*郵趣雑記の頁

戻る 


2001
年以降に、登戸郵趣会(旧JPS登戸支部)会報に載せてきた様々な郵趣関連の記事を、紹介します。


20011月 郵政事業庁発足記念切手展に出品報告

郵政事業庁の発足を記念する切手展が目白の切手博物館で、4月20日から29日まで開催された。
この切手展に三浦のコレクションを出品したので報告します。
当初は特に出品も何もするつもりはありませんでした。

4月に入ってから、急に、切手の博物館の田辺氏から連絡があり、郵政事業庁の事業として電信関係を出品してくれ、との依頼がありました。
どうやら郵便と貯蓄関係の展示だけしか考えていなかったようで、急遽電信関係も展示すべしとなり、三浦に声をかけた様です。

過去のJapex作品は全て、そのまま保存してあるので、二つ返事でOKをしました。
電話3フレーム、電信3フレーム、電波管制に関連してアマチュア無線を8フレームプラス展示しなかったリーフも含めて全115リーフを出品しました。
三浦以外は片山さんの郵便史などのコレクションの展示でした。

大変だったのはアルバム5冊を目白まで持参した時でした。
車のついた旅行用のバックに詰めて持っていきました。
私は最終日の最後の1時間しか会場に行きませんでしたが、200名強の入場者があったそうです。
下のショウルールの人に、「事業展は半分三浦の個展ですね」といわれました。
会場のスペースの3分の1を占領してしまいました。

以下は三浦の出品内容と、招待状です。
電信:JAPEX82「トン・ツー・トン電信の話」
モールスの電信発明から25年後に、東京・横浜間に公衆電信が始まった1870年が日本電信創業です。
このコレクションは電信の歴史、発展、電報などを総括的にまとめてあります。

電話:JAPEX78「電話物語」
電話はベルの電話が発明された翌年、1877年に輸入されました。
初代逓信大臣榎本武揚の民営論は否定され、官営で電話事業が始まりました。
東京・横浜で電話が始まった1890年が日本の電話創業となります。
「電話物語」として、電話全体のコレクションを紹介します。

アマチュア無線:JAPEX98「CQCQこちら郵趣マチュア無線局」
アマチュア無線は、電波管理行政の観点から無線局の一つとして管理されている。
日本のアマチュア無線は1927年に草間貫吉に「私設無線電信無線電話私設」として認可されたことに始まります。
電波管理の面ではなく、アマチュア無線全体をコレクションで紹介します。


---

 


20016月 インターネットでの無料葉書の実例

「郵趣」6月号に、「エコーなんて目じゃない、インターネットで無料葉書を」という記事がありました。
この実例は一度だけ誰かのコレクションに入っているのを、目白の切手博物館での展示かスタンプショウの展示で見たことがあり、私製といいながら私のコンピュータ関連のコレクションに入れるべきマテリアルであると考えていました。

さっそく挑戦して見ました。とりあえず女房宛てに試しのメールです。鳥海さん宛にも送付してあります。
その実例の裏と表のコピーを紹介します。
表の右下に小さく2001/6/4と印字された日付は私がWEBで申し込んだ日付です。
申し込んでから1週間程度で発送されるので、急いでいる時は利用できません。
急がない、ちょっとした連絡であれば、利用しても良いと思います。
広告の内容を指定できると、面白いコレクションになりますが、広告主の指定は出来ません。 
<画像は割愛「>

 

---

 


*2001年7月 JAPEX出品こだわりのコレクション

さて、三浦のコレクションのこだわりとは何か? 特に今まで考えたことや意識したことはなかった。
強いて言えば、自分なりのコレクションをつくる、それがこだわりであったといえる。
「電気―その偉大なる世界」ということをテーマとし、このテーマに沿うサブテーマでコレクションをつくってきた。
これからも創り続けるつもりである。

時間の制約のある人間にとって、色々なテーマに手を出している暇はない。
私のコレクションはこのテーマ以外には無い。新切手が発行されても、買いに行かない、使用済み切手が手に入るまで待っている、いや、じっと我慢をしている。
自分自身との根競べでもある。

仮貼りのリーフも作る時間も無い、従って、多少の例外があっても、毎年JAPEXに出品するリーフが、その年に作成するリーフの全てである。
その代わり、一度出品したコレクションは次回に作り直すまでは、そのままにして保存してある。
そうしたコレクションが、今になって棚を見ればそれなりに大きなコレクションになっている。

JAPEXに出品し、銅賞以上の賞がつけば、自己満足のコレクションがそれなりに評価されたと解釈して次のサブテーマに取り組むことにしてある。
電気の人物、発電、送電、家電、照明、灯台関連が2作品、電力応用、電力の歴史、電信、電話、電話番号、ラジオ放送、テレビ、無線工学、アンテナ、通信衛星、地上局、海底電線、コンピュータ、バーコード、アマチュア無線、ITU、電気通信の歴史と合計24作品が完成している。
1
9X3+5X8=97フレーム+αである。切手の博物館で個展を行うにも狭くなってしまっている。

