「通信の歴史、時空を超えた情報伝達」のコレクション用に、入手した。

エスペラントは1887年、当時ロシア領だったポーランドのユダヤ人眼科医ザメンホフ(L.L. Zamenhof)が提案したものである。
単語の要素(形態素)を主にヨーロッパ諸語から取り入れながら、造語法と文法が整理されているので、他の言語に比べてはるかに容易に修得することができると、される。

インターネットの攻勢で、近年「英語」が大きな影響力を持ってきているが、それ以前は、ひそかな国際共通語として期待された言語である。
この葉書は発案者の母国での使用ということから、また、考案されて26年後と比較的初期の言語使用ということからも、興味がある。

 

 

 

 

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20067月フランスの気球郵便

 

1870年にパリがペルシャ軍に包囲された時、気球を利用して郵便をパリの外に運んだという話は聞いたことがあると思う。
バルンモンテとして、切手展にも登場するし、日本宛の気球郵便もある・・・と話題になる。
この気球郵便を1通、入手した。

なぜか?三浦の「時空を超えた情報伝達」という近い将来JAPEXに出品するテーマのマテリアルとして、使用するためである。
情報伝達という観点から、三浦のコレクションに入れるバルンモンテは、情報伝達に関連していなければならない。
単に封筒・カバーだけでは不十分となる。

今回入手したバルンモンテには中身の手紙が入っており、かつ、フランス語は読めない三浦にとって好都合な全文英訳されているから、Ebayで落札した。

手紙の内容を一部、英訳された文章を日本語に翻訳(それなりに意訳)します。
なかなか、泣かせる手紙です。

「両親へ
風向きが変わらず、問題なければ、モンマルトル広場から毎日午前中に、バルンモンテ(荷物を積んだ気球)が出発するという報告があります。
パリ市民からの手紙を外に運び、そしてパリ市民への手紙を持ち帰ります。

だから、この手紙がそちらに届いたら、即座に返事を下さい。
封筒に入れたりする必要はありません。
薄い便箋を使用し、切手も含めた重さは4グラムを超えないようにしてください。

さて、近況を報告します。私は元気です。
体操をしたりして健康は維持しています。
一方活動の方は、色々あります。防衛軍としての活動もあります。
本職(ビジネス)は完璧に停止しています。事務所に行って、34時間、そこに黙って座っているだけです。

数日前に2回ほど防衛軍としてガードにつきました。
しかし、ペルシャ軍は一人も見ることはありませんでした。
毎日、ペルシャ軍と我が防衛軍の前線とは小規模な戦闘があります。
・・・・昨日からキャノン砲で砲撃が始まりました。今日は昨日の2倍くらいの量をぶっ放しています。・・・

火曜日の午後10時の戦闘、偵察隊がペルシャ軍に占領されていたBayneux村を攻撃し、大きな戦闘となり、やつらを撃退した。
ペルシャ軍側の死者は1,000名、その他に200名を捕虜とした。・・・・・
最後に、お父さんはどうしている?狩猟に行っている?Juleおじさんなどにも手紙を出したが、無事に配達されているかわからない。

信じてもらえないかもしれないが、何も送ってくれる必要はない。自分で何とかできている。
ちょっと不便なこともあるが、それなりに十分な生活です。
お父さん、お母さん、泣かないで。しばらくすれば生きて私と会えるよ。・・・・
1870
1014日 午前2 Guston より」




 

 

 

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20067月  使用済み作成

三浦は使用済切手を得るために、時には未使用切手を封筒に貼って、切手の発行国の送り、消印を押して戻してもらうことを行っている。
8
月にウガンダ、象牙海岸、ガンビアというアフリカ諸国に発送した。
なんとか2ヶ月程度で以下の2カ国からは戻ってきた。

でもまだウガンダからは返送はない。
なかなか使用済み作成も大変です。
以下のエンタイアは、スキャナで取り込んでから、当然ながら水はがしされてしまい、現存はしない。




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20067月 エンタ作成 その2

 

三浦は使用済切手を得るために、時には未使用切手を封筒に貼って、切手の発行国の送り、消印を押して戻してもらうことを行っている。8月にウガンダ、象牙海岸、ガンビアというアフリカ諸国に発送した。
なんとか2ヶ月程度で以下の2カ国からは戻ってきた。

でもまだウガンダからは返送はない」と報告したが、ウガンダからは2週間ほど遅れて届いた。
それも丁寧に別の封筒に入れて、書留便で、送り返してくれている。



 

 

 

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20067月 アメリカの電報

 

最近E-Bayで入手した単なるアメリカの電報です。
このWestern Unionの電報の裏には図1に示すように、多数の電線が引かれた電信柱が描かれており、電信のテーマにちょっと欲しいと思っていたもの。
入手して電文を読んでみました(図2)。

Received N.Y. C&H.R.R. STA. 125th St. Mar 25 1912 Dated Washington D.C. 25 TO; L. H. Perlman Esq. 1988 Madison Ave My petition denied. But decision not yet signed, can be altered today, but tomorrow too late ten days extension granted. Tell Judge Phone me immediately. M. Kitchen 1049 Ave,
1912525日ワシントン発 ニューヨーク マディソン街1988のパールマンへ 私の申請は拒否された。しかし、まだ最終決定(サイン)されていない。本日であれば変更可能、明日では遅すぎる、10日間の延長は可能。審査官に伝えてくれ、すぐ電話をくれ、1049番地のキッチンより 」という内容です。

何と「電話をくれ」という文言が入っています。
そうです。こうなれば、この電報は三浦の「電気通信・電話の利用」の貴重なマテリアルになります。

 

図1

 

2

 

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20067月 中国のエラーを発見?


変なものを見つけました。
中国1993年に発行された毛沢東100年の5元の小型シートです。
よく見ると、背景にある金色で印刷された記念の文字が逆になっています(図1)。
なんと、それだけではなく、切手の部の編号(J 1993−17)も逆になりっています(図2)。
編号の印刷は別の版で印刷しているのでしょうか?そうでなければこうしたエラーは起こりえません。

いつ三浦が入手したか?まったく覚えていません。
こういう切手は三浦の収集の対象外なので、購入したり、もらったりすることもありません。
何かを買った時に、一緒についてきたもので、そのまま箱入りになっていたと思います。
整理して見つけ、タバコを吸っているので、川床さん行きかと思いましたが、中国切手のエラーということで、中国切手の関係者に渡します。

 

 

 

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200610月 Fスタンプの隠し文字

 

郵趣ウィークリーに隠し文字の紹介があったので、現物から、三浦の2400DPIのイメージスキャンで画像を取り込んでみた。
シルバフレーム版(図1)の場合、丈夫の日本郵便の上、右と下端に微小文字でJAPANPOSTと入っている。
文字の大きさは文字高で約0.2mm(三浦の60倍のショップ顕微鏡、スケール付で測定)である。
2に部分拡大図を示す。単に拡大率ではなく、どこまで細かい点を取り出して拡大できるかが鍵である。
参考までに図2・4・6の拡大率は面積比81倍である。

 

川床さんが作ったFスタンプを図3に示す。
この右上部の縦棒はJAPANPOSTでTは〒になっている。
この黄色フラワ版では額面80の横に透明インクでPOSTと入っている。
斜めから見れば読めるが、さすがにスキャナもこの透明インクは検出できない。

 

川床さんが作ったFスタンプのもう一枚を図5に示す。
この右下部、日本郵便の右上部の横棒はJAPANPOSTでTは〒になっている。
この青フラワ版では額面80の横に透明インクでJAPANと入っている。
斜めから見れば読めるが、さすがにスキャナもこの透明インクは検出できない。残念。

 

 

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200612E Bayでのバトル 灯台の1891年の特印


E bay
でのバトルの第2報です。
以前にバトル(対抗者は欧州とカナダで、3大陸を越えてバトルを実施)したことがあった。
今回の対象マテリアルはイギリスの古い1891年の特印です。
これだけ古い時代の特印はめったにないもので、灯台のコレクションをまとめるにあたっては欲しいマテリアルの一つです。

知り合いのイギリスの灯台切手の収集家が持っていました。
この特印を押印した特製葉書はドイツの業者CGartnerのリストでは120ユーロという値段がついていました。
たまたま「灯台」をキーワードにしてE bayを検索していて見つけましたのでビッドしました。

当然ながら、世界の灯台切手のコレクタはこれを見のがしてはくれません。
5
名ほど(どういう人がビッドしているかをみるとフランス・ベルギー・イギリスの灯台切手のコレクタと思われる)のビッドがあります。全て欧州勢です。

締め切りは日本時間で125日の午後4時半でした。
この時間は欧州の時間としては朝の8時頃です。
朝一番にこのマテリアルの為に、ぎりぎりでビッドを入れる人はいないと踏んで、たぶん問題なく落手できると思いました。
1
日前の段階ではベルギーの人が最高で25ポンドになっています。
ぎりぎりでこれよりも高くビッドしてやろうと思いました。

念の為に、締め切り1時間前に50ポンドと適切と思われる価格でビッドをいれました。そして誰かビッドしてくるかを、他のことをやりながら、みていきました。
5
分前でも動きはありません。これで落札かと思いました。
でも、締め切りまで2分をきった付近からは連続チェックを開始しました。

そうしたら他からのビッドの動きがありました。
それならば と、これまでの最高額50ポンドを60ポンドに再度ビッド、締め切りの5秒前には70ポンドで再ビッドを入れました。
ここまでやって、だれかが「Buy(締め切りぎりぎりの最高価格に対して決められた上乗せで取ってしまうことのできる落札制度、これば非公開で、締め切らないとBuyのビッドが出ていたかは判らない)」のビッドを入れていればあきらめよう、思いました。

ぎりぎりの時間にビッドを入れてきたのはフランスの灯台切手収集家でした。
最後に記録を見ると、15秒刻みで4回もビッドを入れています。
三浦の入れた価格に追いつこうとしてがんばってくれたようです。

でも、三浦の方が上手でした。最終的な結果は45ポンドで落札しました(送料も入れて支払い金額は10,700円、久しぶりに1万円を超える買い物をしました)
最初に狙った価格程度で落札できました。

右図にそのマテリアルの画像(表と裏)を紹介します。
この灯台の特印の数年後に、類似の灯台の特印が使われています。
それも入手できれば良いのですが・・・・

説明から:Very Rare Souvenir Postcard with Special Hand stamp QV 19th. July 1891
Postcard QV 1/2d Brown Postal Stationery
Postmarked for the Royal Naval Exhibition
Postmarked at the Post Office at the TOP of EDDYSTONE LIGHTHOUSE


 

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2007年 カタパルト郵便も情報伝達のテーマに

 

三浦の今年のJAPEX07出品テーマの「時空を越えた情報伝達」は、例年になく熱が入っている。
これまでの電気通信から、かなり足を出して、幅広く情報伝達に関するマテリアルを集めている。
カタパルト郵便は、「1日でも早く手紙を届ける手段」としてコレクションに入れるつもりで商用カバーを1通入手済みである。
以下は、今般入手したものである。

1935
年ブレーメン号で欧州からアメリカへの航海中にブレーメン号の専用便箋に手紙を書き(日付は57日)、58日の消印が押されて、アメリカ・テネシー州ナッシュビル宛に出されたもの。
テネシー州での着印はない。封筒もブレーメン号の専用である。

ここまで揃うと、ブレーメン号でアメリカ・テネシー州を訪問する予定の乗客が、訪問先宛に、カタパルトが発進する前に手紙を書いた、「航行中の船の中からの情報伝達」の例として、テーマ展開に利用することができる。

 

 

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20072月 電信と航空便の組み合わせ

 

昔、アメリカや欧州向けの輸出を見ていた頃に、大量の部材や製品を送る時、日本から欧州に出荷する場合は航空機を使用すると高額の輸送費がかかる、船便で送ると安いが輸送に時間がかかる。
そうした時に、Sea & Airという言葉が良く出た。
アメリカの西海岸までは船で運ぶ、たとえば10日で届く、そこから欧州へは飛行機を使用する。そうするとかなり格安でものを運ぶことができる。

これを郵趣の面でみると、カタパルト郵便のように船と飛行機の組み合わせがある。
今回三浦が入手したのは、以下の図にあるように、船舶内の無線局からアメリカの西海岸(RCAのロサンジェルスの無線局)までは無線電信で、そこからイリノイ州の届け先までは航空便で送る、というSea・Letter Telegramである。

1946
年アメリカから商売人、おまけについてきたその他の資料などから判断して、クリスマスにアメリカで飾るダックの剥製を大阪にあるアヒル農業協業組合に買い付けに来たビジネスマンが、自宅宛に送ったものである

 

 

 

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20073月 中国の切手、透明インク印刷の秘符、海上の雷

 

最近中国の収友から届いた切手です。
使用済みにこだわっているので、きちんと注文消しで送ってくれています。
灯台を描く切手で、これも三浦のテーマの一つです。

さて、右端にD492917Cというインクジェットと思われるスプレィで絵かがれた黒文字がマージンの部分に印刷されている。
これと同じ文字が、なんと全ての切手上に、透明インクで描かれています。
イメージ・スキャナでは画像として取り込むことはできませんでした。
切手を少し斜めから見れば文字が見えます。

それと、4種の灯台切手ですが、最端の灯台切手には、珍しく、海上に発生し、海に向かって落ちた雷が描かれています。
図1の当該部分を丸で囲んであります。
そしてその部分を1200dPIの画像で取り込んだ拡大図を図2に示します。

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20073月 額面93の切手をゲット

 

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
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から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では79と91は、切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

今般「93」という額面の切手を見つけた、200612月にカナダが発行したランを描く通常切手のシリーズの中に93Cという額面の切手があった。
小型シートも発行された。カナダ郵政では通常切手の場合、カナダ郵政による初日カバーは発行されない。
使用済みが必須の三浦としては、やむなく小型シートの初日カバーを1枚、購入した。
以下に初日カバーと93c切手の部の拡大図を示す。
このFDCは最終的には水はがしをして、93cの切手だけがコレクションに残ることになる。
これで、残る未収の額面は4件に減った。

 

 

93Cを含む小型シートの初日カバー

 

 93C切手の部 拡大図

 

 

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20073月 ドイツのスタンプレスカバー


ドイツのスタンプレスカバー、折込み手紙、1819年の使用例をEbayで入手した。
「時空を超えた情報伝達」にスタンプレスを入れよう、カリグラフとかなんとか言われている飾り文様が描かれた手紙を入れようとして探したもの。

この手紙は、ドイツのSchwerin(図1の右上に地名入りのスタンプがある)から、Preveshagen/Grevenmuhlenに宛てたもの、図2は内側の手紙で、Freidrich Franz von Gottes Granden のレターヘッドが印刷されている。

手書きの飾り文字カリグラフの例として使用しようと思って入手したので、印刷されたものと判り、ちょっと残念に思った。
しかし、印刷したレターヘッドをこの時代に使用するのはかなりのレベルの人物と思われる。
Freidrich Franz von Gottes Grandenは現在のドイツ、その前の北ドイツ連合時代の、その前の地方ごとに分離していた時代の「Grand Duke of Mecklenburg Schwerin, Friedrich Franz von Gottes Grande」、大公国の君主である。
領主からの手紙と判った。
領主からどのような内容の手紙であろうか、ドイツ語で、しかも旧来のドイツ文字で書かれているので内容の判読はできない。判読できればおもしろいのであるが・・・・・

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20074月 ギリシャのヘルメスも通信の切手の対象?