6月の例会で見せたコレクションはその第1部作で、JAPEX75に出品して、出品開始後5年目にして始めて銅賞を貰った思い出の深いコレクションである。
最初に銅賞を得るのに5年もかかったので、20程度以上のサブテーマを完成させる為には100年必要となる計算で合ったが、その後は2回だけ佳作となった以外は、どうにか銅賞以上がつくようになり、毎年一つのサブテテーマを完結することになり、結構時間的にきつい作業になっている。 

あと数テーマのサブテーマで「電気―その偉大なる世界」は一巡することになり、以降は今まで作ってきたコレクションを再構築し、今後更にJAPEXに出品を続けるつもりである。
JAPEX
は71−73に出品 74年はアメリカに駐在していて出品不可、75から連続出品しているので、連続出品記録50年連続も夢ではない。
郵趣協会が改組されたり、無くなったりしても、JAPEXだけは生き続けて欲しいのが、私のこだわりである。


---

 


20018月 フィラニッポン2001参観の記

10
年に一度のフィラニッポン2001を参観した。83日、3日目の金曜日、多分最もすいていると思って出かけた。案の定、すいていて、ゆっくり参観できた。
今回の参観では、以下の4つの目的を持っていた。

1.三浦の種集範囲のコレクションを見ること。
関連するテーマでは、イスラエルからコンピュータ、ウルグアイから灯台のコレクションが展示されていた。
この両者とは、かつてマテリアルの交換などを行っていた収集家である。
台湾から通信に関する出品、ユース部門でコンピュータのコレクション出品があった。
その他に、JAPEXや全日展出品でおなじみの勝井さんの電話、滝井さんの光りと発電に関するコレクションがあった。
5
点も関連するコレクションがあれば、見たかいもあるといえる。

2.展示作品の中から、自分に収集範囲になるマテリアルをチェックする。
国別コレクションやステーショナリーなどのコレクションの中で、普段実物を見る機会の少ないマテリアルから、関連するものを見つける。
広告印、電報、穿孔切手、等など。
その為に、流しながら、殆ど全展示を見て回った。何点か欲しいなーと思うマテリアルがあった。

3.郵政ブースでの使用済み作成
私のコレクションは使用済みで構成してある。
各国の郵政は記念のスタンプを準備しているのでパスポートに切手を貼ってスタンプ収集ならぬ、使用済みを作る目的で、各国のブースを回った。
ブースを持った国の数は71カ国プラス発行代理を行っている会社のブースで37カ国分あった。

使用済みを集めていても、長い間には未使用も溜まってくる、WEBを見てどういう国がブースを出すか調べて、自宅にある未使用を整理して、会場に持参した。
そうした使用済みを作成した切手の枚数は約150枚、切手帳等は4件、フルシート2枚、ステーショナリー3枚であった。
その他に、各ブースで関連する切手を見つけては購入し、その場で使用済み作成を行った。
フルシート5枚、小型シート3枚、ステーショナリー1枚、に押印した。

従って合計で200枚という使用済みのマテリアルを1日で入手できたことになる。これは大きな収穫である。
国別の成果としては合計44カ国の使用済みを入手した。

パスポート用の切手も買わないと押印サービスを行わないといわれて、購入し、合わせて押印した国が4カ国あった。
ポルトガル、ニュージーランド、トンガ、サンマリノである。
旧ソ連の切手を現在のロシアの消印では押印できないのは当然としても、アルゼンチンでは最新の切手でなければ押印しないと持参した切手の押印を断られた。残念。

WEB
にはブラジル郵政の名前は無かったので持参しなかったが、会場ではブースがあった。
ブラジルの使用済みを作れなかったので残念。
こういう使用済み切手作成を、国際切手展を利用して行うのは、多分、三浦だけでしょう。記録に残します。

4.切手商ブースめぐり
1−3で疲れてしまい、切手商でじっくりマテリアルをあさる時間と、体力が無くなり、簡単にドイツ、イギリス,イタリーから来た切手商でマテリアルを見、三浦の希望を伝えておしまいにした。ちなみに家を出て帰るまでの万歩計の数値は18000歩であった。

以上が私の、主目的の事柄に関する報告でした。

会場を見ての感想など
5.出入り口が2ヶ所に限定されていた。警備の都合などで2ヶ所に限定したのであろうが、途中の休憩やトイレなどの為に会場から出る為には少し不便さを感じた。

6.参観者が少ない。
パスポート押印には人気があったが、作品を見ている人が少ない。おかげで見て回るには都合が良かったが。

7.会場が少し暗い。
16
リーフのフレームで高さも有り、展示列の間隔も広くないので、照明が不十分となって、少し見る人には暗いと感じた。
展示作品にとっては暗めの照明の方が好ましいのかも知れない。

8.切手展カタログに一言。
英語、フランス語、ドイツ語などFIPで認定された言語なら良いとされるが、せめて切手展のカタログには、それそれの申請された言語での出品題名の掲載だけではなく、その簡単な英語訳と、日本語訳があれば、多くの参観者には有効なのではないだろうか。それによって多くのカタログが売れるようになるのではないだろうか?

最後に作品を見て、
9.航空(宇宙)郵趣部門にあった「From Astronomy to space station」では切手は数枚だけ、あとは全てカバーやその他のマテリアルだけであった。
同じ部門にあった「Der Vorstoss in den Werltrum」では、いわゆる人工衛星打ち上げの記念カバーが多数入っていた。
航空(宇宙)郵趣の場合はカバー主体でも良いのかも知れないし、意図して作ったマテリアルも堂々と国際切手展に展示されるのかも知れない。

テーマ部門で「Man & Shell」という作品は、数点のFDCとマキシムカードがあったが、あとは小型シートと単片だけ。
これで国際切手展のレベル?と思う作品もあった。


---

 

2002年3月  最近入手したマテリアル

三浦が最近インタネットオークションのひとつであるEbayで入手したマテリアルを紹介します。
ベトナムで発行されたアインシュタインの切手で、黒色が一色抜けているエラー切手が、まともな切手とともに未使用が出品されていました。
出品者はベトナムの住人でした。
基本的に未使用は集めないのですが、出品者がベトナムであれば、消印を押させて使用済みにできると踏んで、札を入れました。
この入札では競争は皆無で、いとも簡単に、8米ドルで落札しました。

そして、落札後には、出品者と電子メールのやり取りをして、適当な台紙にそれらの切手を貼って、もし消印を押すために郵便料金が不足であれば適当な切手を貼り足せ、その代金はこちらが持つ、といって、消印を押してもらいました。送料なども含めて支払いは10米ドル。

こうして入手したものが下の図にあるマテリアルです。
うまいことに2枚並べて貼ってくれ、消印はちょっと読みにくいが、その方がいつ消印を押したのか判りにくいので、都合がよく、非常に面白いマテリアルができました。
左下には追加の切手があります。
このマテリアルは今年のJapex2002出品予定の「原子力」のコレクションに使用する予定です。

  

 

 

---

 


20024月 最近入手したマテリアル;ビキニ原爆カバー   

 

 

三浦が最近インタネットオークションのひとつであるEbayで入手したマテリアルを紹介します。デジカメでとった写真を、お見せします。

オークションの説明:
Cover sent by a sailor aboard the USS Fall River, which was in the Bikini Atoll (Marshall Islands) during the 1946 Atom Bomb tests.
Fall River cancel and franked with 6 cent prexie.
Wonderful illustrated cover depicting Atom bomb blast. Cover has complete letter on USS Fall River stationary.
1946
年にビキニで原爆実験が行われた時に、参加したアメリカ海軍USS Fall Riverに乗船していた船員が、艦船の絵の入った専用の便箋を使用して両親にあてた手紙が入っているカバーです。
消印は状態が悪くて、なんとか1946611日と、手紙の日付の翌日であることがわかります。
このマテリアルは今年のJapex2002出品予定の「原子力」のコレクションに使用する予定です。

さて、このマテリアルの入手がちょっと大変でした。
Ebayの醍醐味でもあり、苦労の多い点でもあります。
Ebayでは、三浦が10ドルで入札すると、それまでの価格に対してある一定の金額を付加した値が画面に表示されます。
5ドル。それがうまくいけば5ドルが落札価格になります。
いわゆる自動的に2番札と調整が行われます。
しかし、入札した金額は、その後の競争入札者に対しては、隠れた札となります。
入札金額までは、優先権があります。
競争者が5ドルの表示を見て、6ドルと入れると、その瞬間三浦の札が出て、例:7ドル表示されます。
競争者は9ドルと入れると、瞬間的に三浦の札が生かされて、例:10ドルと画面表示されます。
競争者が11ドルと入れると、三浦の札の最高は10ドルなので、その瞬間「競争者;あなたが上位です」と表示されます。

したがって、本当に欲しいものは現在の表示を無視して、大きな金額を入れておくことができます。
下手をすればその金額になる恐れもあり、うかつに変な高額はビットできません。
もっとすごいEbayは「買い」という手法が取れます。
これは入札締め切りの数秒前に、突然コンピュータから打ち出されて、それまでの最高額プラス一定金額でとってしまう手法です。
これは、本当に隠れた札で、最後の最後までそうした札があることはわかりません。

こうしたシステムで、このマテリアルは是非欲しいと考えました。最初は6ドルからスタートしました。
三浦はとりあえず25ドルで札を入れました。
そうしたら競争者は50ドルまで入れてくれました。
三浦は100ドルの札を入れました。競争者は100ドルも越えて入れてきました。
これではどこまで行くかわからない、この手紙入りのカバーを三浦と同等に欲しがっているコレクタがいることがわかりました。
200
ドル程度で抑えたいと思い、150ドルの札を入れました。
競争者は案の定、200ドルの札を入れました。
そこで、一計を、200ドルまでと推定できたので、表示が160ドル程度になっていたので、165ドル、170ドル、180ドルと3回も入れて、その都度競争者の札で更新させました。そして、あきらめたかのように見せました。

数日経過して、最後は、締め切りの1分前にどんと金額を入れて、「最上位:三浦 210ドル」としました。
後は代理の競合が1分以内に出てこなければ良いと願って、秒を数えました。
最終的には手に入れることに成功しましたが、大変な競争でした。


---

 



20038月 電気通信史の本を書きました


このほど三浦正悦・著「おもしろ電気通信史」が2年半の時間をかけて、刊行となりました。
この本は、切手に関連するネタを利用し、また切手や切手の図の一部を挿絵に利用しました。
支部の鳥海さん、山口さんからは、色々と情報をいただきました。発行に至りましたので、報告します。

 

発行元は総合電子出版社という工学関係の教科書などを発行している会社です。
今まではこういう柔らかいテーマの本は出したことがない(電気通信の歴史、というテーマ自体が硬いイメージですが)会社です。

切手の本ではなく、一般書と言うことから、切手として取り上げる場合は目打ちも入れて挿絵としていますが、そうではない場合は目打ちの部分を削除したり、部分的に抜き出したりしています。この点は郵趣の観点からは残念なことです。


---

 

 

200310月 どこの国から来た???