郵趣の20073月号の表紙には、ギリシャのNo.1切手であるヘルメスを描く1lの切手が表紙を飾っていた。
この切手は、ギリシャ神話で神々の伝令役として登場し、通信の象徴とされるヘルメス(マーキュリー)の肖像を描く切手である。
となると、三浦の「時空を超えた情報通信」に入れる必要が出てきた。

スコットカタログを紐解くと、すごい、ギリシャの初期の切手は全て、このヘルメスである。
カタログを見てもどれがどれか判らない位に種類が多い。
スコット#1は価格では未使用も使用済みでも同じで300ドル程度になっている。
でも1枚は入手してコレクションに入れる?それも使用済みで。としてE bayで漁ってみた。

そこで、入手したものが図2に示すものである。
スコット評価の1割程度で入手することができた。
ちなみに図1は郵趣の表紙に飾った切手の転載である。
郵趣の表紙の切手に比べると、マージンがちょっと足りない。
これで勘弁してもらうことにする。

消印は「1」でコンスタンチノープルのようである。
他のE bayの出品物の説明から、局名に関する情報を手に入れた。
とりあえず比較をしてみてください。


図1 郵趣の表紙を飾った逸品  図2 入手した使用済み   


ギリシャの1番切手だけではなく、各国からヘルメス・マーキュリーを描く切手は多数発行されている。
それらはボツボツと集めてはある。

ガブリエルも通信を司った天使である。
こうした神話の時代の通信担当者の切手も、幅広い意味での三浦のコレクションの対象となる。
結構、収集の範囲は広い、というか広くしている。


 

 

20074月 新聞税切手も通信のテーマに

 

さて、三浦の「時空を超えた情報伝達」というコレクションは、最終的にはどのような範囲までを情報伝達とするかは、まだ定めないで、色々とマテリアルを漁っている。
最終的には電気通信の話に持っていくのであるが、この分野のマテリアルは手元にこれまでに集めたもので何とかなるだろうから、電気通信以外のマテリアルを見つけて、それから全体のテーマを構成しようと思っている。
おもにE bayで漁っている。新聞も情報伝達の有効な手段である。したがって新聞に関するマテリアルをちょっと集めて、2か3リーフ程度作るつもりである。
そのためのマテリアルとして入手したもの。
この他に、新聞関連としては新聞用の帯封の使用済みも入手してある。
実際の新聞がついた状態の帯封も1通だけであるが、昨年に入手済である。


 図1


以下(図2)に示すのは、フランスの新聞、Le Courrier de Sanne-et-Loire 1881611日日曜日の新聞で、折りたたんであるが、普通の新聞の大きさで、1面だけである。
新聞なのでかなりぼろぼろになっている。
この新聞には図1の拡大図に示すように、1cのフランスの切手が貼られ、その上に新聞が印刷されている。
この切手はいわゆる新聞税の切手となる。
切手を印刷した新聞に貼り付けて消印を押すのは手間がかかるので、最初に新聞用紙に切手を貼り、その上に新聞を印刷して、消印をかねるという手法である。

 

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20075月 松山収容所のドイツ軍捕虜の中に郵趣家


Ebayで面白いものを見つけた。三浦の収集テーマとはあまり関係のないものである。
色々と漁っていて、偶然に見つけ、手ごろな価格で落札できた。

図1は1915年(大正4年)11月発行の大正大礼記念切手4種完貼りのFDCで、松山の特印が押されています。
宛先は、実はこの宛先が面白いと思って入札したのですが、「Herrn H. Saxen Matsuyama Japan Yamagoye」となっている。
松山市山越のSaxen氏宛である。
多分これは松山に収容されたドイツ軍の捕虜宛ではないかと想像した。

歴史を紐解くと、大正3(1914)8月、日本はドイツに宣戦を布告、約三万の軍で青島を包囲した。
第一次世界大戦における日本の参戦である。
結果、日本軍は3906名のドイツ軍将兵を捕虜として収容することになった。
ドイツ兵俘虜が日本に連れてこられることになった。
彼らは最初全国の12ヶ所の収容所に収容された。

その12のうちの3つが四国にあった。
すなわち、松山、徳島そして丸亀である。
920名のドイツ兵俘虜がこれら3つの四国の収容所に収容された。
その内訳は松山の7ヶ所の収容施設に396名、徳島の2ヶ所の収容施設に約200名、丸亀の2ヶ所の収容施設に324名である。
松山地区では、当初は396名が大林寺(81名)、公会堂(現在の市役所の地)に180名、山越地区の5寺に135名が収容された。
弘願寺、長建寺、浄福寺、不退寺の4寺に各30名。通りを隔てた来迎寺に15名である。
ここで、松山市の山越地区が出てくる。

俘虜たちはこの3つの収容所で約2年半を過ごし、後にこの3つの収容所が今の鳴門にある板東収容所(坂東収容所郵便切手で郵趣家にもなじみの深い場所、大正6年(1917年)4月に開所)に統合され、そこでほぼ210ヶ月、合わせて約1,000名のドイツ人が、四国で5年数ヶ月を過ごすことになった。
坂東収容所は大正9年(1920年)4月に閉鎖されている。

次は、この宛名の人がドイツ軍の捕虜であることを確認することになる。
ネットを漁り、「チンタオ・ドイツ兵捕虜研究会」のWEBを見つけた。
このWEBには、判明している捕虜の名簿が公開されている。
実は、宛名が達筆で、読めなかった、
名前はH,姓の最初の文字は読めない、2文字目はaと他の文字との類推から判読、3文字目も読めない、4と6文字目はenと読める。
これだけの情報で、松山収容所の収容者名簿約400名の名前と照らし合わせて、最終的にSaxenと読んだ。
この図1のFDCは、実逓ではなく、押印後に自分で宛名などを記入したと思われる。
消印の上にペン書きのインクが乗っている。

さて、図2は大正819197月発行の世界大戦平和記念切手を、平和記念の絵葉書使用に完貼りし、徳島の特印を押印したものである。
こちらは名前だけを後で記入している。
この時期には、Saxenは松山収容所から坂東収容所に移っている。
すなわち、第2図のマテリアルは坂東収容所関連のマテリアルということになる。
捕虜の中に、収集家がいた、そしてこの郵趣品をドイツに持ち帰ったものと推定できる。
この2点のマテリアルの出品者はドイツである。
Saxen氏は亡くなり、郵趣品として市場に回り、三浦の手に入ったといえる。

参考までに、研究会のWEBには、丸亀収容所のH.Classenという捕虜宛の初日カバー(大正5年発行、裕仁立太子記念の1 1/2銭と3銭切手貼り)が紹介されている。
坂東収容所郵便切手は、こうした何名かの郵趣家が捕虜の中にいて、彼らが推進したのかも知れない。


図1 

 

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20075866年のイギリスの電報


さて、三浦の「時空を超えた情報伝達」というコレクションには、色々なマテリアルを使用する予定である。
下図はその例として最近入手したイギリスの電報である。
1866
年サウサンプトンからGlastonburyGoogleの地図検索で調べて、サウサンプトンから北西に100kmにある町)宛である。

電文は極めて単純で「Send off tonight without fail the remaining nine Cheddars packed in basket(かごにある残りの9パックのチーズを遅滞な今晩中に発送せよ) という内容である。
発信人は「Napoleon Coorsey」 とある。ナポレオン!ナポレオンの一族?まさか?

そこでインターネットでNapoleon Coorseyで検索をかけたが何も出てこない。
フランスの有名なナポレオン(ナポレオン1世)の時代は1769-1821年、ナポレオン2世は1811-1832年、ナポレオン3世は1808-1973年、ナポレオン4世は1856-1879年となっている。
彼らの名前にはCoorseyはない。
Wikpedia
でナポレオンとその一族の名前を見ても、Coorseyの名前は一切出てはこない。

この電報の発信人は、かのナポレオンとその一族ではないにしても、同じ性を名のっていた人物である。
インターネットの検索に2時間程度、ナポレオン関係でサーフィンを楽しむことができた、そしてこのメモをまとめた。

 

 

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20075月 点字郵便

 

「時空を超えた情報伝達」のコレクションに、盲人の情報伝達として、1リーフ位は点字関係のマテリアルを揃えたいと思っている。
盲人用の手紙は、あるようで以外に入手できる機会は少ない。
全日展2007に盲人関係のコレクションを出品していた大沢さんと会場で話をする機会があった。
盲人関係の教職員で、比較的盲人関係の郵便などを入手しやすい立場にいるが、それでも苦労している由。

かつての盲人郵便は1円とか1セントと低額であったが、今では無料となっている。
切手の貼られていないスタンプレスカバーとなる。

Ebayでもよく見ていると多少の盲人郵便の出品はある。
しかし、かなり強気で入れても落札できないくらい、競争は激しい模様。
ちょっと数週間ばかり関連するマテリアルの状況を見るだけで。
100
ドルを超える金額で落札されるも例も多い。

そうした中で、以下の写真は三浦が10英ポンド程度で入手に成功した展示郵便である。
Ebayでの出品物の写真を見ると、単なるスタンプレスで、盲人用との表記があるだけ、それも2003年と古くもない。

多分、写真を見ての判断で、多くの人の関心を引かなかったのであろう。競争も激しくなく、落札できた。
ものが届いて、驚いた、展示郵便、A4サイズの点字用紙にびっしり点字が押され、それを4つ折にして郵便物として発送している。
これは安く、面白いものを入手できたと、喜んでいる。

ドイツ語の点字を読むことができれば、さらに面白いのであるが・・・・
以下の写真は、白い紙に点字の後が見えるだけなので、イメージ・スキャナで画像を取り込んでも、簡単には、点字を表現できない。
トーンカーブを調整して、白い部分だけを強調して取り込んで、なんとかイメージとして点字があることを示すことができた。

 

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20075月 明治20年の電報


日本の電報、それもできるだけ古いものを探そうとしている。
明治2年(1869年)に横浜―東京間で電信業務が開始し、数年の間に全国各地に電信が引かれている。
明治10年(1877年)の西南戦争の時は東京との電信連絡はかなりの利用だった模様。

とりあえず見つけたのが明治20年(1887年)、東京から三浦の田舎でもある秋田に送られた電報。
図1に電報を、図2はその配達封筒を示す。

宛先は久保田になっている、秋田の旧名である。辻兵吉という名前は代々受け継がれている模様で、現在でも秋田市では名士である。
古くから大町2丁目で呉服屋を営み、「辻兵」として呉服をはじめとした服飾品を扱っている。
電文を読むと「トシ(32)アツライモノ(トクマ)カヅモノ(78ジウ)へ」と半ば暗号のようなもので、意味は不明であるが。何か呉服関係の発注に関する電文と想像できる。

「秋田郵便電信局」の朱印が押されている。
秋田の電信局は、明治11年(1878年)、秋田市本町4丁目にできているので、この電報は秋田電信局としてみれば、開局して8年後のものとなり、それなりに初期のものといえる。

 

 

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20075月 明治の軍用電信隊概則

 

日本の電信隊発信の手紙や葉書はたまに目にすることがある。
最近、ヤフーのオークションで入手したものを以下に示す。
明治13年2月10日に陸軍卿西郷従道によって「軍用電信隊概則」が布告された。
この陸軍卿の布告を、京都府が3月5日付けで、府下の関係者に配布した布告である。
トップの表の部分と、第1条・・・・の最初の部分を示す。

条文を読むと、電信隊の構成にも触れているが、多くの部分は、電信隊への隊員募集に係わる条文であるよって、この布告は電信隊への入隊募集案内に関する陸軍卿から全国の県・市町村への通達、ということになると思われる。

16ページ程度の文書なので、厚みはないので、場合によってはオープンコレクションには使用が可能である。


 

 

 

 

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20076月 明治8年の電報

 

日本における公衆電報は明治2年に横浜と東京間で開通し、翌年明治3年には大阪と神戸間が開通し、明治5年には東京と長崎間が開通している。
電報というか電信業務は急速に全国展開しています。
三浦としては、明治10年までの、いわゆる電信業務の創始期と見なせる期間の電報を1枚は入手したいと思っていた。

ようやく、最近になってヤフーオークションで入手した。
明治8年9月7日に東京日本橋から名古屋宛の商用電報である。
「ジューイチキリ、六円、50銭、50枚、売りつけた」という電文である。
何を売ったのか、この電文だけでは判らない。

 

 

 

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20076月 ドイツ1912年の飛行葉書

 

イギリスで行われた1911年の戴冠式記念航空郵便はまだ未入手である。

ドイツで1912年に行われた飛行機「Gelber Hund ゲルバーフント(黄色い犬)」号の飛行に際して、特別の葉書が印刷されている。

葉書の上部中央に「Flig Post Karte」とある。
右にはゲルマニア5PFの切手を貼り、左には10PFの記念シール(スコットには記載は無いが、ミッヘルには特別な番号が付与されて、記載されている(三浦の古いミッヘルカタログ ドイツ専門版 1984/85による)。
両方ともにフランクフルトの特印が押されている。

航空を集めていない三浦は、このドイツ飛行葉書のことを、古いJPSが発行したホルヌンクの「図解切手収集百科」で知った。この本はまさに現在でも利用できる切手の本といえる。
「ゲルバーフント」、「黄色い犬 飛行機」でYahooやグーグルで検索をしても、日本語のサイトでは何もヒットしない。
英語のサイトで以下の情報を得たに過ぎない。
Germany first tested airmail in early 1912 with a flight from Darmstadt to Munich, in the German region of Bavaria. The pilot flew the 100-horsepower (75-kilowatt) Otto biplane Gelber Hund, meaning Yellow Dog.
パイロットの名前は Lieutenant Hiddesenで、以下の写真が紹介されている。

 

 

 

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20076月 ドイツツェッペリン切手の偽物 三浦正悦

 

「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に、高額な郵便料金を支払っても早く相手に手紙(情報)を伝える必要のあるビジネス便に、ツェッペリン便は利用された・・・」というストーリで、商用便のフライトカバーは入手済みなので、あと少し何か飾りにするマテリアルが欲しくて、手を出してみた。
ドイツのツェッペリンのカバー、図1に示すドイツから南米宛の商用便はかなり前にアメリカのドイツ専門の切手商から買ってあるものである。
今般、E bayで最低値に近い金額で安く入手できたマキシムカードを図2に示す。


ちょっと見ると判らない、18倍程度のルーペで覗いてみてもわからない。
1に比べて図2の切手はなんとなくすっきり、きれいである。きれい過ぎる。
そこで、手持ちの60倍のショップ顕微鏡(60倍)でみて、ようやく差異を見つけた。
周囲の枠が超きれいな直線で描きなおされている。図2はよって偽者と断定できた。

手元のスキャナを利用して1200DPIで画像を取り込み、その結果を図3と図4に示す。
周囲の枠、額面、国名表示などの部分は、菱点の連続ではなく、明らかに直線でコントラストもよく、描きなおされている。
内部の地球と飛行船の部分は、これはよく見ないと違いが判らない。
違いが判るのは、赤色でも非常に濃い部分を見ると、赤の菱点ではなく、白の菱点というか赤の連続して直線になっている。

 図1

 

 図2


三浦にしても初めて見た偽物である。よくできた偽物といえるかも知れない。
事前に正当なルートで入手した本物を持っていたことと、ショップ顕微鏡や高解像度のスキャナを持っていたことが、偽物の判定に有効であった。
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10日の登戸支部例会でこれを紹介したところ、山口さんが図2の偽物の切手の左下部に文字を見つけた。
そこで、2400DPIの可能な最大解像度でその部分を読み取った。
5に示す。どうにか、Reprint 1937と読むことができる。
1931年の切手を1937年にReprintし(偽造し)、1931年の消印もニセ消しであると判定できる。

 3 拡大図 ○の部分は赤の菱形

 

 4 拡大図 丸の部分は赤の直線

 

図5 左下コーナの1DM 額面部の下 マージン部の超拡大

 

 

 

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20077月 ツェッペリンの東京行き

 

ツェッペリンカバーは専門収集家が多く、三浦には手も足も出ないし、その関心もない。
ところが、20073月号のヨドバシカメラが発行している「ザ・ポイントネットワーク」という広告雑誌を見ていたら、以下の記述があった。
「飛行船による世界1周という大きな夢」という見出しで、コラムで「来日に沸く日本: グラーフ・シェッペリン号が日本で熱狂的に迎えられたのには理由かあった。日本のスポンサである大阪・東京朝日新聞の記者がフリード`リヒハーフェンからツェッペリン号に搭乗。電信でツェッペリン号の様子を毎目伝えた。そのため来日前から日本人の多くがツェッペリン号の動向に注目していたのである。」と。

この9行のコラムには驚いた。
こうなると、電信関連のテーマに、この朝日新聞社の記者のよるドイツ発・東京行きのツェッペリンカバーが必要となる。
いつか機会があれば・・・・・と思っていたが、意外と早くカバーがみつかった。
今般入手に成功したドイツ発東京行きのツェッペリンカバーを以下に示します。
Ebayで見つけ、100ドルか100ユーロ程度以下で落札できればよいし、駄目ならばあきらめようと思っていたが、ちょっとは競ったが、100ユーロを越えない範囲で入手できた。

 

 

 

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20077月 飛行機事故カバー

 

「時空を超えた情報伝達」のテーマコレクションに中に、事故による情報伝達の遅延・断絶という観点から、比較的安価(50ドル程度以下)で購入できそうな、適当な事故カバーを探してみました。
そして、E bayでゲットしたのが、以下のカバーです。
1930年12月22日に非古希事故によって半分焼けてしまった郵便です。
アイオワ州からアメリカ国内のどこ宛でしょうか、住所が半分消滅しており、三浦では判読できません。
ラッキーなことに中身も半分焼けて残っていました。
12月22日ということで、クリスマスカードが入っていました。封筒と同じ形で焼けています。

 

 

 

 

 

 

20077月 額面79の切手をゲット

 

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。

1から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では79と91は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
今般、「79」という額面を入手した。残念ながらメータースタンプによる印字である。
タイから届いた書留便に像を描くメータが貼られ、その料金表示ガ79であった。
タイでは79という額面の切手は発行されていない。
メータでも、恣意的に79という額面を作ったのではなく、書留便ということもあって、この79表示のメータは、三浦の数列揃えのコレクションに入れることになります。
残る未収の額面は3件に減りました

 

 

 

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200711月 JAPEX07での収穫品

 

JAPEX07は終わった。さて、来年はどうするか・・・・をこれから考える。
JAPEX
07での収穫品を紹介する。振り返ってみれば、たいしたものを買っていない。

その1は、図1に示す1956年発行佐久間ダム竣工切手の原画写真である。
多数の原画写真が陳列された中で、電力に関するものとして、これを選択した。
図2に示す実際の切手の拡大図と比較すると、構図は同じであるが、細かい表現が異なることが良くわかる。

 

 図1 原画写真

 

図2:実際の発行切手

 

図3

 

その他には、ゼネラルスタンプの品川仁さんに、はい、これ電気の三浦用と示されたポーランドの特印カバー、1926年のワルシャワ無線展覧会記念特別飛行のカバーを購入、図3に示す。

図には示しきれないので写真は割愛したが、川床さん情報どおり、ユキオスタンプには日本の穿孔切手のエンタが一箱あった。

中身を全部チェックしたが、同一会社差出のものが多かった。
何もないかあきらめたら、最後の1通が東京・内幸町にあったNHK差出のJOAK穿孔入りであった。即購入してきた。


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20083月 アメリカのエンパイアステートビルの絵葉書も

 

三浦のコレクションとしての灯台の切手を纏めていた頃、アメリカのエンパイアステートビルのトップは灯台になっている、ということを知った。
エンパイアステートビルを描く切手として何枚かはある。
そして、あるアメリカの絵葉書を紹介する本の中に、エンパイアステートビルの夜景で、トップに灯台の光が描かれている絵葉書が含まれていた。
そこで、当時、アメリカの収友に、ニューヨークのこのビルの夜景の絵葉書でトップが光っているものがあれば、送ってくれと、依頼した。
しかし、結果は未入手に終わっている。

今般、E bay2枚も、ほぼ同時にこの絵葉書を見つけて落札した。以下に示す。
これで、この絵葉書とともに、エンパイアステートビルを描く切手を灯台のコレクションに入れることになる。
参考までに、アメリカ切手でしばしば登場する自由の女神も、灯台である。どの部分が灯台になっているのかまでは、まだ調べてはいない。
自由の女神の夜景の絵葉書を探すのもこれからの楽しみである。

 

 

 

 

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20085月 1870年のイギリスでの砂糖取引のエンタから


さて、三浦の「時空を超えた情報伝達」というコレクションには、色々なマテリアルを使用する予定である。
図1は1870年イギリスの1ペニー切手を貼り、グラスゴーからロンドンへ宛てたエンタイアである。
なぜ三浦が入手したか?厳格に考えれば中に書かれた手紙の内容は、テーマの展開には使用できないが、情報伝達という観点から興味深いことが記述されているからである。
紙の両面にインクで書かれ、裏にしみだしているので読みにくく、スキャナで取り込み画像処理をした。

手紙は「Glasgow 8th June 1870発、LondonF. Engelhardt 宛」で、
内容は「We have
your wire of today, about one oclock, but regret we have not been able to get 24/- repeated. Walken was afraid of the 127 Nhos which are dark and declined the cargo altogether, but we have got often of 24/- excluding this lot or taking them at 23/9 and hope to have your reply in the morning. ・・・」
(本日、1時に貴社からの電報を受け取った。しかし残念ながら、24シリングでの再注文は受けられない。Walken127Nhosは黒いことを気にし、一緒に送ることを拒否している。しかし、我々はこのロットを除外した砂糖を24シリングで、もしくはこの黒いとされる砂糖を含んで23シリング9ペンスで入手することもあった。午前中に貴社からの返信を希望する。 以下 略 )。

この手紙に三浦が興味を持ったのは、1870年の段階で、
電報(Wireが商用ビジネスに実際に利用されていることが、この手紙から判ることである。

 

 図2 中身の文面

 

 

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*2008年5月 フランスの1949年電信会議記念印

 

フランスのパリで19495月から7月にCITTInternational Telegraph and Telephone confernece国際電信電話会議)が開催されている。
1949
6月にフランスはこの会議を記念する切手5種を発行している。
以下に示すものは、この会議の記念印を押印したカバーです。
残念ながら記念切手の貼付はなく、通常切手が貼られている。
2
通とも同じ発信人で、受取人も同じオーストリア向け実逓です。

1615日付け、図2は少し遅れて711日付けで、図2はなぜか検閲印まで押されている。
1949
年、第2次世界大戦が終わって4年経過してもまだ一部の郵便は検閲されていたのであろうか。
これらのマテリアルは「国際電気通信連合ITU」に入れるべく入手したものです。

 

 

 

 

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200811月 ベルギーの6角形電信切手


各国で電信切手は発行されている。
こうした電信切手も三浦のテーマ「電信」の対象となるマテリアルである。
電信切手の中で6角形の切手として有名なのがベルギーの電信切手である。
1866
年以降の電信切手は1種を除けば全て6角形である。

最近、E bayでこの6角形の電信切手を貼った葉書が出ていた。
どうやら他のコレクタも見つけたようで、ちょっとした争いになったが、無事に落札できた。
1871
年以降の第2シリーズの電信切手25サンチームを、5サンチームの官製はがきに加貼して、Express速達の送達に利用した例である。

1879
年のベルギー国内の使用例である。
電信切手を通常の郵便用にも利用できたのであろうか??
ちょっと調べてみたい思うが、ベルギー切手の専門収集家を見つけないと、聞くことができそうもない。

 

 

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200812月 タイタニック号の絵葉書

 

19124月処女航海でイギリスを出発して、北部大圏コースを採って大西洋横断のスピード記録にも挑んでいた大型客船タイタニック号は、不幸にも氷山に激突して沈没し、1,503名の命を失ってしまいました。
ここまでは船の山口さんの領分です。

初期の海上無線通信の歴史の中で最も悲劇的な事件は、この大型豪華客船タイタニック号の遭難です。
この遭難事故で、無線通信・救難信号の利用価値が認められ、SOSなどの信号が普及して言ったのです。
この観点から、タイタニック号は無線通信のテーマには欠かせないものになっています。
ここからは三浦の範囲になります。

そして、1枚位はタイタニック号の絵葉書を入手したいと思っていました。
人気があるらしく、なかなか落札に成功しません。今般、E bayでようやく競り勝ちました。

1はタイタニック号の写真、図2はアドレス面で、カナダ、ナイアガラの滝に近いブラントフォード(電話の発明者ベルの家がある町、記念館になっている。三浦は1974年に探訪済)19126月の消印です。

沈没して間もない時期の使用例で、電気通信のコレクションのタイトルページを飾ることになるでしょう。
葉書の文面は残念ながら何か単純な連絡文です。
これが文面でタイタニック云々と書かれていれば至宝です。

 

 

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200812月 オリバー・ロッジのサイン


オリバー・ロッジ(Sir Oliver Joseph Lodge 1851612 - 1940822日)はイギリスの物理学者、著述家である。
初期の無線電信の検波器に用いられたコヒーラの発明者である。
また、点火プラグの発明者である。
ロンドン大学で科学を学び、1881年にリヴァプール大学で教えるようになる。
1900
年にリヴァプールを離れてバーミンガム大学に移り、1919年の引退までそこに留まった。

無線電信に関する功績があり、三浦の無線や電信のコレクションに入れたい物理学者であるが、まだ切手には描かれていない。
消印にも描かれたとは聞いていない。
郵趣マテリアルには無縁な無線関係の人物である。

ドイツのヘルツは電波の実在を証明したが、仮にヘルツが実証しなかった場合は、このイギリスのロッジが実証を行っていただろうとされる。
また、電波の伝播速度がほぼ光速に近い、ということの実証も行っている。

切手がない代わりにと、今般E bayで入手したのが彼のサインである。
1932
12月のサインと思われ、彼の82歳とかなり高齢な時代のものである。
小さい小片にサインされている。それを図1に示す。

同じくE bayでは彼の写真にサインをしたものも売られていた。
ぞの写真だけを図2に示す。
これは1999ドルが開始価格になっていたので、いかに昨今のドル安であっても、ちょっと手が出ない。
それだけの金を支払ってもタイトルページを飾るだけであるので・・・・・・・



図1 入手したサイン

 

 

 

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20092月 ベルの会社の株券       

 

1876年グラハム・ベルはボストンで電話を発明した。これは有名な話です。
以下はAT&Tの株券で、1968年の100株券です。
もう少し古い時代のこの会社の株券が欲しいところです。
とりあえず、株券の中央に堂々とベルの肖像が描かれているので、入手した。

アメリカン・テレフォン・アンド・テレグラグ(AT&T)は、1877年に19世紀における米国の二大発明家であるグラハム・ベルが興した「ベル電話会社」が前身であり、1885年に世界初の長距離電話会社として発足した。
社長となったセエドア・ニュートン・ヴェイルは「垂直統合」と「水平統合」と呼ばれる研究開発(ベル研究所)から機材製造(ウェスタン・エレクトリック)、市内交換から長距離交換までの独占を展開。
ネットワーク経済学におけるボトルネック独占を見事に現実のものとした。

この巨大企業も、いまさら電信・電話の時代ではないので、2008年「AT&Tは米国時間123日、携帯電話の普及を受け、公衆電話事業から撤退すると発表した。
同社では2008年末までに公衆電話事業から完全に手を引くとしている。」という状況である。
ベルの起こした有線電話会社の業務は、終了となっている。

ベル研究所もあったが、この研究所の活動は現在「ルーセント」として、通信ネットワークと通信装置の会社として生き残っている。

 

 

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20093月 1924年船舶無線電報の郵便配達

 

このマテリアルは山口さんがE bayで見つけてくれて、三浦が何とか落札できたものです。
航海中の船から、近々に港に寄港する他の船に無線電報を送り、受け取った船内無線局は寄港時に郵便でその電報を最終的な宛先に届ける、というシステムです。
このシステムの詳細はまだ調べていません。

回入手したものは、
SS Persian Prince (Furness Line)の船長Hardcastleが英国のWest Hartlepoolにいる女房宛に.発信した電報(図2)です。
SS Highland Glen
はから荷で航行中、413日にはドック入りする予定でした。
この船が192448日に電報を受け取りました。
電報は図1に示すマルコーニ国際海事通信会社の専用の封筒に入れられて、
LondonEast Ham docks429日に投函されました。

切手の消印は'East Ham High St, North Rd, BOE'となっており、裏面には書留印など5個の消印があり、Hartlepool430日の書留到着印があります。

電報は。航海の無事を知らせる内容のようです。
このマテリアルは、封筒だけではなく、中に電報がきちんと入っていました。
これは、面白いものです。三浦の「電信・電報」のコレクションに入れます。

同じようなマテリアルが20092月のドイツ・ガートナーのオークションにも出品されていました。
中身の電報があるか否かの記述はありませんでした。
インドの切手が貼られ、アデンで引受、マルセーユ経由のアメリカ宛になっていました。
だれか落札したのでしょうか?

1 

 

 図2

 

 

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20093月 初期のメキシコの電話会社の株券        

 

 図1

2

 

先月はアメリカのATT電話会社に株券を紹介したが、今月はメキシコの電話会社に株券です。
The Mexican Telephone Company
1982年に、アメリカのベル電話会社によって、ベル電話会社に特許権を用い、メキシコ政府の容認に下に、メキシコで電話事業が始まっています。

資料によれば、17の市町村で電話交換事業を行い、19002月の段階で、電話の設置数は3085台となっています。

11899年の株券の表で、極めてシンプルな株券ですが、社長と会計担当者の直筆のサインが入っています。
この会社は1905年にベル電話会社の構造改革による変更で、資本系列が変わり、社名も変更になっています。
1905
年に「無効」の印が押されたのは、このためです。
2に示すように、裏面には船が描かれた2枚の印紙が貼られています。

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20093月 今度は電気に関連する人物が描かれた紙幣

 

先月は電話会社の株券を紹介したが、今月は電気に関連する人物が描かれた各国の紙幣を紹介します。これらはE bayで入手したものです。

イギリス 1ポンド 1978年 ニュートン

 

イタリア 2000リラ 1990年 マルコーニ

 

イスラエル 5 Lirot 1968年 アインシュタイン

 

ユーゴスラビア 500 Dinara 1981年 テスラ

 

 

 

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20094月 インドの電信100年の電報

ンドにおける電信(電報)の開始は1851年ということで、100年の記念切手を(図1)2枚ほど発行している。なぜか1951年ではなく、1953年の111日の発行である。電信柱と電線を描く、電信に関する切手としてはシンプルな部類に入る。

このほど、図2に示すインドの電信100年記念の電報の使用済みを入手した。入手先はインドである。記念の絵が、電報の上部に描かれている。この電報の使用は、消印があまり鮮明とはいえないが、ニューデリーの19531223日である。記念の電報用紙の発行日は定かではないが、切手の図と一致していることから、もしかして19653年で、記念切手と同時期かも知れない。そうなれば、電報用紙としても初期の使用例となる。

1

 

2

 

20094月 多少は電気ではない蒸気機関車のマテリアルも

 

三浦のコレクションは基本的に電気である。
でも、ほんの少し足を出すこともある。
電気鉄道のコレクションを纏めるに当たって、電気鉄道以前を物語るために、蒸気機関車のマテリアルも1リーフ、2リーフ作成する程度の量を集めておきたい。
その為に、何かちょっとしたマテリアルを見いけておきたい。

以下のマテリアルはそのためのものです。
ハンガリーは1946年に鉄道100年を向かえ、記念切手を4枚ほど発行しています。
この時期はハンガリーの超インフレの時代でもある。
ハンガリー鉄道100年のFDCは存在するが、極めて稀品となっている。
ある鉄道切手の収集家は持っている。
稀なFDCでは三浦はとても手に負えません。
でも、EBAYでふとしたチャンスから、普通切手(インフレ時代の通常切手)を貼った葉書に、当該の記念印を押印したものを入手しました。以下の図1に示します。

実は数ヶ月前に、白カバーにインフレ時代の通常切手を貼り、同じように特印を押印したマテリアルが出品されました。
このマテリアルは非常に激しいビットになり、三浦は応札しましたが、不成功に終わりました。
100
ドルを超える値段になっていました。
1に示す入手に成功したものは、ほとんど競争にならず、それなりの価格で入手できました。

なぜか、このマテリアルの説明は「ハンガリー インフレ時代 1946年 葉書」としかなく、特印に鉄道があるなどの説明は皆無でした。
したがって。多くの鉄道切手収集家の目にはふれずに終わったのです。
ある電気関係のマテリアルを出している出品者がほかに何か出品していないかと、横方向に検索をかけたので、偶然にこのマテリアルの出品を見つけたのです。ラッキーでした。

 

 

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20094月 世界最初の水力発電所

 

最近入手したアメリカのFancy Postmark付のカバー(書留)です。
表にはWisconsin州のWeyauwega局の「WMPと電球」を模擬した消印が押され、裏面には合計4つの1929年の郵便印が押されています。
この局の近所にはFox Riverが流れており、Appletonの町で1882930日に世界で最初の水力発電所が稼動を開始しています。
この消印の電球は、この世界初の水力発電所に因むものです。

1882
94日にエジソンはニューヨークの中央発電所から電力事業を開始しています。
ニューヨークの発電所は蒸気機関で発電機を回しています。
Fox River
では水力発電です。
この水力発電は、エジソンではなく、Appletonの製紙業者であるH. F. Rogerによって建設されました。
エジソンのニューヨーク発電所の話からヒントを得て、製紙業者なので水車から発電を思いついたのでしょう。
Roger
の自宅、発電所、そして近隣の建物に電力が供給されました。
この発電所は後にAppleton Edison Light会社となりました。

と、ここまではなんとかアメリカの電力の歴史の中で、情報は得られたのですが、消印にあるWMPの意味は探し出せませんでした。
Wisconsin M
・・・ Plant(工場や企業のロゴ)でしょうか、Water Master Plan(水力発電も含めたFox Riverの水利管理とでもいう意味)のロゴでしょうか?
このカバーは、三浦の電力の歴史を物語るコレクションに入れるものです。

 

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20094月 新橋-横浜間鉄道の増発に関する工部省の通達

 

2008419日に全日展のとあるブースで見つけたものです。
明治8年に汽車が増発になることに関して、なんと工部省からわざわざ布達が出されていました。
以下のものは、工部省の布達を府下に連絡するために発行された京都府の布達です。
京都府の布達はこの例にあるように、しばしば市場に出てきます。

 

 

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20094月 明治の電信関係の布告

 

電気通信・電信といったテーマに関連する資料として、ヤフオクで入手したものです。
明治13年の布告で、「明治113月工部省第4号布達の電信万国公法の儀、同12年イギリス・ロンドンにおいて右細目規則議定改正候・・・・」とある。

電信万国公法は今の国際電気通信連合ITUの規定の前身である。
日本はITUには1879年(明治12年)に加入し、75年後の1954年には加盟75年の記念切手が発行されている。
日本は1879年の正式加盟以前からITUとは交流を行っているのが、この布達にある「明治113月工部省第4号布達」には如何なることが書かれているのであろうか?