三浦は先日E bayでアルメニアのFDCを入手した。
出品者から郵送されてきたが封筒をみて、どこの国から来たかた思った。
発信は旧ソ連、Republic of Mountainous Karabakh(カラバク山岳共和国)から、直接日本への郵送ルートはないようで、裏面の住所にあるようにアルメニア経由となっている。
この国にも切手商がいて、インターネットを利用してE bayで切手を売っている。


 

 



---

 


*20046月 切手を表紙に使っても切手の本ではありません

 

三浦の2冊目の著書が刊行になります。来る620日発行という奥付に書かれたのが予定日です。
今回は、東京電機大学出版局から、「電磁界の健康影響 工学的・科学的なアプローチの必要性」というタイトルです。
3200
円+税というちょっと高価な本で、テーマが「電磁波(電磁界とも電磁場とも言う)」の健康影響に関するもので、ちょっとみなさんには縁の薄い本です。
本文に1枚の切手、そして表紙に3枚の切手を使用しました。表紙だけを紹介します。

 

 

 

---

 

 

20049月 鉄道切手総図鑑・追補版の編集を担当しました。

 

荒井誠一編、1995年にJPSから刊行された「最新・世界鉄道切手総図鑑」の追補版の発行の希望がありましたが、諸般の事情で刊行されないまま、原稿を残して荒井さんは天国に旅たってしまいました。
鉄道切手部会では、自費出版として刊行することにしました。

三浦は過去の2冊の自書発行の経緯から、編集を引き受けました。
手書き原稿のテキスト化、鉄道切手部会員のコレクションから切手のコピーをとり、イメージスキャナーで画像取り込み、総合編集と、6ヶ月、延べ700時間もかけて、ようやくモノクロ印刷版(表紙のみカラー)、A4200ページ強の本が出来上がりました。
頒布価格は3500円+送料です。以下に表紙を紹介します。
継続してカラー印刷版、CDROM版の編集を行います。大変な作業です。

 

 

 

 

---

 

 

20051月 「イ」という文字の切手とテレビジョン


2004
年に高柳健次郎が発明したテレビジョン受信機を描く切手が発行されている(図1)。
彼の肖像はないので、一見すると何の切手かわかり難い。
白い四角い中に文字「イ」が描かれているだけ、それが木製のキャビネットのテレビの画面に描かれている。
この真ん中に描かれているのが、高柳健次郎のテレビジョン受信機である。

図1:2004年に発行された切手

 

高柳健次郎は戦前に、1926年に送信(送像)は機械的な手法であるが、受信機(受像)は電子式というテレビジョンの開発に成功し、ブラウン管上に「イ」の文字を表示できるようになった。
このテレビジョンは走査線40本(現在の普通のテレビジョンは525本)である。
戦争による中断の後、彼は日本ビクター(JVC)で副社長まで勤め、テレビ受信機の開発に従事し、普及に努めた。
このテレビジョン受信機は、1985年につくばで開催された科学万博に出品すべく日本ビクターで復元したものである。
2001
年に上野の科学博物館の展示で三浦は一度だけ見ている。

図2:「イ」の文字を表示している復元モデル

 

200516日、所要で芝公園の東京プリンスホテルに出向いた。
帰路、愛宕山のNHK放送博物館に立ち寄った。
芝公園や神谷町付近、東京タワー付近には何度も足を運んでいるが、なぜかNHK放送博物館を見学に入ることはなかった。
いつでも行けるという気安さから一度も行っていないことになった。
行ってみると、ちょうど館内をリニューアルしたばかりということであった。
色々と放送、ラジオ放送とテレビ放送の歴史に関する展示があり、興味を引かれた。

特に高柳健次郎の復元テレビが常設展示さていたのは面白かった。図2はその受信機である。
切手に描かれたものの実物を見るのも楽しみである。
3は被写体の「イ」の文字である。比較すれば、かなりの精度でテレビ受信ができていることがわかる。

 

図3:イの文字の送信側、被写体の「イ」

 

 

 

---

 

 

20054月 三浦と南極 


4
月の登戸支部でのテーマ「南極」に関連するマテリアルとして、電気に関するものは以下のもの程度です。
1979
NHKは初の南極からのテレビ実況中継を行ないました。
NEC
製の大きなパラボラアンテナに南極に持ち込んでいます。
以下のリーフはJAPEX80に出品した「テレビ」のコレクションの一部で、南極に派遣されたNHKの勝部キャスタのサイン入りです。


 

 

---

 

 

20055月 第2次世界大戦ハワイ侵攻時の電報 

 

ちょっと面白いマテリアルを入手した。入手したのはE Bayである。
他に欲しい人との競合もあり、送料も含めると100ドルをちょっと超える額で、落札できた。

1941
127日に日本は真珠湾を攻撃した。
このとき、アメリカ陸軍の若い兵隊で、生き延びた兵が、攻撃を受けて数日後に、故郷の親に対して、ホノルルから電報を送っている。この電報が残っており、今回三浦が入手した。