 

 

 

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20094月 クレジットカードのフォアランナー? 電信カード

 

アメリカのWestern Union電信会社が1917年に発行したカードです、
このカードの所持者は電報を後払いで利用することができたとされます。
この電信会社ではこの種のカードを
1870年から使用し始めています。

詳細はわかりませんが、多分世界で初めてのクレジットカードといえるのではないでしょうか。
このカードは
1年間の有効期限しかないので、電報を利用する企業などは企業の責任でCorporateカードとして発行したのでしょう。
E bayなどでよく出品されます。

入手できたのは
1917年のものですから、せめてもう20年古く、19世紀のカードを入手したいものです。

 

 

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20094月 船内無線局からの年賀状

 

4月の例会で、原田さんから戴いた年賀状です。
大正711日の年賀状、局名は「・・川」としか読めない。
船内の無線局差出ということで、三浦に廻ってきました。
自宅で、だめもとと思って船名でネット検索をして見ました。
以下の船と推定できました。
今回は、予想に反して、船の情報を入手できましたので、報告します。

 

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■神戸造船所建造船舶 
三菱長崎造船所の染殿丸型と同型の標準型貨物船。
Sno.65
綾葉丸 AYAHA MARU 5,722G/T 277/4,059HP 11.5/12.5kt
1917.1(
6)進水 辰馬汽船株式会社(西宮)
1940.5.10(
15)フィリピンのマリンドケ島バラナガンから門司に向け航行中、男女群島の男島の南1.5km女島灯台東南の鮫瀬に濃霧のため座礁、沈没


 

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この情報から、進水したその年の暮れに出された年賀状といえます。

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20094月 船舶向け電報

 

電信・電報のテーマコレクションに入れるマテリアルとして、船舶向けの電報を入れたいと思っている。
これまでに入手した船舶向け無線電報は、船名はわかるが、どうやらあまり有名な船ではないらしく、ネットで検索しても全くわからない。
今回、E bayで見つけた船舶向け電報は、1939年のBritanic号宛の電報で、とりあえず三浦の狙ったものといえる。

ブリタニック号は同名の船があり、2代目はタイタニック号の姉妹船である。
この電報は3代目のブリタニック号宛である。
この3代目ブリタニック号は、排水量26,943トン、全長712フィート。192986日に進水した。
処女航海は1930628日、リヴァプール-ベルファスト-グラスゴー-ニューヨークのルートだった。

冬は特にカリブ海を航行するルートになっており、1934年にホワイト・スター・ラインからキュナード・ラインへ移籍。
1935
年から第二次世界大戦までロンドン-ニューヨークを結んでいた。
この辺の情報は山口さんの専門分野。

以下の電報は、193924日ニューヨークを出航、
キューバのハバナに2月8−9日に到着する便に登場したハネムーン客に対して送られた「平安な航海を祈る」電報で、24日午後646分の受付 と読める。
次は、こうした有名な船宛の、商用に近い電報が欲しくなる。

 

 

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20094月 鉄道会社の電報

 

電信が実用化された当初、電信の主な使用者は行政や軍事利用を除けば、鉄道会社であった。
鉄道の運行に関連して、電信による連絡業務が必要であったからである。
そして、鉄道会社によっては、自らの鉄道線路に沿って自前の電信路線を張り、電信業務を行った。
そして、その電信を一般の人にも利用させた。

以下に示すのは、イギリスの鉄道会社North British Railway1896年の電報である。
鉛筆書きの電文は達筆すぎて読めない、しかし、Your Wire Re(貴方からの電報に関して・・・・)と冒頭にあるので、お互いに電報を利用し合っていることがわかる。
また印刷された文字で「Message shall not be sent by telegraph unless the business is urgent.(業務上緊急でない限り、電信は使用してはならない)」という断り書きがあることもおもしろい。
もう少し年代が古いものの方が良いが、E bayでこれしか入手できなかった。

 

 

 

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20094月 パピルスと「やしの葉」の文書

 

時空を超えた情報伝達」のテーマコレクションでは、言語があり、文字があり、そして記録媒体があり、印刷技術があって、配信手段があって、情報伝達は成り立つ。
というストーリを展開する。

以前にフランスの羊皮紙に書かれた文書の例を見せたが、今般は以下の紙ではない記録媒体の文書の例を示します。
これらは文書であって、残念ながら手紙ではない。

図1は、紙や羊皮紙の前にエジプトが原産となって使用されたパピルスの文書の断片です。
それぞれ5mm×10mmにも満たない断片です。
販売主の談を信用すれば、3−5世紀頃のパピルス文書の断片で、Coptic Uncial script エジプトのアンシアル文字(48世紀に手写本に用いられた太くて丸味のある大文字体)の手書き となっている。
ぼろぼろになったパピルスの断片に何か文字が書いてあることは判る。

1 


図2と3はやしの葉に書かれた文書です。
「やしの葉に書かれた手紙はインドでは19世紀まで使われていた」とホルヌンクの図解切手収集百科には記述があります。
やしの葉に金属針で文字を書いています。
販売主の談によれば、これは南インドで19世紀にタミール語で書かれた文書の一部で、宗教儀式に使用された文書です。穴は文書を綴じる穴でしょう。


 

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20094月 アメリカ初期の電報

 

モールスがトン・ツー・トンの有線電信の実用化に成功したのは、1844年、そしてモールスが電信会社を設立したのは1846年である。
その後アメリカでは電信会社が乱立した。
それら65社の電信会社を吸収合併して、Western Union電信会社としたのは1856年である。

以下に示す電報はボストンとニューヨーク間の電信で、表には日付の記入はないが、裏に1857124日のメモがある。
このことから、Western Unionの極初期の電報といえる。
E bay
で見つけ、ちょっとアメリカ人と競ったが、比較的安価に入手できた。
電文は「The engineers arrived at Manifield and left for Jaun Town at 12-10 エンジニアがマニフィールドに到着し、ジュアンタウンに向かって12-10に出発した。」という連絡文書である。

 

 

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20094月 チベットの電信切手


各国で電信切手は発行されている。
こうした電信切手も三浦のテーマ「電信」の対象となるマテリアルである。
電信切手の世界カタログとして1982年に出版されたHiscocksの「Telegraph & Telephone stamps of the world」がある。
この本は今や貴重な文献である。
単に切手を採録するだけではなく、簡単ではあるが、夫々の国などの電信の状況も解説しているからである。

この本に以下に示すチベットの電信切手も採録されている。
1949
年もしくは1950年にチベットで無線電信用に発行された切手とされ、5種類の図案が少しずつ異なる額面違いがある。以下の右側3枚が1/2 Sang、左側3枚が1 Sangである。

Hiscocks
本には、これらの電信切手は本当に電信に使用されたのか、それとも収集家目当てに売るために作られたのか、はっきりしないので要注意とされ、根拠に1954年当時の情報で「チベットの電信関係のかなりの上位にいた人の談によれば、このような切手の話は聞いたことはない」と否定的な情報と、「チベットに雇われたイギリス人の情報として、電信用に切手が使われたことは確か(但し、どのような切手かまでは不詳)」という肯定的な情報を、共に載せている。
これらの切手は1951年にチベッが北京政府の管理下に入った段階で、使用が停止された。

 

 

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20095月 ドイツ1868年の電報 

 

今回入手したのはドイツの古い電報です。
1968
4月、Nord Deutchの電報です。
オランダのハーグから、ドイツのハノーバーに当てた商用便と思われます。
電文はオランダ語なのかドイツ語なのかさえ判りません。
上部に、飾りが書かれています。
古い手書きの手紙の時代に、この種のマークが手書きで書かれているものがあります。
こうしたマークが電報用紙にも採用されていることを知りました。

 

 

 

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20095月 英国の日本向け捕虜郵便はがき

 

もう何年も前、初めでHGの世界ステーショナリーカタログを見たとき、第2次世界大戦時に英国で発行された葉書で、日本に収容されている英国軍の捕虜向けの葉書がリストされていた。

「捕虜郵便」と日本語で記載されている。

使用済みが1枚欲しいと思っていた。
未使用は何回かオークションに掲載されていたが、使用済みは入手の機会がなかった。
今回、Ebayで見つけて、入手に成功した。
1944
1230日英国差出で、捕虜の奥さんからの差出と思われる。
善通寺のキャンプ宛である。

 

 

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20095月 2009年神奈川版年賀葉書の絵と同じ写真の絵葉書  

 

2009年の神奈川版の絵葉書の裏には「みなと横浜と富士」が描かれている(図1)。
この絵には横浜港の港内防波堤突端にある赤燈台(厳密には、海上保安庁発行の「灯台表」平成4年発行によれば、登録番号2117 横浜外防波堤北灯台、発光:約8秒間に赤い光を、2閃光、光達距離:9海里)と、緑色の浮標が描かれている。
浮標も灯台の一つである。
これらの灯台が描かれているので、年賀葉書は三浦の「灯台コレクション」に入れている。

先日、みなとみらいで、図2に示す絵葉書を購入した。
全く同じ写真である。
撮影者名は共に「森 日出男」と記載されている。
年賀はがきと絵葉書ではトリミングが異なるようで、絵葉書には年賀葉書にある左端のNTTのビルの部分(ビルの屋上のアンテナ)の部分が見えない。


   

1                         図2

   

灯台の部分の拡大図

 

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20097月 相対性理論の本にアインシュタインの切手と生誕の地探訪記  

 

この7月にPHP研究所から発行された佐藤勝彦監修「カラーでわかる!相対性理論」定価680円、約130ページ、ISBN-978-4-569-70990-1、の本の表紙を右図に示します。
この本を見ていただければわかりますが、三浦が提供したアインシュタインの使用済み切手が、章と章の間に「コーヒーブレーク」として、合計2ページが含まれています。

また、第3章「アインシュタインの人生と言葉」の冒頭に、アインシュタインの生地ドイツのウルムを探訪した三浦が取ってきた写真が採用されています。

これらは、この本を纏めている方が、三浦の「電気と切手の世界」のサイトでウルムの生誕の頁をみて、公開している写真をこの本に転載したいという申し入れがありました。
許諾し、さらに、切手も使用しないかと推奨し、結果として切手も採用することになったのです。
以上、参考までに。

 

   

アインシュタインの切手の頁の中から       ウルム探訪の記から

 

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20099月 JAPEX2009に間に合わなかったマテリアル 


JAPEX09には「テレグラフ・電信・電報」といテーマで、6フレーム96リーフのコレクションを先日搬入した。
30
日間でこの96リーフを作成した。
このコレクションのテーマ展開に際して、視覚通信(腕木通信)がフランスのシャッペによって開発され、テレグラフが情報伝達の手段として利用されるようになった時、これまでにない速さでの情報の伝達に多くの人は驚いた。

今までの騎馬によるメッセンジャーの場合よりも格段に早いからである。こうしたことから、「テレグラフ」という用語は、早いものの代名詞となった。
駅馬車の名前に「・・・・テレグラフ」が付けられ、これまでより素早い駅馬車であるかの様に誇った例もある。
新聞に至っては「・・・・テレグラフ」という新聞名にして、情報の新しさ、素早い情報の伝達が可能であると、誇った。こうした命名の新聞の数は多い。

こういう観点から、1リーフ「テレグラフの用語の流行」という頁を作ろうとした。
しかし、今ひとつスペースが埋まらない。
そこで、あわててE bayなどで漁って、かろうじて見つけたのが以下に示すカバーである。
アメリカの「Nashuaテレグラフ」という新聞社が、1911年に差し出した封筒である。
これは厳密にはテーマ展開に妥当なマテリアルではない。
でも、三浦はあえて、堂々とリーフに貼ろうとした。

支払いも済ませ、到着を待ったが、なかなか届かない。
96
リーフの仕上げを待てなくて、この1頁は割愛して、他の物語で埋めてしまった。
そして、搬入してから3日後に、アメリカから航空便で、届いた。
間に合わなかったマテリアルとして記録に残す。わずか10数ドルのカバーである。

 

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200910月 額面79の切手をゲット

 

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
1
から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では7991は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
また、過日、「79」という額面をタイからのメータースタンプ貼り書留便で入手した。
残念ながらメータースタンプによる印字であった。

今回は、アメリカの切手で79セントのFDCを入手した。20097月の発行である。
残る未収の額面は3件です。
ルーマニア1943年の91額面の寄付金付き切手の使用済みは入手できるか?97と99の額面の切手はどこかの国で発行してくれるか?

 

79cの切手の初日カバー

 

 

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200910月 いまだに船便が利用されている確証  

 

切手の収友に出した手紙が戻ってきた。
彼はもとオーストリアのウイーンに住み、フィリッピンに移動、そして現在はオーストリアの別の町に住んでいる。
オーストリアに戻ったという電子メールを受け、てっきりウイーンに戻ったと思って、手紙をだした。

多摩局722日と723日消印。手紙を出した(切手を送った)という電子メールを入れたら、住所が違うという連絡が入った。
転送先不明で戻ってくるだろうから、戻ってきたら再送することにしていた。

戻ってきたのは、102日、発送から2ヶ月+αである。
封筒に「差出人戻し、転居先不明。神戸支店国際郵便課」という赤い表示があるから、欧州から神戸まで船便で、2ヶ月位かけて戻ってきたといえる。
このことから、ほとんど利用はないと思っている船便が、まだまだ立派に逓送ルートとして残っていることが判った。

 

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200911月 フランスのPスタンプ?


先日、フランス郵政のWEBを見ていた。
何かあるかな?何か面白い絵の入った官製封筒でもないかと探してみた。
絵入り官製封筒は何も見つからなかったが、代わりに変なマテリアルを見つけた。
フランス語の表記で、何なのかは理解できない。
画像もかなり荒く、詳細は判断できない。

でも、切手らしきものにパリのエッフェル塔らしきものが描かれている。
何か判らないが、17ユーロとか10ユーロというレベルなので、だめもとと、試しにと、注文をしてみた。
フランス郵政は25ユーロを越えてネットで注文すると送料が無料になるので、25ユーロを超えるまで探して、3点注文した。

しばらく経って、フランス郵政から書留便で届いた。
開けてみると、どうやらフランス郵政が公式に作成したPスタンプのようです。
以下にその図を示します。
1は表紙、図2はその内側で、10枚の20gまでの優先郵便料金としての無額面でシール式の切手があり、エッフェル塔の様々な角度でのデザインや構造がわかるデザインになっている。
これは、エッフェル塔を物語るマテリアルとしては最適のものとなる、しかし、問題は、この切手を如何にして使用済みにするか・・・・である。

1

 

  図2

 

 

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200911月 1879年フランスの電信会社の株券

 

最近入手した1879年の電信会社の株券です。
Compagnie Francaise du Telegraphe de Paris a New York」和訳すれば「パリ・ニューヨーク電信フランス会社」となるでしょう。適切な会社名の英訳は見つかりませんでした。

この当時、欧州とアメリカ大陸との間の電信線は、イギリスやアイルランドとニューファンドランド・カナダとの間にしか敷設されていませんでした。
例外は2つの電信線です。一つは1869年にFrench Atlantic Telegraph Company がフランスのブレストからSt. Pierre島経由でカナダと接続された海底電線でした。
残る例外が、この株券の会社が1879年に敷設したフランスのブレストから、St. Pierre島経由でアメリカ合衆国のコッド岬までの海底電線でした。

この電信線は1930年代まで稼働しています。
海底電線の敷設が1879年、この株券の発行は1879年ということで、電信線敷設に伴う最初の年の株券という意味でも、海底電信の歴史の中では貴重な資料になります。
でかすぎて、タイトルリーフにも貼れません。

ということで、この電信線は技術の歴史の中に残るものですが、残念ながら郵趣の世界では何もありません。
切手だけではなく、消印や少しでも関連する郵趣マテリアルは見当たりません。残念ですが。

 

 

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200101月 天洋丸のカバー


天洋丸は、日本の船舶として始めて無線電信業務(1908年に銚子無線電信局と天洋丸間で国際無線電信が始まった)を行った船として、三浦のコレクションの対象です。
JAPEX09の「テレグラフ・電信・電報」コレクションの中にも、図1に示す様に、天洋丸の切手と、天洋丸の無線電信局の消印をいれてあります。

今般、Ebayで、天洋丸で運ばれたカバーを入手した。
2に示す。横浜192365日消印、アメリカ宛(裏面にシカゴ1923−6−22の中継印)です。
Per SS Tenyo Maruと書かれただけです。

次は天洋丸船内差出カバーでも・・・・・

ついでに入手したものが図3のGHQからのアメリカ宛APOメール、但し、発信人は収集家と見られ、鎌足の田型に東京内幸町と思われる昭和201231日の消印がおまけにつけている。
調和20年の消印にしては20の文字がきれいなほうでしょう。

 

 

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20010年1月 JAPEX09に間に合わなかった情報 

 

JAPEX09には「テレグラフ・電信・電報」といテーマで、6フレーム96リーフのコレクションを出品した。
先日、「JAPEX09に間に合わなかったカバー」を紹介した。今回は、間に合わなかった情報である。

機械的な方式の電信、視覚通信(腕木通信)がフランスのシャッペによって開発された。
1にそのカバーを示す。
ところが、1965年に発行された中央アフリカのITU100年切手の中に、「Telegraphe Electrique a Signaux Chappe (電気的シャッペ信号電信)」という説明が書かれたものがある。
デラックスシートから切手の部分だけを抜き出し、図2に示す。
多分、1970年頃には単片切手も入手していたはずで、その当時から、この切手に書かれた電信器は何か関心を持っていたが、情報は皆目つかめなかった。

発行国は中央アフリカということで、フランスにデザインからすべて任せて印刷・発行していると思われるので、発行国の郵政に問い合わせても、無駄とあきらめていた。
JAPEX09でも、再度、情報入手に勤めたが、果たせなかった。
従って、図2に示すデラックスシートも単片切手も展示に使用できなかった。

JAPEX09の情報源として、P. Flictry著「Dynami of Modern Communication1995年発行を9月中旬に入手した。
すべてを読むことはできなかった。
JAPEX搬入後に、頭から読み始めたら、P43になんと、待望の情報が書かれていた。
シャッペに関してはこの本にも記述があり、索引もあるが、当該の事項は索引にはリストされていなかった。

この本によると、シャッペが自らこうした電気式電信を作ることはシャッペの活動した年代からは当然不可能である。
シャッペの視覚電信後に、フランス政府が電気式電信の技術開発の一環として、フランスの電気式電信の発明者でもあるブレゲーに命じて、シャッペの信号方式を電気的に送信する方式を検討させた。
完成はしたが、動作・機能として満足のいくものではなかったので、ほとんど実用化されずに、終わった。 ということである。

 

 

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200102月 昭和切手のエッセイ?   

 

214日の登戸支部例会に、根津さんが持参したマテリアルである。
12に示す7枚のエッセイと見られるものである。

これは何か?三浦が預かり、70倍の顕微鏡とイメージ・スキャナでの拡大し、解析を試みた。

 

  図1

 図2

1や図2の時代の切手は凸版か平版による印刷である。図3、図4と図5に拡大図を示す、
1,200DPI
での拡大(0.01mmの分解能)で、スキャナで取り込んだ図である。
あきらかにグラビア印刷に特有の「菱点」が見られる。


切手の外枠というか枠線は、通常の切手印刷では、綺麗な枠線が印刷されるはずである。
3と図4をみれば、枠線の外側にも菱点が見られる。
枠線を印刷する時にインクが飛んで、枠線の外側にも小点が印刷されることはあっても、図3や図4のように、等間隔にインクが飛ぶことはありえない。
これは、何かの図から画像を取り込んで、版を作ったときの、かすれによって、このエッセイの刷版製作時に、菱点として、残ったものであろう。

パソコン用などの4色もしくは5色のインクを重ね合わせてカラー印刷を行うような方式ではなく、図1と図2の切手の印刷色は、ともに特色インクによる1色刷りである。
このことは、刷版を準備し、特色インクを準備しての、それなりに大量に印刷したものと思われる。

以上のことから、図12に示す切手は、昭和切手の発行時に、もしくは発行前に作成されたエッセイではなく、後年になってから、誰かが、正規のデザイン図の写真などから刷版を作成して作ったものと判定できる。

3: 図1の右端の切手の拡大図 1200DPI

      

4:図2右端の切手の額面部の拡大 1200DPI    図5 同 船の腹の部分の拡大

 

 

200102月 インドのエコー葉書 


インドでも日本と同じような広告付きのエコー葉書が発行されていることは以前から判っていた。
しかし、なかなかそれらを入手するチャンスは無かった。
結果から言えば、E bayやDelcampで検索するときに、MEGHDOOTというキーワードで検索をすれば、見つけることができることが判った。
この葉書には「MEGHDOOT Post Card」と表記されている。

この「MEGHDOOT」の意味は?ネットで検索したら、丁寧に解説をしてくれているサイトがあった。
http://homepage3.nifty.com/~mariamma/tak-p16.htm
で、「メガドゥートはがきは、日本の「エコーはがき」に相当する、広告入り官製はがきで、普通はがき料金が50パイサー(1ルピーの半分)のところ、わずか25パイサーで買えるというお値打ち品です。
商品名の「メガドゥート」とは、サンスクリット文学の詩聖カーリダーサの作品「メガドゥータ」(雲の使者)から取られています。
メガドゥートはがきを作るには広告料、印刷料など合わせて1枚につき2ルピーを、広告主がインド郵政に支払います(受注は最低10万枚から)。
メガドゥートはがき第1号は20029月の発行。」と。25パイサーは円に換算すると0.5円。

E bayのアメリカのサイトで検索しても、数点しかヒットしない。
E bayのインドのサイトで検索しても数点しかヒットしない。
但し、25日の検索で、未使用ロット275枚というものが売りに出ていた。
Delcampのサイトで検索をすると、かなりの数の葉書がヒットした。

そこで、売り手がばらばらだと面倒なので、ある売り手に絞って、このカードをビットしてみた。
結果は、未使用であるが電気のコレクションに使えるもの10点。
使用済みで電気のコレクションに使えるもの、わずか2点をゲットした。

以下にその画像を示す。とりあえず入手できる売り物が出ている場所を見つけただけでも良いかもしれない。
今後はDelcampで検索を行って、使用済の出品だけをビットしていく予定。

 

 

 

 

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200103月 ドイツのレントゲン切手の偽物

 

ドイツは19511210日にレントゲンノーベル賞受賞50年記念切手を発行している、この偽物切手を入手したので、報告する。
図1にその全体像を示す。
20
枚の切手からなるフルシートで、消印も押印してある、これが本物であれば、リーフに貼ることができる立派なマテリアルである。
しかし、よくみると真っ赤な偽物であることが判った。その理由などを紹介する。

押印されている絵入り消印は、年月日がきちんと読めない。
この消印は、20倍のルーペでは判らない。
24800DPIまで解像度を上げてスキャナで取り込んでみた消印の一部の拡大画像を示す。
スキャナでもうまく取り込めていない。
本物の消印をあと消しのように押印したのか、適当なニセの消印を作って押印したのかは定かではない。

20
倍程度のルーペで見ると右下のマージンの部分に「FAUX(模造の意味)」ときちんと記入されている。


 

 

34,800DPIで取り込んだ右下コーナ部の拡大図を示す。
4は本物の同じ場所の拡大図である。
この切手は単色刷りである。
切手の印刷では、印刷する色味を調合して一色で刷る。
偽物はこうしたインクの調合は行わずに、通常の色の重ね刷りによるカラー印刷機を用いて印刷を行っていることが多い。

多くのパソコン用プリンターも同様である。
3をみれば判るように、青一色刷りの切手であるにも係わらず、文字の縁や切手の縁に赤い色がはみ出している。
これが偽物と判定する決定打である。
図4では、細かく線が描かれているのに対して、図3の偽物では細かい線はつぶれていることが明確に判る。

 

 

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200104月 イエメンの電話のFDC

 

イエメンが1959年に発行したイエメンの首都Sanna(サヌア)の電話自動化を記念する切手のFDCです。Sanna 1959-04-10の消印が押してある。

この切手は、残念ながらスコットには記載されていないので、手持ちのスコットで発行月日を確認できません。5種のセット完貼りです。何か、既存の印紙などに記念の文字を加刷したような感じに見えますが、スコットにリストされているイエメンの通常切手1930-31SC#-23の切手に加刷したものです。

スコットを見れば、イエメンではSC#7-13の切手にたびたび加刷を行っています。1963年にも加刷切手を発行しているので、よほどこの台切手が売れ残っていたのでしょう。

 

この切手は、1976年に発行された本「History of Telecommunication on Stamps」で紹介されており、前からこの切手の使用済みが欲しかったのですが、この20-30年間入手できずに終わっていました。

今般、Delcampeで見つけて、FDCを無事に落手しました。

 

前述の1976年の本によれば、「イエメンは電話普及率が世界でも最も低い国の一つで、1967年の調査で、100人当たりの電話は0・03台」と記述されています。

1万人の人口当たり3台しか電話の使用が無い状態でも、電話の自動化は必須だったのでしょう。

 

「イエメンの通信、モバイル、ブロードバンド市場調査2009年」という報告書がBuddeCommから20097月に刊行され、一部がネットに紹介されている。

これによれば、現在のイエメンでは、1)固定電話とインタネットサービスは国営のPTCによって供給されている。2)固定電話の普及率はまだ5%以下に留まっている。3)携帯電話の普及が始まっている、とある。

 

 

 

 

 

200104月 インドの電話切手オンピース

 

インドのPatiala州では、電信切手と同じような形式で、Patiala州電話切手を発行した。電信切手と電話切手に関する文献(Hiscocks著「Telegraph and Telephone stamps of the world1982年発行)によれば、

・Patiala州では「Patiiala州電話」事業を1920年代の後半からはじめ、1950年初期まで実施した。(その後は多分、インド全体の電話事業に吸収されたのでしょう。)

 

・電話料金の納付などの為に、電話切手が発行された。

・電話切手は、インドの郵便切手に「Telephone」と加刷された。加刷された切手の台切手は1891年代の郵便切手も使用されている。少なくとも30-40年以上前の古い切手の在庫を利用したりしている。

・これらの電話切手の発行年などは不明である。

 

・Hisccockのカタログでは、未使用・使用済みを区別してカタログ評価値を与えていない。使用されたとしても必ずしも消印が押されるとは限らないので、区別して評価できないからという理由。

 

・全ての使用済みは、電話切手の有効期限が切れてから、一般公衆の手に残ったもの「リマインダ」であろう。

・消印は青の鉛筆消しやCDS(Circular date stamp)が使用されている。とある。

三浦の手元には単片の使用済みが3枚ほどあるが、青のペン消しとCDS消しであるが、共に使用年代は読めない。以下に示すマテリアルを入手した。14枚も貼ってある。

 

消印は、局名は判読できないが、1947325日と読める、また台紙の一部に「Telephones Patiala」の一部が読める。多分、これは、正規に電話料金として納付に使用されたものの一部であろう。Hiscockの記述に照らせば、結構貴重な使用例といえるかも知れない。

 

 

 

 

200105月 額面97の切手をゲット

 

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
1
から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では7991は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
また、過日、「79」という額面をタイからのメータースタンプ貼り書留便で入手した。
アメリカの切手で79セントのFDCを入手したことも報告した。

今回入手したのは、97です。イギリスでは20104月郵便料金改定で、20gまでの世界向け航空便料金を97ペンスとした。
よって、数枚の通常切手が発行された。
以下はその一例である。イギリスに手配して、送ってもらった。

残る未収の額面は2件です。
ルーマニア1943年の91額面の寄付金付き切手の使用済みは入手できるか?99の額面の切手はどこかの国で発行してくれるか?


 

 

 

 

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200106月 額面99の切手をゲット   

 

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
1
から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では7991は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。
先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
また、過日、「79」という額面をタイからのメータースタンプ貼り書留便で入手した。
アメリカの切手で79セントのFDCを入手したことも報告した。またイギリスの「97」切手も入手した。

今回紹介するのは、ようやく入手したブルネイの国王か皇太子かの結婚記念の切手で、2004年の発行、額面は99となっている。
使用済みは困難なので、FDCで落手した。
ブルネイのカタログを見ても、同年代に99の額面の切手は他には全く発行されていない。
もしかして、結婚記念日に伴って末永くという意味で、99という額面を選択したのかも知れない。
残る未収の額面は1件です。ルーマニア1943年の91額面の寄付金付き切手の使用済みは入手できるか?

 

 

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200106月 Telephoneという名の郵便局・町の名前  

 

以下のカバーを入手した。1940年のTelephoneという名の郵便局の消印で、電話をしている女性のカシェが描かれ、郵便局長のサインが入っている。
たまたま局名にTelephoneとつけたのであろうか?念の為にネットで検索をしてみたら、きちんと情報が入手できた。

この町は非常に小さい町である。
1890
年には30名の人口、そして2000年では210名の人口となっている。
Telephone
郵便局は1886年にこの名前で開局している。
この町に郵便局を作るにあたって、色々と名前を考えたが、同じ名前が既にあったりして適当な名前がなかった。
1886
年はベルの電話発明の1876年から10年後である。
この町にも電話が取り付けられた。30人程度の町にも電話が設置された。
これを誇りに思い、局名として「Telephone」で申請して、無事に認可された、ということである。

現在もこの町はTelephoneという名前であり、と郵便局名はTelephoneである。
グーグルの地図で検索すると、テキサス州ダラスの北東部に、地名を見つけることができた。

 

 

 

 

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201010月 聴取無線電話施設許可願い

 

以下のカードを入手した。
これは原田さんがヤフオクで見つけて、三浦の関係するマテリアルではないかと、教えてくれたものです。
昭和7年に愛知県下で、聴取無線電話設置許可願が出され、303枚と10銭切手1枚が手数料として納付され、名古屋の非郵便印で抹消さています。
「聴取無線電話」という用語は今では用いられていません。
現在風に訳せばなんと「ラジオ放送の聴取」のことです。

カードに「鉱石」「真空管3球付き」という欄ががあることからも、申請者は「鉱石ラジオ」で聴取するのか、「3球スーパーラジオ」で聞くのかを記入する必要があります。
このカードは、担当の官庁に「原簿」のように保管され、昭和12年には半田町が半田市になったことに伴う住居表示の変更も行っています。
こうしたカードは基本的には外に出てこないものと思います。
そのためでしょうか、ヤフオクでは数人でバトルが行われ、結果として三浦が落札しました。

こうした許可願いを受けて、葉書に印刷した「聴取無線電話施設許可証」が発行されます。
こちらの許可証はかなり前に入手済みです。
許可願いとあわせて、三浦のラジオ放送のコレクションに入れることになります。

 

 

 

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201011月 JAPEX2010「電話」出品後の入手MX

 

Japex2010には8フレームの「電話物語」というテーマコレクションを出品した。
このコレクションで使用した切手の中に、電話のダイヤル表示板が描かれ、その中に短縮電話番号として「電報は14番へ」などの文字が、ルーペで見て、かろうじて見えるものがあった。
そこで、切手の当該の部分をスキャンして画像としてリーフに書き込んだ。
1200
DPIで取り込んでも、画像の鮮明さはいまひとつであった。
この画像撮り込みにそれなりの時間を費やしてしまった。

 

   拡大図

電話器のダイヤルに「電報はダイヤル14番」と明記

.

1113日のJAPEX会場で、ブースを回っていて、フランスインターナショナルのブースで、以下のマキシムカードを入手した。
綺麗に当該の部分を拡大して描いてくれている。
このマキシムカードが9月末までに見つかっていれば、JAPEX2010のコレクションに使用できたのに・・・・・・残念である。

 

 

 

 

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201012月 アトムコレクション用不採用原画


今般、Ebayでアトム切手コレクション用に、不採用となった原画を入手した。
こうしたマテリアルを求める人が少ないのか、ほとんど競争なしに入手できた。

1973
年に国連は原爆の不拡散に関する切手を発行している。
たぶん、この時に国連郵政はデザインの国際コンペを行ったのでしょう。
数年前にどこかのオークションに不採用の原図が出ていたのを記憶しています。

今般入手したものとは異なる図案であったと記憶しています。
今般入手した原図は、エジプトはカイロに住むSaber Ahmed Saida.のデザインです。
原図の裏に本人の自筆かは定かではありませんが、作者の住所と氏名が書かれています。
裏にはさらに20番という番号まで記載されているので、もしかして20点以上も切手図案の応募があったのかもしれません。

 

 

 

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20111月 1862年の海底電信線で送られた電報

 

JAPEX2010へ出品するテーマとして「海底ケーブル」を選択した。
JAPEX89に36リーフで出品したコレクションをリメークする。
そこで、明らかに海底ケーブルで伝送されたことがわかる電報を何点か入れようと思っている。
海底ケーブルは1851年の英仏海峡横断海底ケーブルの敷設以降、普及した技術である。
1850
年代、1860年代の電報を入手しようと試みている。
以下はその一つで、最近入手したものである。

1862
年の電報である。
Mediterranea Extension Telegraph(直訳すれば地中海延長電信)会社によって、海底ケーブルで送られたマルタ島宛のもの、発信人の住所はイタリアのジェノア、電報の発信局はナポリ。
イタリア語と思われる電文で、意味は不明。

地中海延長電信会社は、1857年に創立し、1868年には吸収合併されて会社名がなくなった会社で、サルジニア島とマルタ間のケーブルを経由してマルタとフランス・イタリアを結ぶ電信網を運営した。
さらにマルタとギリシアのCorfuまでのケーブル、シシリー島とマルタ間、CorfuからイタリアのOtranto間のケーブルを敷設した。
詳細なケーブル網はまだ調査していない。

 

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20111月 フランスの古い切手との混貼りFDC

 

12月の末に入手したフランスのカバーです。
1967
年に発行されたマリーキュリーの肖像を描く切手を貼り、特印を押印したFDCです。
この1967年の切手は下図の左手にあります。
同時に右手にはキューリー夫妻の切手、1937年に発行も貼られています。
同じ1967年の特印が押印されています。

何かの切手が発行された時のFDCに、関連する古い切手も貼り、合わせて特印を押すということは収集家としては考えられることです。
それを、きちんとフランスの収集家が行って、後世の我々のために残してくれた例です。

 

 

 

 

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2011年2月 マンハッタン計画の検閲郵便 

 

マンハッタン計画は第2次世界大戦中のアメリカの原爆開発プロジェクトのコードネームである。
このカバーはどうにか落札することができたので紹介する。
最初誰もビッドがなかった。
こうしたカバーにまったくビッドがないのは不思議に思っていた。
10秒前に1名、競争者が現れたがどうにか逃げ切った。

バージニア州のCambria局1945年1月20日差出し、ニューメキシコ州サンタフェの私書箱1663号のStaff Sgt(アメリカ陸軍の2等軍曹) Peter H. Watkins宛、差出人は奥さんでしょう。
そして、2034の陸軍検閲印と検閲済のシールが貼られている。
アメリカの国内便で検閲員印、この私書箱1663号はニューメキシコ州ロスアラモスにあった原爆開発のための秘密の研究所宛の手紙専用の私書箱である。

Watkinsは、売主の解説によれば、特別技術分隊に所属していたとある。
そして、ネットを検索するとこのWatkinsの写真も見つかった。
マンハッタン計画に関連するサイトに、関係者の一人として、写真が公開されていた。
ただし写真だけで、彼の履歴などまでは不詳である。

 

 

SED Peter H. Watkins in S anta Fe, NM after war.

 

 

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2011年3月 イギリス クリスマス島原爆実験カバー

 

最近入手したカバーです。 E bayで見つけたカバーです。
1956
年にイギリスはクリスマス島で原爆実験を行いました。
この時のイギリスの軍事郵便です。BFPO Christmas Islands 3 De 56の消印が押されています。
ものの本によれば、イギリスの軍事郵便で所在地を示したものは、このクリスマス島と、1900年頃のボーア戦争の時しかないそうです。

地名を明記したのは、参加した軍人の士気を高めるためと、されます。
さて、クリスマス島に関して、ちょっと調べみました。
・イギリスの探検家
ジェームス・クック(1728-1779)が、彼の3回目で最後の航海の途中、クリスマスイブに上陸しました。
クリスマス島の名前はこの時に付けられました。キャプテンクックはその後ハワイで殺されてしまいます。
航海日誌には、クックはクリスマス島に上陸してウミガメを多数捕獲したという記録が残っています。
又、彼はこの島のポテンシャルを非常に高く評価したそうです。

・その後、イギリス、オーストラリア、アメリカが開発を試みていますが、どこも成功はしなかったようです。
その歴史は島の地名(ロンドン、ポーランド、パリ、Banana)に色濃く残っています。
開発が成功しなかった一番の理由は、珊瑚礁で出来ている島なので、土が無く農耕ができなかった為だと思われます。

1894 イギリスの統治開始
195658 イギリスが大気圏内原爆実験を行う
1962 アメリカが大気圏内原爆実験を行う
1979 イギリスより独立して、キリバス共和国クリスマス島となる。

 

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20114月 ついに額面91の切手をゲット

 

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
1
から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では7991は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
また、過日、「79」という額面をタイからのメータ−スタンプ貼り書留便で入手した。
アメリカの切手で79セントのFDCを入手したことも報告した。
またイギリスの「97」切手も入手した。
99」の切手もブルネイの切手で入手したと報告済み。

今回紹介するのは、残る未収の額面は1件、「91」であった。
切手としてはルーマニア1943年の91額面の寄付金付き切手があることは20年以上も前に気が付いていた、でも未使用は簡単に入手できたが、使用済みは本当に見つからなかった。

今般、この使用済みをようやくルーマニアの切手収集家?経由で入手できた。
以下に示す。消印は読めなくてもOK、すこし折れ目があるのが少々の難。

これで、使用済みですべて、額面1から100まで揃った。2005年に少し欠けた状態でコレクションをまとめてから、数年をかけて、すべて揃えることができた。 とりあえず万歳しよう。
この切手は寄付金付きで91109になっている。
最終的には91だけ、寄付金のない切手で額面91を見つけましょうか????