以下に示す電報の他に、このロットには、この兵隊さんの若い頃の写真、アメリカ陸軍での辞令と見られる証書、田舎の親がこの電報を受け取ったことを報じているローカル新聞の当時の新聞の切り抜きなども含んでいる。
受け取ってから大事に、大事に、保管したらしく、薄い電報用紙は厚手の紙に糊付けされている。

電報は、ホノルル発:1941年12月11日。
親元への送達は1941年12月13日。
電文は「am OK, dont worry, write when can」(三浦流に意訳すれば、「俺は大丈夫だ、生きている、心配するな、後で手紙を書く」となる)。
色々な電報を三浦は通信のコレクションには入れているが、このマテリアルは、通信のマテリアルとしてだけではなく、第2次世界大戦を物語るマテリアルとして、戦地からの生々しい情報を「電報」で伝えているという「通信」のコレクションにマテリアルとして、使用できそうである。


 

 

---

 

 

20056月 テレビにデビューしました


三浦がテレビデビューしました。
東京地区では520日深夜2415からテレビ朝日で放映された「タモリ倶楽部」における「超マニアックな図鑑」の特集番組において、です。おもしろい経験でした。


話は412日(火)の鉄道切手月例会日に突然やってきました。
タモリ倶楽部という番組はハウフルスという番組制作の専門会社が担当しています。
その神山ADが月例会後の2次会の席に参加、2004年に刊行した「最新世界鉄道切手総図鑑・追補版」をマニアックな図鑑の一つとして取り上げると、番組への参加要請がありました。

そして、編集者として三浦が番組に登場することになりました。
翌日13日(水)の夕方、三浦はハウフルスに行き、打合せ。追補版のいきさつなどを番組制作者に説明。
単に鉄道切手図鑑としての紹介ではなく、マニアックな側面を出すことで、これも鉄道切手?と、鉄道マニアでもあるタモリを驚かせるクイズ的なトーク番組にすることになりました。

カメラ収録はなんと4月16日(土)の午前中に、話が飛んできてから4日後、新宿の曙橋のスタジオで行ないました。
カメラ収録では、番組で見た方にはわかるように、タモリとやくみつるなどが図鑑に関してフリートークを行い、傍らにその図鑑の発行者(もしくは編集者、著者)が座り、質問などに答えるという形式で、図鑑毎に2030分かけました。
その中から23分ずつ適当な場面が選択されて、番組に編集されています。

番組では「わずか25部製造・・・・」がトピックスになっていますが、「高価な、超マニアックな図鑑」としてカラー印刷版が取り上げられたからです。
収録ではモノクロ版、CDR-OM版に関しても説明しました。これらはカットされています。


 

 放映されたテレビ画面から

 

 

---

 

 

*20061月 欧州出張の記


三浦は10月の月例会を欠席しました。これは、この時期に欧州に出かけていたからです。
2005
105日から7日にかけて、フランクフルト(マイン)で開催されるJISC-CENELEC意見交換会という欧州と日本の政府関係の規格制定組織間の会合で、EMF(電磁波の健康影響)に関する論議も行なわれることから、業界(電子情報技術産業協会)のEMF専門委員会(三浦はこの委員会の幹事です)を代表して、参加することになりました。

そして、せっかくドイツに行くのであるから、会議終了後にそのまま帰国せずに、欧州各国の会社・組織とEMF問題に関する意見交換などを行なってはどうかということになりました。
結局、1010日の週は、ドイツ・スイス・スウェーデンを回ることになりました。帰国は1016日の日曜日でした。

この間、フランクフルトの郊外の町Hanauで上記国際会議に出席、その後はフランクフルトでのドイツのIT機器工業会との交流、スツッツガルトでの電磁界測定器メーカの訪問、スイスはジュネーブに飛んで、ILOWHOといった国際機関の訪問、ECMAという規格制定機関の訪問、ストックホルムへ飛んで、TCOという規格制定機関やコンビノーバという測定器製造会社訪問などを行いました。これらの仕事関係は堅い話になるので、割愛します。

でも、図1に示すように、会議での三浦のプレゼンには多少でも関連する切手を入れてあります。
多くの日本人は会議の資料に趣味の切手などは入れませんが、三浦はあえて挿入します。
会議の雰囲気を和らげ、会議後の懇談などがスムースになる、という効果があります。

 

 

図1 会議での資料に切手

 

 

---

 

 

20064月 燈台と佐野常民

325日に江ノ島で「灯台フォーラム」が開催されました。
この灯台フォーラムは、灯台を見るのが好き、灯台グッズを集めるのが好き、灯台の写真を撮るのが好き・・・・と何らかの形で灯台が好きな人間が集まって、話を聞いたり、話をしたりする私的な会合です。
このフォーラムで、お土産にもらったのが、燈光会発行「登れる灯台14基 その歴史」という小冊子です。
この冊子を帰路、電車の中で見ていました。
なんと、以下に示すような記事が掲載されていました。