 

 

 

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20115月 泉巌男さん宛のFDCなど

 

4月末の浅草でのスタンプショー会場では、エコーはがきや風景印・小型印が入った箱と2時間くらい格闘して、数十枚の葉書を入手しただけに終わっているが、以下に示した泉さんあてのFDCを2通ほども購入した。
JPSで色々と活躍し、確か踊り・民族舞踊などのジャンルを集めていたと記憶する。
泉さん宛にFDCなどが一山、品川仁さんのブースにあった。
たぶん、遺族から引き取ったものと思い、記念にと、三浦のテーマにちょっと入れて、残すことができるものとして、選択した。

故人の遺品も何らかの形で、誰かのコレクションに残ればよいのでしょう。
品川仁さんのブースで、ふと泉さんを思い出しながら、2点のFDCを選択しました。

 

 

 

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20116月 2か月かかった航空便 

 

以前に、ブータンから日本宛の手紙がずいぶんと時間がかかって届いた・・・・という話題が例会であった。
今回紹介するのは、それを上回る直近の航空便の例です。

以下にそのカバーを示します。
E bay
FDCを購入した。
売主はベネズエラ。航空便・書留便であるが、切手に押印した消印は薄くて読めませんが、裏面には201139日の青い四角のスタンプが押印されています。
配達は不在の通知ラベルで510日の配達であることが判る。
すなわち、発送から配達まで2か月と1日かかった航空便となる。

これは、ベネズエラ郵政の問題であった。
売主からの310日付のメールでは、「ベネズエラから主としてアメリカ・カナダ向けの外国宛の郵便の発送が、この1月末から、トラブルを起こしている。その他の国宛も同じかもしれない。ベネズエラ郵政の外国向け郵便発送部門と、航空会社(アメリカン航空、デルタ航空、ルフトハンザ航空、アリタリア航空及びその他)との間でのトラブルである。ベネズエラからの外国宛郵便は、ベネズエラの空港で止まっている。この情報はベネズエラのローカルな郵便局では一切情報が流れていない。39日になって、ベネズエラ郵政の知り合いを通じで、初めて知ったことである。郵便物は管理区域で管理されているので、無くなったりはしないが、いつ発送になるかは全くわからない。」ということであった。

そして421日のメールで、「問題は半分解決した。アメリカ向けは発送が開始されている。アジア向けはフランクフルトに向けて発送し、その後に転送される。」とあった。
そして、5月の連休明けにようやく自宅に届いた。

 

 

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20127月 アイスランドからイスラエル経由2か月

 

7月の月例会に持参したカバーです。

アイスランド郵政から三浦宛、切手発行案内が入った封筒です。

レイキャビック差出は201253日(郵政差出の無料郵便なのでしょう、切手の貼付はなく、消印だけが押されています)、三浦の自宅への配送は77日で、2か月以上かかって、届いています。

川崎港局201276日の消印のついた附箋があり、「この郵便物はアイスランド国からイスラエル国へ誤送され、同国から船便で76日に到着しました。」とある。

エコノミークラスの郵便物なので、航空便では転送されず、船便で転送されたのでしょう。
イスラエルから日本向けの船便が、まだ利用されていることが判ります。
イスラエルでの中継印がないのが残念です。

例会で、どのような事情でこうなったかを、想像した。
たぶん、複数の日本の収集家宛にアイスランド郵政は切手発行案内を準備したのでしょう。
Japan宛が、郵便区分けでJの隣のIの国、Israerlに区分けされ、イスラエルに誤送されたのではないかと。
でもISの次にはItaly、Ivory Coastが来て、次にJapanとなるので、郵便区分けボックスが国別・アルファベット順に並んでいて、その入れ間違いとすれば、イタリーへ誤送されてもよいことになり、ちょっとおかしいことになる。

いずれにせよイスラエルに複数の郵便物が誤送され、一括してイスラエルで附箋でもつけられて、川崎港局に到着。そして、川崎港局で、遅れた事由の附箋を付けてくれたものと、推定しました。

 

 

 

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2011年8月 にせものエノラゲィFFC

 

2011年夏の横浜開催の国際切手展、この出品の準備中に、面白いマテリアルをE bayで売られているのを見つけた。
なんと、エノラゲィ広島への原爆投下のFFCである。
1945
86日テニアンのUS軍事郵便局の消印、検閲印付き、裏にはMission Completeというスタンプもあり、Restricted Data 57132という極秘ではないが、部外秘というレベルの秘密指定であるRestrictedということも記されている。

これは面白い、国際展のアトム・原子力のコレクションのタイトルページに使える、ということで入札。
1
名の競争者がいたが、なんとか落札。
カバーの表と裏を以下に示す。

1

 

2

 

到着したカバーを見て、おかしいと感じた。
1.添付されていた切手の消印を見ると、封筒にタイしていない。
2.切手に押された消印の波の部分の黒の濃さと、日付印の部分の黒の濃さがあまりにも違いすぎる。
機械印での押印の場合は、このような濃さに差異が出るはずがない。

そこで、60倍の顕微鏡を引っ張り出して、精査を開始した。
検閲印のサインの部分と、黄色いマークの部分の黄色を除けば、日付印の部分も、その他のすべての表示部分を60倍のルーペで覗くと、印字された文字の周囲に細かい、黒いトナーが飛んだことによるドット上の汚れがある。

すなわち、このカバーは、ゼロックスなどのコピー機か、パソコン用のインクジェットか、レーザープリンタで作成したまっかなにせものであると断定できた。
ということで、期待した国際展のタイトルページに面白いマテリアルとして、採用することはできなかった。残念である。

このカバーの売主に連絡をした「このカバーはコピー機かパソコンで作成した偽物である。印字の文字の周囲に60倍のルーペでみれば、トナーの飛んだ汚れが見える」と。
売主からは、このカバーは死んだ義弟のコレクションである、義弟はパソコンの知識は皆無であったので、義弟が作ったとは思えない。いずれにしろ代金は返却する」との連絡は入った。

さて、これをどのように記録に残すか。
三浦の手持ちイメージスキャナ最大限の解像度で取り込んでみたが、印字の文字の周囲のトナーの汚れは、画像ファイルとしては取り込めなかった。
トナーのサイズは10ミクロン程度、この10ミクロンの大きさをスキャナで取り込むには最低限度2500DPIの解像度がいる。2500DPIで取り込んだとしても1ドットの画像である。
2500DPI3倍以上の解像度を持つスキャナでないと、きちんと画像として取り込めないことになる。
画像としての取り込みはあきらめた。

ところが、国際展の会場で、山口さんが「Lindnerのブースでデジタルマイクロスコープがあった。これが最後の売り物、あとはない。」と教えてくれた。
Lindner
のブースに行くと、確かにすばらしいもの。
翌日、この偽物カバーをLindnerのブースに持ち込み、文字の周囲のトナーによる汚れを画像ファイル化できるか、試してみた。
十分に確認できることが判った。
在庫品はないので、送料負担込みで注文をブースでは受け付けていた。
そこまでしなくてもたぶん、どこかの通販サイトで売っているだろうと思い、注文はしなかった。
国際展が終わってから、ドイツのディーラーのサイトで見つけ、注文した。
国際展の会場で送料込の注文金額より、数百円安く手に入った。

8
20日にルーペは届き、パソコンにインストールして、早速偽物カバーの画像を取り込んだ。
以下にその図を示す。図2と3は消印の日付の部分の拡大図、図5は表の左上コーナの部分の拡大図である。ともにばっちりと、文字の周辺にトナーにおる汚れが見える。

  

3                 図4                図5

 

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2011年9月 30年待った灯台切手の使用済

 

灯台に関する切手も集めている三浦にとって、なかなか見つからない使用済み切手があった。
ドイツが1916Uボートでの送り状に貼るための切手として、5マルクから100マルクまでの額面と色違いの切手を発行してくれた。
この切手に灯台が描かれている。
使用済みとしてどれかの額面の切手が欲しいと思っていた。
ミッヘルドイツ専門版(三浦の手持ちは1984年版と古い)に記載されていて、使用済みの評価は未使用の15倍から2倍である。
20
年も前にアメリカのドイツに強い切手商に使用済みはあるか?と問い合わせたが、持っていなかった。
いつかは使用済み1枚・・・と念願していた。

この9月のドイツのガートナーのオークションに、この切手の使用済みがずらりと出てきた。
いずれもそれなりの評価額である。
初めて使用済みを見た ともいえる。
そこで、もっとも安く評価されている切手に、どうせ1枚しか買えないのだから、目立つ刷色の切手として赤い切手を選択し、それなりの価格でビットしてみた。
おかげでついに念願がかなった。以下の図1に示す。オンピースなのが幸いともいえる。

この切手は、横浜での国際切手展にウルグアイからの灯台コレクション(金賞)には、未使用で14種全揃い(と記憶しているが)がリーフに収まり、展示されていた。
かなり前の全日展での潜水艦切手コレクション(出品者は松浦さん)にも含まれていた。

この切手のステーショナリーというか切手の額面付の送り状もあり、松浦さんのコレクションで使用済みを見たことがある。
今般のガートナーのオークションにも使用済みの送り状が出品されていて、評価額2000ユーロ。
とても手が出ない。さて、いくらで落札されたのであろうか?

 

 

 

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2011年9月 アメリカのカラー特印

 

9月の例会で、南スーダンからの新切手に関連して、カラーの特印がアメリカで使用されていると、話をしました。以下はその実物の例です。
アメリカ郵政に直接発注していたものが届きました。
灯台が描かれているという理由で入手したものです。

アメリカ郵政では数年前から、従来の初日機械消印のFDCに加えて、Digital Color Postmark FDCなるものを作成して販売しています。
図1は黒インクの機械印で、従来からの初日印を押印したFDC、図2はカラー特印版FDCです。

1188セントと安いのですが、図2のカラーFDC1.60ドルと倍です。
カラー特印の押印代としてひと押しで80セントもふんだくってくれます。

それでもテーマでアメリカのFDCを使用しようとすると、単なるFirst Day Issueという消印では、まったく面白味がなく、テーマの展開にも合わないのでほとんど使用できません。
それに比べれば、Digital Color Postmark FDCはなんとかテーマコレクションに使用できるので、たまに購入しています。

 図1従来形

 

図2 デジタルカラー

 

 

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201110月 トピカルタイムスにあったアメリカのテーマコレクション規定

 

アメリカの本部を置くATAアメリカトピカル切手協会の会員も多いはずである。
三浦は終身会員でもある。隔月に機関誌が届く。
あまり面白い記事がない場合が多いが、2011910月号には、興味の深い記事があった。
テーマコレクションに関して、いかなるマテリアルを入れるべきか、入れてはならないか・・・・という記事である。

記事を読むと、実際の成文化された規則書には書かれていない暗黙のルールが存在する・・・・と。
テーマコレクションにあっては、すべてのルールを成分化できないのはやむなしと、三浦は考える。
こうした暗黙のルールの一例が紹介されていた。それを英文和訳しながら紹介する。

1リーフには少なくとも3種類のマテリアルを搭載しなければならない(Must)。
これは、単片切手だけで1リーフ構成してはならないということだけではなく、3種類のマテリアルとあるから、単片と、何かの消印と、ステーショナリーで1リーフを構成しろ、とでも言っているのかもしれない。
多数のマテリアルを動員する、という点で納得できる点である。

*未使用のステーショナリーをLapしてはならない(Must)。
Lap
には「包む」という意味もあるが、ここでは重ねてはならない、という意味と解釈しよう。
未使用のステーショナリーは宛名を書くスペースなどが空くので、重ねて貼りたくなるのであろう。
重ねた場合は、傷があったりした箇所を隠しているのではないかと、疑われるので、重ねない方が良いと、しばしば言われる。
では、使用済みのステーショナリーは重ねても良いのか??? この項目は疑問が残る。

*クラシックなマテリアル(1890年以前)を少なくとも1点はいれるべきである(Should)。
なぜ1890年以前のクラシックと定義しているのかは定かではないが、19世紀のマテリアルも含めるべき という点は納得できる。

V-Mailのマテリアルを少なくとも1点は入れるべきである(Should)。
これはアメリカの独特なルールかもしれない。
V-Mail
には様々な絵などが描かれているので、テーマの展開には利用できそうである。
しかし、厳密にはV-Mailに書かれた文章や絵は、普通の葉書に書かれた私的なテキストと同じで、本来はテーマの展開には利用できないはずである。
たぶん、アメリカのローカルな規定で、様々なマテリアルを入れるべき、V-Mailもその一つ と言った程度のことかもしれない。

*フランス系の国の無目打ち切手をあまり沢山(幾らからが沢山かは?)入るな(命令形)。
フランスやその関連国からは無目打ち、カラートライアル、デラックスシートと、これでもかと様々なマテリアルが発行されている。それらをあまり入れすぎるな、という警告であろう。納得のいく警告である。

これらはあくまでも参考にして、各自のやり方で、コレクションを楽しみましょう。

 

 

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201110月 スペインのPスタンプから

 

10月にDelcampeのサイトにスペインから面白い図柄の切手が売りに出ていた。
スペインのPスタンプである。
作成者が少し高めに販売していた。
そこで、使用済を作ってくれれば買うという条件で注文し、三浦のテーマに会う切手、エニグマ(ドイツの戦時中の暗号作成機)1枚、ラジオ受信機関係9枚、そして電信の先駆けとなった光学・視覚通信を描く切手6枚の合計16枚を入手した。


以下に示すように、すべて封筒に貼り、右下コーナを軽く消印を押印したもの。
エニグマに関してはそれなりの情報は入手済、ラジオ受信機は情報入手に困らないだろうと推定できる。

6
枚の視覚電信の中で、フランスのシャッペの電信に関しては情報入手済。
シャッペの切手はフランスその他から発行されている。
問題は5枚の残りの視覚電信機に関する詳細な情報の入手となる。
とりあえず、売主というか製作者に情報の提供を求めるメールを出しておいた。
ネットで情報を探してみるが、3枚はどうにかスペイン語の説明があった。
機会をみて、機械翻訳で英訳して調べてみる。

2
枚は情報が現時点ではない。
スペインはフランスのシャッペによる視覚電信の成功の報を聞いて、熱心にスペイン国内での導入を計った国である。
これらは三浦の電信・ラジオ放送などのコレクションに入れることになる。

 

   

 

 

 

 

 

 

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201112月 オーストラリアの見本字入り切手の郵便使用例

 

1

図1に示す以下のエンタイアを見ていただきたい。
海外のネットオークションの落札品が同封されてきたオーストラリアからのものです。
中に入っていた郵趣品を取り出して、送られてきた封筒は興味なし、雑のボックスにいれて、来年のスタンプショーに供出としようとして、ふとみると、図2の拡大図にあるように、1ドルの切手の上部に黒くSpecimenと加刷がありました。


オーストラリア郵政は、時々、5枚程度のセットでSpecimen加刷切手のセットを売り出します。
この1ドル切手もその1枚でしょう。
正刷切手は1998年の発行、映画と劇場シリーズの切手なので、三浦の電気・映画関係のコレクションに入れてもよいのかもしれません。
ちなみに女性Nellie Stewart1858年生、1931没のオーストラリアの俳優・歌手です。
男性James Cassius Williamson1845年生、1913年没のアメリカの俳優で、のちにオーストラリアで最初の劇場の支配人となった人の様です。


2

差出人は、当然切手蒐集家ですが、果たして意図してこの見本字入り切手を誤使用の例を作り、サービスしてくれたとも思えません。
差出人も気が付かず、郵便局も気がつかずに機械消印とスプレー消印を2重押しして、三浦に届きました。

 

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201112月 福島原発関連のマテリアル その2

 

12月の月例会で、「東日本大震災復興寄付金付き葉書の使用例で、大阪の収集家が福島県飯館郵便局留め置きで差出し、628日の飯館郵便局の到着印があり、保管期間経過で差出人に戻されたものです。これは明らかに福島原発関係のマテリアルとして、三浦のコレクションに入ります。」を紹介した。

今回紹介するのは、三浦の自作カバーです。
福島第1原発にもっとも近い場所にあり、福島原発を描く風景印を使用している双葉郵便局宛に、風景印の郵頼文書を送ってみました。
そうしたら以下の図のような附箋がついて、戻ってきました。
「福島原子力発電所の事故に伴い、配達先の地域に・・・・・」という附箋の文書です。
残念ながら郵便局の消印は押印されていません。どこの部署で返送の手続きを行っているのか不明です。

でも、こうした附箋付のカバーであったとしても、立派な「原発事故」関連の郵趣品となります。
何通か作ってみましょうか?
1
か月に1回位繰り返していけば、いつこの双葉郵便局の業務が復活したのか、風景印はどうなったかが、判るでしょう。

 

 

 

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20121月 フランス航空切手50Fの使用済みと偽物

 