佐野常民:
明治3年(1870年)灯台関係の事務が工部省燈台掛に移され、翌4年燈台寮に昇格した時の初代燈台頭が佐野常民です。
佐野といえば、日本赤十字の創始者として知られていますが、灯台草創期において佐野の灯台事業に果たした役割は大きく、その見識と先見力がなければ、いかにブラントンが秀でた技術を持っていたとしても、莫大な予算を要する灯台の建設は進まなかったと思われます。


そうです、佐野常民は赤十字社の創立者として、19391115日発行、赤十字条約成立75年の記念切手の4銭と20銭に肖像が描かれているのです。

こうなると、佐野常民は「灯台」関係者として三浦のコレクションに入れることになります。
ヤフーオークションに4銭の縦ペアが出品されていましたので、未使用ですが、取りあえず入手しました。
そして、これからは切手展のブースなどで、これらの使用済を探していくことになります。

さて、こうした情報はたまたま三浦だけが知らなかったのでしょうか?「灯台 佐野常民」というように2語をキーワードにインターネットで検索をして見ました。

ばっちりとヒットするものがありました。
佐賀市にある佐野常民記念館のWEBには灯台に関する記述もありました。
2006
46日のログです。
参照URLhttp://www.saganet.ne.jp/tunetami/con_18/con_18.html

マルチ人間“常民”の奮闘人生アラカルト
常民は明治政府の要職を歴任してさまざまな分野で活躍するようになります。
1869
(明治2)年からは、日本海軍の創設、イギリス式兵制の採用、洋式灯台建設の推進など、欧米諸国に肩を並べる国家づくりに貢献しました。

 

そしてさらに、この記念館のWEBには、以下のような電信機の話も出ていました。

1857(安政4)年、常民は中村奇輔らとともに精煉方製作の電信機をもって薩摩に赴いた。
写真は中村奇輔製作の電信機として諫早の旧家に伝えられるもの。


幕末に薩摩では電信機の実験を行っています。
その実験に関与したのが佐野常民となり、佐野常民はこうした事情から、三浦の電気通信の切手に堂々と掲載する対象となりました。

 

 

---

 

 

20065月 アルゼンチンへの移民 受け入れの電報

最近E-Bayで入手した面白い電報です。関係する本人にとっては極めて重篤な電報です。
よくもよくもこのような電報が残っていたのだと感心します。
たぶん、当事者がなくなったので、下図の中央に貼られている写真の子供もたぶん亡くなったので、遺族が手放したのだと思います。E-Bayへの出品者はアルゼンチンの住民です。

この電報はアルゼンチンの移民受け入れ管理局とでも訳すのでしょうか、そこからイタリアのベニス(Venezia)宛に、192737日に発信、ベニス到着は同年38日、受け取ったMaria Tosonさんは自分と子供の写真を添えて、1927422日に在ベニスのアルゼンチン領事館に出向いて、移民の手続きを行ったものと推定されます。
アルゼンチンの印紙や大使館の副領事のサインなど目一杯に書き込まれています。

これを確証にして船でアルゼンチンに移住したのでしょう。
この電報はその受け入れの確証として大事に保管されていたのでしょう。
これは電報が貴重な情報伝達の手段として利用されていた例として、三浦の将来作成するコレクション「時空を超えた情報伝達」を構成するマテリアルの一つになります。
周りがちょっと破けているのと、ちょっとばかりおおきくて、リーフに貼るのが困難 という難点はあります。


 

 

---

 

 

20065月 EBayでバトル


最近E-Bayで入手した面白い電報です。
東京海洋大学海洋科学部の練習船海鷹丸からフォークランド島の管理部へ当てた電報です。
このほかに、フォークランドの管理部から海鷹丸への返信電文の発信控え、管理部から港の担当部署と思われる部門への発信電文の控えなど合計6通、それになぜかフォークランドのガバナーから管理部へ届いたConfidential(極秘)電報、いずれも1961年当時の電報です。

以下の図は海鷹丸が、オーストラリアのフリーマントルからケープタウン経由でフォークランドへ行く、予定の到着は15日頃の予定、「入港の許可と、給水の依頼する」電文です。

E bay
でこの電報を見つけたとき、これは、実用的な船舶との通信、電信の利用ということで欲しいと思いました。
「時空を超えた情報伝達」のテーマのマテリアルです。とりあえず20ドル位でビット。そこからバトルが始まりました。

数日後に、船関係のものを集めていると見られるカナダからより、より高値で入札がありました。
これは激しい競争になると感じ、そのまま放置、締切りギリギリに再ビッドすることにしました。
締め切り1時間前にチェックをしたら、その数分前にカナダからダブりのビッドが入っていました。
同じ価格で、ちょっとの時間の差で、新しいビッドが記録されていました。
これは価格が表示されていないが、現在の価格表示より高いビッドを入れてある証拠です。

これは、同じ時間に、同時に締め切りを迎える、敵もこのビッドを見ている、これはバトルになる、これは大変なバトルになると感じました。
この電報は、100ドル程度までいくと、予想しました。
そこで、9分前に、100ドルまでは相手も札を入れるだろうからと、120ドルでビッド。
そして、時間の経過を見ました。E bay上での表示価格が、上がるか否かを観察し続けました。
5
分前でも、価格は変わりません。このままでいけば、60ドル程度で三浦の手に落ちます。
締め切りの2分前に価格が動きました。70ドル、そして80ドルと、あがっていきました。
敵が動いている。101ドルになりました。1分前です。