先月の支部例会で、鳥海さんは「郵趣12月号掲載 航空切手の迷品」とそて紹介された1936年フランス発行の50F切手の実逓カバーを持参された。
この航空切手は地上に大きくエッフェル塔が描かれていることもあって、三浦のテレビ塔関係のコレクションの対象となっている。

1936
年の最初の緑色の50F切手は使用済みでもかなりの値段なのでまだ入手していませんが、19367月の青色の方は使用済みを持っているので以下に紹介します。
同時にまっかな偽物も手元にあるので、比較してみましょう。

 

本物                             偽物

 

 

右上部拡大 本物                    偽物

 

2枚を比べれば、この偽物の品位が悪いことは一目でわかります。

本物は背景の赤い波線が目打ち部まで印刷されています。
印刷シートの版で赤い波線が印刷され、その後に目打ちが施されています。
偽物は、大きなシート全体の版を作製することができなかったのでしょう、目打ちに近い部分の赤い背景の波線は印刷されていません。

さらに拡大してみれば、本物は赤い波線は細い一本の線で、紙の表面の凹凸の為に多少はとぎれとぎれになっていますが、連続した線です。
偽物は、この赤い波線が、太く、複数のドットで構成されいます。
さらに背景は黄色でも印刷され、ドット状に青のインクも見えます。
これは本物からカラースキャンを利用して偽物の版を作り、カラー印刷機で偽物を印刷したからでしょう


 

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20124月 海底ケーブル敷設船の写真

 

今年のJAPEXには「海底ケーブル」のコレクションを出品する予定です。
JAPEX
89と、20年以上前に出品したコレクションのリメークです。
関連する海底ケーブルで電送された電報なども入手している。
以下に示すのは、海底ケーブル敷設船の写真です。
Stanley
 Angwine号、Mirror号、Mercury号で、いずれも一回は切手に登場している敷設船です。

この写真の出所は英国のCable & Wireless社という海底ケーブル網と無線通信網を持って、世界中の電信を扱っている会社です。
1872
年 にイースタン・テレグラフ・カンパニー社として、英国の海底ケーブル通信網を利用して世界で電信業務を始めた会社が基になっており、世界80カ国で事業展開している電気通信事業者です。
それだけに有効な写真です。
コレクションのタイトル頁には使用できそうです。
Delcampe
で売っていたので、まとめて、全部買ってしまいました。

 

 

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20125月 日本のメータ−スタンプもカラー広告の時代に

 

JPSメータースタンプ部会(三浦も会員です)の会報(20125月号)によれば、メータースタンプの広告部分のカラー化が実現し、今年の1月から使用を開始したそうです。
以下の添付のものは、計器の販売元であるピツニー・ポウズジャパン社の好意で、メータースタンプ部会の会員向けに提供されたものです。

カラー表示のタッチパネルなどが広告に入っており、三浦のコンピュータ関連のコレクションに入れるものです。

 

 

 

 

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20126月 NZの電話関連の絵入り封皮

 

何時であったか、JAPEXに勝井さんという元NTTの収集家が電話のコレクションを出品していた。
その中に、欲しいな・・・と思うものがあった。
ニュージーランドの1920年代の「電話を利用しましょう」というスローガンが入った官製書簡レターカードである。

この使用済みが今回のドイツのガートナーのオークションに出品されていたので、参考価格程度で入札したら、落ちた。
勝井さんのコレクションには未使用であったが、三浦のコレクションに入れるには使用済みに限る、として、長い間探していたマテリアルです。


 

 

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20127月 フラマ切手のサイトの紹介

 

7月の月例会が終わって頃、鉄道切手部会の会員の依頼で、この6月に発行されたばかりのフランスのトラムを描くフラマ切手の入手作業を行った。
欲しいフラマをDelcampeで売っているフランス人がいたが、支払いにPaypalは利用できず、注文できなかった。
次には、スペインの売り手がフラマを貼って特印を押印したマキシムカードを売っていたので、それを注文し、ついでに、未使用はないかと質問した。
即、返信があり、自分の運営しているサイトを見てくれ http://galeriaatm.com/tienda/catalog/ をとなった。

このサイトを見ると、世界各国のフラマ切手を多数紹介し、未使用、オンカバー、マキシムカードなどを売ってくれていた。
世界各地でこの種の、フラマをよくも使用していると、感心させられる。

早速トラムのフラマ未使用を6枚ほど注文した。
支払いはDelcampeでの購入分との合算で、Paypalで支払いを済ませた。

トピカル的な図案のフラマもあるので、ちらりとこのサイトを覗いてみることをお薦めします。
以下は当該のサイトのTOP頁の画像です。
スペインのサイトですが、英語とスペイン語で表記されています。
このサイトになぜかアクセスできないケースがあるようで、その場合は、ATM Galleryという用語で検索をして、そこからアクセスしてください。



 

 

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20131月 葉書の書留便

 

ファイルを誤ってなくしてしまいました。

 

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20132月 シールが6円切手としてあつかわれた事例

 

この1月下旬に届いた郵便物です。不足24円の請求がありました。
はて、なんで不足料金が24円なのか・・・・面白い事例であることが判りました。

この郵便物は愛知県の収友が定形外の封筒に厚紙などがあって少し重いので、90円分の切手を貼り、名古屋空港の常滑セントレア分室の風景印を押印して、三浦宛に発送したものです。
下部に6の文字も入っているシールを貼ってあります。
セントレア分室では料金の不足に気が付かず、風景印を押印して、実逓として引き受けたのでしょう。

その後、集配局の常滑局で郵便料金不足に気が付き、料金不足の印を押印しましたが、下部に貼ってあるシールに6の文字があることから、6円切手と勘違いし、ローラー印で消印し、定形外120円との差額24円を不足料金としたものでしょう。


はい。ここまでやってくれれば、このシールには地下鉄の絵が入っていますので、堂々と地下鉄のマテリアルとして、切手展出品リーフに貼ることができます。
郵趣マテリアルの定義として、切手ではないシールに郵便消印が押されていれば、そのシールは郵趣マテリアルになります。シンデレラマテリアルが、郵趣マテリアルになるのです。

 

 

 

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20134月 フランスのタブに広告付き切手2

 

 

フランスの1950年代の切手帳ペーンのマージンに商業広告が付いている。
このタブに広告が付いている切手の使用済みを2種ほど入手できた。以下に示します。


 

 

 

 

上段のタブにはLampe Mazdaという広告がある。
日本の自動車会社の名前ではない。白熱電球などの電球のブランドとして世界的に有名だったMazdaの広告入りです。
マツダ (MAZDA)は、1909年にアメリカで創設された、白熱電球などのブランドで、日本ではライセンスを得て東芝がこのブランドで電球を販売していた。
東芝のサイトにあった写真を上に示す。この切手は三浦の「電気照明」のコレクションに入ります。

下段のタブにはTelevision Grammontという広告がある。
このGrammontのテレビは、かつてテレビ受信機の設計者であった三浦も知らなかった。
慌てて調べてみると、フランスのテレビメーカで、1950年代の受信機を上に示す。
1914
年に創業した会社で、最初は白熱電球の製造を行った。
1次世界大戦で軍用の真空管の製造を依頼されたのが契機で、その後真空管の製造、そして1923年からはラジオなどの製造。
1930
年以降はテレビ受信機の製造を始めている。

1950
年―1960年頃が会社として最も好調な時期で、切手に広告も出せた時代であった。
1967
年に他社と合併してCGEとなり、1971年にはCGEThompsonに吸収された。
したがって、現在ではこのブランドは存在しない。
このタブ切手は三浦の「テレビの切手」のコレクションに入れます。

 

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20135月 国連のラジオ放送記念切手をルーペで

 

「郵趣」5月号の表紙には国連ラジオ放送の記念切手が紹介されています。
三浦はラジオ放送のマテリアルということで、国連郵趣部からFDC(図1)を直接購入しています。
表紙に採用された国連ラジオの切手で、0.70ユーロの切手には、ルーペで見ると、日本から放送局に当てた手紙の一部が見えています。

拡大図を図2に示します。
「宣伝と切りはなされることが大切です。軍縮の話し合いが汚い戦争の道具になることは許されるべきではありません」と読めます。

どなたかが、国連ラジオに投稿した手紙でしょう。
日本語の手紙の他に、漢字表記のものなども見えます。

 

 

2 部分拡大図

 

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20136月 ルクセンブルグからQRコードが図案に入った切手

 

ルクセンブルグからこの5月に面白い切手が発行された。以下に入手した切手を示す。
QR
コードは日本の切手のシートのマージンの所に、販売管理のバーコードとして印刷されているので、さほど珍しいことでもない。

でも、今般のルクセンブルグの切手は、切手の図案の中に、堂々とQRコードが描かれている。
ということで、三浦のコンピュータの切手に入れるべく、ルクセンブルグ郵政に発注した。

ルクセンブルグ郵政はCTOも引きうけてくれる。
4
CTOを注文すれば、4枚田型で、真ん中に初日の黒活印を押印してくれる。

この切手は、ヨーロッパの小国(人口100万人以下の国)だけのスポーツ大会で、今年はルクセンブルグで開催されるので、これを記念した切手である。
このスポーツ大会はインターネットで中継される。
ということで、切手の図案にはスマートフォンの画面とQRコードが描かれることになった。
この切手に描かれたQRコードをスマートフォンで読み取れば、スポーツ大会のインターネット中継に接続される。

 

 

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20137月 サンマリノの絵入り官製葉書から

 

マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maksymilian Maria Kolbe189418-1941814)は、ポーランド人のカトリック司祭である。
長崎で布教活動をしたこともあるポーランドのコルベ神父は、アウシュビッツ強制収容所で餓死刑に選ばれた男性の身代わりを申し出て1941814日に死亡。

1982
1010日に教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。
コルベ神父は1982年列聖を記念して発行されたポーランドの切手と、2011年にポーランドから発行された逝去70年の切手がある。
この他に、サンマリノで同じ目的で発行された記念はがきを以下に示す。

何故この神父の記念葉書を入手したか?実は、アマチュア無線に関連する切手の収集家の中には、非常に熱心な人がいて、この神父はSP3RNというコールサインを持つアマチュア無線家であることを調べてくれている。
彼の情報によってこのマテリアルがあることを知り、三浦のアマチュア無線のコレクションに入れるべく、Delcampeで特印付を入手した。

 

 

 

 

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201312月 「宇宙人の探し方」の本に三浦のコレクションを掲載

 

この11月に、幻冬舎新書として、鴨沢真也著「宇宙人の探し方」という本が発行されました。
本の表紙を下図に示します。
この本を見ていただければわかりますが、三浦が提供した「宇宙人を探せ」に関連するカバー2通が挿絵として採用されています。
1
通はドイツの特印カバーで、宇宙人との通信を行ったオズマ計画にものです。
もう1通はアメリカの「宇宙人からの通信を受信」して35年たったことの記念カバーです。

これらは、この本を纏めている方が、以前に相対性理論の本で、アインシュタインの切手など、三浦のコレクションを挿絵として採用してくれたことがあり、今回も、切手やカバーを挿絵として使ってもらえると言うので、売り込んだ結果です。
画像提供の対価は、本を1冊もらっただけです。

 

 

 

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20142月 アメリカの特印(デジタルカラー消印)の解析

 

豊田さんが集めているアメリカのカバーには、最近フルカラーのデジタルカラー消印が押印されたものがあり、非常に鮮明な消印であると、紹介していました。そこで、この鮮明さを解析してみました。図1は切手と消印の全体像です。

22400DPI程度の高解像度でスキャンして、一部を拡大した図です。図2の上に赤いリボンの一部と、モミの木、赤いAL、グレイで縦バー、グレイでUの文字と目打ちが左端に見えます。この部分が切手です。

緑の点線と、点線の周りの淡い地の押印部分が消印です。
縦バーの実際の太さは0.2o、この原稿の印刷では2o程度で拡大率は寸法比で10倍程度ですが、倍率は問題ではなく、如何に細かく分解して画像を取り込んでいるかが課題です。

結論を先に言えば、切手も、デジタル消印も同じく、グラビア印刷機で印刷・押印されていることが判ります。
グラビアの菱点の間隔は約0.1o(顕微鏡での実測)なので、250dpiのグラビア印刷機によるものと、言えます。
グラビア印刷機で「消印を印刷」するのですから、コストはかなり高くなるでしょう。
押印した初日カバーが高価なのが判ります。

 

 図1

 

 図2 拡大図

 

 

 

20143月 アメリカ ハリーポッター切手のマイクロ文字

 

3月の月例会で豊田さんからアメリカ2013年発行のハリーポッターの切手に、マイクロ文字が隠されている、郵趣2月号に紹介されている。同じような画像を抜き出せるか・・・という話があった。
そこで、現物を預かり、画像を確認してみた。

最初は、18倍のルーペで、切手のどこにマイクロ文字があるかを探した。
この18倍のルーペでは、マイクロ文字のありかは確認できた。
そのありかを、画像として取り出すことになった。イメージ・スキャナでの取り込みでは、スキャナのもつ光学的な解像度の制限から、今回はリンドナーのUSBデジタルマイクロスコープの活躍となった。

1は現物の切手である。図2はマイクロ文字のある左下の少年のネクタイ部分の拡大図である。以下同様。 

 

   you

 

     have

 

      a place

 

        at Hogwarts

 

     school of

 

      Witchcraft

 

     and Wizardry

 

 

 

 

 

20143月 49年前の全日展に出品

 

引っ越しは大変ですが、良いこともあります。引っ越しで運び込んだ荷物、前の家の収納庫の奥深くにあって、長い間見ることもなかった資料を、整理を兼ねて、見直しができることです。
古い資料の中に、1965421日と思われる秋田魁新聞の記事の切抜きが出てきました。図1に示します。

全日展に三浦が「秋田県の消印」として出品した作品が、第2部(収集歴5年以下の部)の中央審査で入選となり、日本橋・三越デパートの全日展に展示された、という記事です。
秋田郵趣会に参加したのは、秋田高専に入学した19644月、この郵趣会に参加して、ジュニアだった三浦は先輩の指導を受けながら、収集活動を行っていたのでしょう。
当時の先輩の中には、現在も交流が続いている加賀谷長之さんもいます。
加賀谷さんは、現在もJAPEX、スタンプショーで宇宙・天文関係のコレクションを出品しています。

秋田郵趣会に入って、1年後には全日展に兆銭したのでしょう。当時、収集範囲は定めず、漠然とした収集で、全日展の作品は、学生寮にいたので、他の寮生宛に県内の家族からくる手紙に貼られた切手で、消印が読めるものを水はがししたか、もしかして、消印が切手から欠けていても読めるようにエンタカットして、新聞紙大の段ボール紙に秋田県の地図を書き、その上に切手を貼っていったのだろうと、思います。

電気の切手に特化したのは、卒業して東京に出て、新宿のショールームで切手を自由に替えるようになってからです。


 

 

20146月 インド宛国際電報の受取人が切手に描かれていた

 

図1は三浦のJAPEX2012出品「世界を結ぶ海底電線」のコレクションに入れてある1921年パリ発インド宛の電報です。
発信人はCharles Hardinge(1858-1944) 1910- 1916間 インド総督を務めた英国の政治家.外交官。
宛先人はSawai Man Singh U(1912-1970)インドJaipurの最後のマハラジャ(領主)です。

 図1

この度、この最後のマハラジャがインド・Jaipurの切手に描かれていることを知り、使用済みを入手しました。
1943
年の発行です。図2に示します。
将来、海底ケーブルのコレクションを作り変える時は、この使用済み切手を1枚は挿入します。

 図2

 

 

 

201411月 JAPEX2014における凹版試し刷

 

JAPEX2014も終了しました。3日間会場に通いましたが、ブースではほとんど買うものはありませんでした。
海外の収友に送るものを3点ほど購入したに過ぎません。
ところで、いつもこのJAPEXでは印刷朝陽会は凹版印刷のデモを行っています。
ふと見ると今年の凹版の図柄は「東海道新幹線開通記念」でした。

そこで、三浦は空いている時間を見計らって1枚の印刷を行ってみました。その結果を以下に示します。
手順は比較的簡単でした。印刷用紙は湿式で、印刷後に乾かされたものはしわしわでした。
インクが乾いた数日後に用紙の裏面を少し水で濡らし、半乾きの状態で、厚手の用紙にはさんで、本を重しとしてのせてみましたが、しわは取りきれませんでした。
この新幹線の凹版刷は、できれば、1ヶ月前の「新幹線50年記念切手」の発行前か、遅くても1014日のRailpex2014の前に入手できていれば、切手を貼り、良い郵趣品に仕上げることができたのに・・・と残念です。

 

 

*2015年1月 インドのエコー葉書−2

20102月頃にインドのエコー葉書の報告を行った。
今般、インドのエコー葉書でコルカタのトラムを描くもの7枚、トラムのカシェ違い、を入手した。 2011年の発行である。右にその中の3枚を示す。
コルカタ・トラムはインドのコルカタにあるトラム(路面電車)の名称である。
西ベンガル州立の「カルカッタ・トラムウェイズ・カンパニー」(英語:Calcutta Tramways Companyカルカッタの旧名を残している)によって運営されている。

現役で運行されているものとしては、アジアで最古の路面電車である。
1880
年にイギリス領インド帝国の首都であったカルカッタで、馬車鉄道として運行を開始した。
その後、蒸気機関車が導入されたりしたが、1902年から電化が開始された。
以降、今日まで運行されており、近郊電車や地下鉄(コルカタメトロ)、バス、フェリーなどと並んでコルカタ市民の足として親しまれている。
現在、インドに残る唯一のトラムであり、27路線が運行されている。