よし、そこでと、150ドルで再度ダメ押しのビッドをしました。
とれるなら取ってみろ という感じです。
夜の3時にバトルは終了、最終的には、103ドルで三浦の手に落ちました。
久しぶりに、1年か2年ぶりのE bayでのバトルでした。
最後の2分前にビッドしてきた敵はカナダの人ではなく、スペインの極地郵趣を集めていると思われる人でした。

ということは、締め切りの1時間前から締め切りまでの時間は、日本で三浦が、カナダとスペインで同じものを狙ってバトルを繰り広げたことになります。
出品者はアルゼンチン、現物が届いたので、紹介します。

 

 

 

 

---

 

 

20067月 信濃丸の絵はがき

 

電気通信をテーマとする三浦にとっては信濃丸と戦艦三笠は関連するマテリアルとなる。
幸い三笠は風景印に残っているので、最低限度のマテリアルは入手できている。
日露戦争の時、ロシア艦隊を最初に発見し「敵艦見ユ」という無線電報を打電したのは信濃丸である。
これを受けて三笠などは出航し、日本海海戦となっている。

日本海海戦は電気通信というか無線通信の歴史の中では、如何に無線通信が有効であるかを示したエポックとして、タイタニック号の沈没と並ぶイベントである。
こうしたことから無線通信の意義が認められ、開発に拍車がかかり、普及していったといえる。

信濃丸に関しては、まったくといってよいほどの郵趣品はない。
せめて絵葉書くらいは・・・と思っていたが、今回、Yahooのオークションで見つけた。図に示す。
幸い実逓であり、台北郵便局明治43722日の消印もあり、堂々と無線通信のコレクションに入れることができそうである。

 

 

---

 

 

20067月 メータースタンプと電気

 

三浦は電気・電子に関連する様々な郵趣材料を収集の対象にしています。メータースタンプもそのひとつです。
関連する広告の入ったメータースタンプは、テーマコレクション構成には面白い役目を果たしてくれます。

そして、JPSのメータースタンプ部会にも一応、席はおいてあります。
なにしろ電気に関係する広告入りしか集めないので、部会活動にはほとんど不参加です。
でも、今回、メータースタンプ部会でミニペックスを開催するということで、世話人の請地さんからも依頼を受けたので、手元の電気に関係する広告入りメータースタンプを32リーフほど、出品しました。
6
22日から25日、目白の切手博物館で開催されましたが、あいにくと秋田の義兄の葬儀となり、ミニペックスには参観できませんでした。
記念カバーと、三浦の出品作品のリーフのみ紹介します。

 

 

 

 

---

 

 

20067月 詫び状も郵趣のコレクション材料? 

   

三浦に届いた保険会社からの詫び状です。
不適切な保険金支払いなどで金融庁から行政処分を受けたことに対するものです。
三浦はこの会社の何の保険に入っていたのか忘れていました、たぶん家を新築したときに、ローンに関して強制的に加入させられた長期火災保険かも知れません。
このような手紙は滅多にもらえないので、これも郵趣材料として保管しておきましょうか・・・
詫び状と封筒を重ねて以下に示します。

 

 

 

---

 

 

 

20072月 電信と航空便の組み合わせ 

 

昔、アメリカや欧州向けの輸出を見ていた頃に、大量の部材や製品を送る時、日本から欧州に出荷する場合は航空機を使用すると高額の輸送費がかかる、船便で送ると安いが輸送に時間がかかる。
そうした時に、Sea&Airという言葉が良く出た。
アメリカの西海岸までは船で運ぶ、たとえば10日で届く、そこから欧州へは飛行機を使用する。
そうするとかなり格安でものを運ぶことができると。

これを郵趣の面でみると、カタパルト郵便のように船と飛行機の組み合わせがある。
今回三浦が入手したのは、以下の図にあるように、船舶内の無線局からアメリカの西海岸(RCAのロサンジェルスの無線局)までは無線電信で、そこからイリノイ州の届け先までは航空便で送る、というSea・Letterである。

1946
年アメリカから商売人、おまけについてきたその他の資料などから判断して、クリスマスにアメリカで飾るダックの剥製を大阪にあるアヒル農業協業組合に買い付けに来たビジネスマンが、自宅宛に送ったものである。

 

 

---

 

 

20073月 1735年ドイツ・ハノーバのスタンプレスカバー

 

三浦のテーマ「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に、ちょっと古いスタンプレスカバーを一枚くらいは、できればカリグラフというか渦巻き型の手書きマークが描かれた封筒を入手したいと願ってきた。
ドイツのガートナのオンラインショップを覗いたら1枚だけ希望のものがあったので購入した。
70
ユーロである。決して高くはない。以下にその表を紹介する。

ガートナの説明はいたって簡単で「1735 Hannover Vorphilatelie(ドイツ・ハノーバ地区の切手発行前のスタンプレスカバー)、nach Verden(ベルデン行き)、Kabinett-Schnorkel brief(渦巻き型の手紙の封筒)、Gebr(使用済み)」としか書かれていない。