 

 

 

 

20152月 1976年に勤務先の社内報に書いた切手の記事

古い書類を整理していたら、1976年と40年も前に当時の勤務先の社内報に切手の解説記事を書いた、その社内報が出てきました。
6回にわたって投稿したらしく、各1冊、たぶん、自分が書いた記事が掲載された号なので記念に保存しておいたものと、思います。

当時の勤務先は溝口にあったテレビ工場で、技術部に配属になっていたはずです。
JAPEX75で初めて銅賞をとりましたので、それを契機に、「郵趣にみる電気人物伝」として、投稿したものでしょう。
右に第1回掲載分、ピエール・キューリーの記事のコピーを紹介します。
支部の月例会には、全6冊を持参します。

 

2015年3月 ロープウェーもトラム

TRAM(トラム)とは、Webster英々辞典によれば、1516年まで使用されたことが遡ることができ、1)レールの上を走る箱型の全ての形式の車両、鉱山におけるトロッコ等、2)英国ではStreetcarのこと、3)架空ケーブルに沿ったり、レールの上を動いたりする移動手段 となっている。

Streetcar
が日本に入ってきた時は、電気の時代になっていて、Streetcarの主力は電車になっており、路面電車・市街電車と訳された。
しかし、本来は、このStreetcarは電気推進に限定されず、蒸気機関車が牽引するものもあるので、厳密な翻訳ではない。
木製のレールの上を走っても「鉄道」と言うがごとしの和訳となっている。

こうしたことからトラムは、広義の定義として、鉱山の手押しトロッコ(どうやらTRAMの語源はここにありそうである)からはじまり、ケーブルカーやロープウェー、路面電車、トロリーバス、そして一般の鉄道・軌道も含む広範な用語となっている。

「ロープウェー」を「TRAM」と称している、その一例として、以下の1997年アメリカアラスカ州の特印を示す。
Mount Robert Tram
の記念印である。
開通1周年の記念で、約550mの高低差を登るロープウェーである。

三浦の今年のJAPEX2015出品は、JAPEX2014の「世界のトラム」に継ぐ、第2弾として「トラムの世界」を予定している。
今年のこのコレクションには、トラムの定義・・・・として、こうした特印も利用する予定である、

 

 

 

2015年4月 デンマークのレコード切手にサンフランシスコのケーブルカー

サンフランシスコのケーブルカーは市街地を走っているので、三浦のトラムのコレクションに入れる。
下は、デンマークから、2010年に発行された切手で、「レコードアルバム ガソリン3」とある。
レコードの表紙の絵を切手にしたもので、アルバムのタイトルもしくは演奏家の名前がガソリン、その3番目のアルバムの切手とされる。



鉄道切手の仲間でも、サンフランシスコのケーブルカーが描かれていることは確かでも、なぜこの切手に描かれたか、だれも知らない。

今般、使用済みを入手したことから、履歴などを調査した。全て、インターネット上での検索である。

1
日目、「アルバム レコード ガソリン」で検索する。
これらは全て一般的用語なので、検索を行っても、まったく絞りきれない。
最初に、アメリカのRandallという演奏家が「カフェイン・ガソリン」というアルバムを作り、サンフランシスコで表紙の写真撮影を行った」という情報が見つかった。
でもこのアルバムはそのグループの2番目のアルバム、で、これはボツ。

2
日目、次に、英国のガソリンというロックグループがおり、アルバムを出しているが、アルバムの表紙は「車のフロント」。

そして、切手と同じ画像のポスターをE bayで売っていた。
このポスターの説明を基に検索したが、売主の説明が誤っているようで、何も情報がない。
よって、これらもボツ。

やむなく、Delcampeでこの切手を売っているデンマークの収集家を見つけ、質問「このアルバムの演奏家の名前は?」をだした。

3日目、うまく返信がきて、親切に教えてくれたので、この売主から10名枚以上の使用済みを買った。
Kim Larsen」が演奏家と判明。
これで検索を再開。
デンマーク語のサイトを英語に翻訳しながら、最終的な情報をえた。

デンマークのビートルズと呼ばれた有名なグループで、デンマークラジオP4チャンネルの50周年記念として、視聴者からの人気投票で音楽を選んで、切手にしたもの。
演奏家の行きつけのコペンハーゲンの飲み屋に飾ってあった絵が、彼らのアルバムの趣旨に合うとして採用。
この絵は、アメリカの航空会社のポスターと別の画家の絵を組み合わせて、飲み屋に飾るべく創作した絵であった。
切手に描かれた絵を見ても、左上に看板のようの見える部分に、バーの名前が入っている。
として、ようやく素性が判明。ネットの偉大さは判るが、検索の困難さを痛感した。

 

 

20155月 スタンプショーでの使用済み作り

今年のスタンプショーには24日の午後から半日だけの参観であった。
ざっと展示をみて、鉄道切手部会の特別例会に参加、その後、鉄道切手部会の2次会として浅草1丁目1番地の神谷バーで電気ブランなどを楽しんだ。

今回の収穫は、外国郵政のブースで、手持ちの未使用で入手してしまっていたマテリアルに特印を押してもらって、使用済みにしたことだけかもしれない。
アメリカ郵政です数通、チェコ郵政で数通、そしてロシア郵政では以下に示すような使用済みを合計で36通も作成した。

 

 

2015年6月 アメリカのSTREET CAR RPOの文献

アメリカでは1890年代から1920年頃にかけて、市内で走るチンチン電車の路線に郵便車を走らせた。

いわゆるStreet Car RPOである。
これらのRPOで運ばれた郵便物はかなりあったらしく、それなりに見つけることができる。
さほど珍しいものでなければ1000円程度で購入が可能である。
E Bay
でもかなり売りに出ている。

資料によれば、以下の都市で、Street Car RPOが実施された。
Baltimore, Boston, Brooklyn, Chicago, Cincinnati, Cleveland, New York City, Philadelphia, Pittsburgh, Rochester,  St. Louis, San Francisco, Seattle, Washington, D.C.14か所である。

アメリカには非常に熱心な収集家がいるようで、日本で言えば、鉄郵マニアであろうか、以下に紹介する専門書まで刊行されている。
Baltimore,
Boston, Brooklyn, Chicago, New York City, Philadelphia, Pittsburgh, Washington, D.C. St. Louisに関しては刊行されていることは確かである。

その他の都市の分も刊行されているかもしれない。
三浦はこれまで4冊までは入手した。非常に参考になる文献である。

 

 

20157月 ベルギーのATM切手から

アトミウムは、1958年のブリュッセル万国博覧会のために建設されたモニュメントで、現在もブリュッセル北西の万博会場跡地・エゼル公園に建っている。
高さは103mで、鉄の結晶構造(体心立方格子構造)を1650億倍に拡大したものである。
アトミウムの形状は、一つの頂点を底にして斜めに倒された立方体になっている。
9
つの球体(直径18m)が原子をあらわし、各頂点に位置する8つの球体を結ぶ12の辺と、中心の球体から各頂点へ伸びる8つの軸は鋼鉄のチューブでつながれている。

チューブの中には最長35mのヨーロッパ有数の長さのエスカレータが通り、各球体を結んでいる。
最上部の球体は展望レストランになっており、ブリュッセル市街を一望の下に見渡せる。
他の球体では1950年代を振り返る展示が行われている。
球体のうち、上のほうにある3つは垂直の支えがないため、安全上の理由から一般には公開されていない。

このベルギーのアトミウムも原子力・アトムの切手とすると、以下に示すマテリアルがある。
ベルギーのATM切手を貼って、日本宛に送られたカバーで、消印はちょっと不鮮明であるが、たぶん1991年の使用例と想像。

このATM切手は199026日から使用されたもので、1510131425フランの中から必要な郵便料金分を選択できるものの様である。
アトムは三浦の収集対象の一つである。

 

 

 

 

201510月 1978年に「ゆうそぴあ」という雑誌に登場

 

秋のJAPEX2015 出品作品の搬入も終え、古い文献などを整理していて、1978(昭和53)年に発行された「ゆうそぴあ」という雑誌が出てきた。この雑誌の巻末の写真の頁に、私が登場していました。

学校法人広池学園の「モラロジー研究所」の刊行物で、道徳教育に関するもので、ちょっと硬いというか近づきがたい存在です。この雑誌はもう発行されてはいないようです。
モラロジー研究所は公益財団法人として、現在も存在している様です。

当時、どこかから聞きつけて、切手の話を教えてくれと言われ、住んでいた稲城長沼のアパートで取材に応じたものです。
1978
年当時は、まだたいしたコレクションもなく、JAPEX1975で初の銅賞に入賞した「電気‐その基を築いた人々」のコレクションをベースに、趣味の世界を紹介したと、記憶しています。
これが三浦の雑誌などへのデビューであったのかもしれません。


   

 

 

201511月 JAPEX2015に間に合わなかったマテリアル

 

秋のJAPEX2015も終わりました。以下に示すマテリアルは、なんとJAPEX2015の出品作品「トラムの世界」のタイトル頁あたりに使用する予定のものが、間に合わなかったものです。ドイツ 1901年 絵入り官製はがきで、裏面に馬車トラムが描かれています。

このマテリアルは、フランスからの購入したもので、数年前に一度買ったことのある売主です。
今般、注文したら、なかなか届きません。JAPEX出品の搬入締切りが近づいてきました。
問い合わせると、なんと三浦の古い稲城の住所宛に発送してしまったとのこと。
そして、稲城から一度フランスに戻り、再発送してもらって、届いたのがJAPEX2015の前日。注文から4か月以上かかってしまいました。

 

 

 

 

20163月 今年は地下鉄

今年のJAPEXには地下鉄をテーマにします。
その為のマテリアルを集めている最中。
地下鉄の切手は他の鉄道関係のテーマと異なり、切手などに描かれたものの変化が少なく、テーマの展開をどうするか、思案中です。

ロンドンで最初の地下鉄が蒸気機関車牽引だったことを除けば、車両の形態の変化もあまりなく、流れを作りにくい。


以下は入手したドイツ地下鉄100年記念切手のフルシートの使用済。
切手のデザインはさして面白い図案ではないが、タブに、地下鉄に乗るために階段を下りる人と、エスカレータで登る人が描かれている。

このタブに描かれたエスカレータなどは、かろうじてテーマ展開に利用できる。
売主がサービスに、ドイツ郵政が配布したこの切手に関連する資料、1913年のベルリン地下鉄の地下鉄網のプランを描いている、も送ってくれた。

 

 


20164月 今年は地下鉄 :チリ- 

今年のJAPEXには地下鉄をテーマにします。
その為のマテリアルを集めている最中です。
以下の2点のFDCはチリの地下鉄を記念したもの。

サンティアゴ地下鉄Metro de Santiagoは、チリの首都サンティアゴ・デ・チレの地下鉄で、南アメリカで最も発展した地下鉄網である。
まだ建設中のものを含めると、全部で7つの路線
135の駅がある。
サンティアゴ地下鉄は毎日250万人の旅客を輸送している。

11983年発行の「地下鉄25年記念」で、1968-1993年と切手に入っている。
21997年発行の「地下鉄の5号線開通」記念である。

建設開始は1968年、1975915日に、アウグスト・ピノチェト大統領がサンティアゴ地下鉄の最初の区間、1号線のサン・パブロ (San Pablo) ‒ ラ・モネダ (LaMoneda) 間の落成
式を行っているので、図1の切手は地下鉄建設開始25年記念となる。

5号線は、バケダノ (Baquedano) からビクーニャ・マケナ通り (Vicuña Mackenna Avenue) に沿って南へ建設され、1997に開業した。
この5号線は、図2の切手にもあるように、路線の一部は高架線となっている。
2
枚のFDCの特印に描かれた丸に菱型3個は、サンチャゴ地下鉄のロゴである。

 

1

 

2

 

 

20165月 今年は地下鉄 :地上を走る地下鉄 

 

今年のJAPEXには地下鉄をテーマにします。
その為のマテリアルを集めている最中です。
11984年マリ発行、ハンブルグUPU会議記念のアーチストプルーフで、ハンブルグの街の鳥瞰図が描かれている。
この鳥瞰図の中に、なんと、ハンブルグ市内の地下鉄路線の一部が地上の高架部分を走る路線が描かれている。
切手の国名表示の少し上の部分の拡大図を図2に示す。
このマテリアルは「地上を走る地下鉄」の頁にでも使用する予定です。

 

 図1

 

 図2 

 

3

 

ハンブルグの地下鉄路線U3は一部を地上の高架線路を走っており、図3にある右上にU:Rodingmarkt駅、中央にU:Baumwall駅、左にULandungbrucken駅がある。
Baumwall
駅の近くにはニーダーバウム橋がある。



20171月 今年はケーブルカー 

 

今年のJAPEXにはケーブルカーをテーマにする。
英語でCable−carと言えば、ロープウェーも含む。
とりあえず、ロープウェーは入れずに、日本語でいうケーブルカーに限定する。
発行済みの切手は100枚もあるだろうか?例によって、その他の郵趣マテリアルを並べることになる。
3
フレーム程度のコレクションにはなるかもしれない。
この為のマテリアルを集めて始めた。

2016
年チェコ発行の「Petrin Towerとケーブルカー」の記念切手があり、切手には「125 let Petřínské Rozhledny A Lanové Dráhy 125 years, Petrin observation tower and cable-cars」と記載されている。

切手には塔(建設当初はエッフェル塔と同じで観光用見学の塔、後日テレビ塔になった)しか描かれていないが、れっきとしたケーブルカーの記念切手である。
幸いにも切手帳の表紙と、切手帳ぺーんのタブには、ケーブルカーがきちんと描かれている。
この切手はDelcampeで未使用が売られていたので、使用済みにしてから送ってもらった。

 

 

 

 

20172月 灯台が描かれていると思ったギリシャの切手

 

2011年の春の登戸支部例会に鳥海さんが「郵趣に登場したギリシャの航空切手の実物」として持参された1933年発行7種の中に、1枚だけ灯台が描かれているのではないかと思われる切手があった。

そこで、使用済みを探すことにした。そうして入手したのが図1に示す赤い切手である。

 

 

1                       拡大図 

 

AEI(イタリアの航空会社)の東地中海路線を示しており、イタリアのBrindisiとギリシャのアテネとギリシャのRodi(ロードス島)行き、Brindishとアテネとイスタンブール間である。

1926年に路線開設し、1933年に現路線に延長された、とある。19334月の同路線の時刻表には、図2示すような切手のデザインの基になったような絵が描かれている。

 

 図2    

 図3

 

ロードス島には世界の7不思議の1つであるロードス島の灯台があった。

古代ギリシャの時代に巨大な塔として建設されたが、その後の地震などで崩壊し、想像図しか残っていない。

切手に描かれたロードス島の高い塔が、この灯台のつもりであれば、三浦の灯台コレクションに入れることになる。

ネットで様々な検索をしてみると、同航空会社の1932年旅行案内書には、ロードス島への観光として、図3に示すような絵が描かれていた。

高い塔ではあるが、頭部に鹿が描かれている。切手に描かれているのは、この鹿の塔であることになる。

この鹿の塔は現在も港の防波堤の両脇に建っており、図4に示す様に現代的な灯台はその横に建っている。

ロードス島は鹿が有名なようで、シンボルといての鹿が港の入口で観光客を迎えるという意味での塔のようである。

この鹿の塔には灯台の機能はないことは、ロードス島の観光担当にメールを入れて確認した。

苦労をして、描かれた塔は灯台ではないことが判った。

 

4 

 

 

20173月 ロシアにはケーブルカーは2か所だ

 

JAPEX2017用にケーブルカー関係の郵趣品をまとめています。
ロシアのケーブルカー関係を調べると、あの広大な国土にも拘わらず、どうやらケーブルカーは2か所でのみ運行しているようです。2か所しかないのは、ちょっと驚きですが・・・・・

一つはオリンピックも開催されたソチ、ソチのケーブルカーは、まだ未入手ですが、1936年ソ連発行、ソチの街を描く切手に描かれています。
また、ソチは観光地ということもあってか、ケーブルカーが描かれた絵入り官製葉書があります。


もう一つは日本海に面したウラジオストック。
ウラジオストックのケーブルカー開通50年を記念する絵入り官製封筒のみが郵趣品としてあるようです。
Delcampeで未使用を売っていたロシア人に、CTOを依頼して入手しました。
消印はウラジオストックではなく、モスクワです。

このケーブルカーは港を見渡せる展望台に登るためのものの様で、赤い車体と青の車体の2両で運行されています。ウラジオストックの展望台のある山(丘?)を描く切手や郵趣品が欲しいのですが・・・・・・

 

 

カシェの部分 

 

 

20174月 ポーランドのインクライン

 

JAPEX2017用にケーブルカー関係の郵趣品をまとめています。このコレクションにはインクラインと呼ばれる鉄道も含めます。
勾配のきつい箇所で、閘門と呼ばれる手法では運河を船が航行できない場合の、ケーブルで船を引き上げるものです。運河上のケーブルカーでしょう。

 

入手したマテリアル

 

現地の状況

 

先日支部例会に参加されたポーランド切手部会の山本勉さんから、研究会への移行に関連する記事を掲載したので・・・・と、合わせて、三浦の関連マテリアルではないかとの紹介が記された会報を送ってもらった。
2016
年に発行されたポーランドの記念官製はがきです。どうにか使用済というか初日消を入手できました。

このインクラインは、エルブロンク運河に設置された5つのインクラインの中の1つで、落差は13.83m、エルブロンクの町に最も近い場所にあり、Caluny(ツァウニ)は地名のようです。

 

「ポーランド郵趣」の記事から