Verden
はブレーメンとハノーバの間にある町で、ワールドアトラスに出てこない、比較的小さい人口3万人弱程度の町である。
これはドイツのWikpediaと手持ちのワールドアトラスで調べることができた。

Kabinett-Schnorkel brief」という説明で、Kabnettは内閣もしくは君主の枢密顧問の意味もあり、Schonokelは人の名前で、もしかして当時のハノーバの君主の枢密顧問かと想像した。
そこでドイツのYahooで検索してみたが、まったく見つからない、「Kabinett-Schnorkel brief」でヒットするのはドイツの切手のオークションに出てくる類似のカバーだけである。

Kabinett
 Schnorkel briefは渦巻き型の手紙の封筒と解釈した方が良いようである。
宛名と思われるErnst christian KrimperrもドイツのYahooで検索するも何も出てこない。
普通の人間の名前かもしれない。
もっとも差出人や受取人が有名であれば、ガートナはもっと高い価格をつけるであろう。
数時間、インターネットで情報検索をして楽しみ、その結果をこのメモに残す。これが郵趣の楽しみかも知れない。


 

 

---

 

 

 

20073月 1945年のエアグラフ

 

三浦のテーマ「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に、アメリカのVメールと共に一枚くらいは英国のAir Graphも入れたいと思った。
以下に示すのはカナダの某オークションで落札したマテリアルである。
V
メールもAir Graphも共に同様なステムで、戦地やで発信元で書かれた手紙はマイクロフィルム化にされ、航空機であて地に届き、そこで拡大・複写されて、あて先に届くというものです。

イギリスのAir Graphは第2次世界大戦中、英国郵政によって導入されたシステムで、特定の様式の用紙に手紙を書き(差出人・あて先も同一面に記載)、写真撮影してマイクロフィルムにする。
1600
通のAir Graphのマイクロフルム化された重さは5オンス程度になる、これがもし手紙として現物を運ぶとなると約50ポンド(約23kG)になる。
飛行機ではこの程度の重さでも手紙を運ぶのは困難なことから、1941年にイギリス本土と中東間で開始し、その後に徐々に達範囲を広げた。
最終的には1945731日で終了した。

この日付からみると日本はまだ終戦を迎えていない段階での終了である。
特定の様式に書かれた手紙は写真撮影後に、焼却処分されるはずである(図2の下部、サービスの説明書の中にもその旨が記載されている)が、以下の例は194575日、オーストラリアのシドニー差出で、カナダのトロント宛であるが、サービス終了間際のためか、処分を免れて、収集家の手元に残ったものと思われる。

Formica Sample
云々の話が書かれている。
フォーマイカとは、家具の表面仕上げなどに用いられる強化合成樹脂のことである、このAir Graphは商用便と思われる。

図1 手紙

 

 

図2:裏面の説明書と切手の貼付

 

 

---

 

 

20074月 Great Western号で運んだ1840年のスタンプレスカバー


三浦のテーマ「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に1通位は、明らかに船で運んだ手紙・郵便物を入れたいと思った。E bayで色々と漁っている中で、以下のマテリアルを入手した。
1840
年にイギリスからGreat Western号(1838 年進水、1320トン)でアメリカ・ニューヨーク経由ケンタッキー宛のスタンプレスカバーである。

船に関しては知識のない三浦でも、Great Western号となれば、切手にも登場している船として知っているので、コレクションには最適と思う。
この船で運ばれた云々はE Bayの出品者はまったく記述していなかった、掲載された写真(図3と同じ)をみて、不鮮明な画像から、Great Western号で運ばれた手紙と判定し、ビットした。

ロンドンで1840116日に書かれ、ニューヨークの中継印は1124日である。
このマテリアルはフランクリン・ルーズベルトコレクションに入っていたもので、1946年切手商ハーマの赤いスタンプが押印されている。
この折込み手紙の半分はロンドンにおける煙草の価格表となっている。
達筆な手書き文字で、この手紙だけでは内容を理解することはできないが、煙草の商取引に関するビジネスレターであると想像している。

さて、J・ダンロップといえば有名なタイヤ屋である。
岩波人名事典を調べる「John Dunlop (1840-1921):スコットランドの発明家、1888年空気タイヤを発明・・・」とある。
残念ながら人違いである、このタイヤの発明家は生まれてまだゼロ歳である。

 

  

図1:煙草の相場表が裏表に記載      

 

図2:ロンドンで書かれた手紙

 

 

図3:説明付のマテリアル

      

ルーズベルトコレクションは大統領官邸宛に届いた手紙に貼られてきた切手を全て集めた・・・と、決して高級なフィラテリストであるとは思っていなかった。
しかし、こうしたスタンプレスカバーまで集めていたとすれば、立派な収集家である。

 

---

 

 

20074月 1782年トルン・タクシスのスタンプレスカバー 

 

もう一枚のドイツのスタンプレスカバーを手に入れた。
今度は、郵趣の世界では有名なトルン・タクシスのスタンプレスカバーである。
これもドイツのガートナのオンラインショップで見つけたもので、50ユーロで、決して高くはない。

ガートナの説明はいたって簡単で、「Thurn & Taxis: 1792: Einsenach,  Decorativer Kabinett - Schnorkel brief(渦巻き型の手紙、装飾模様の封筒)」としか書かれていない。
1792
年にエイゼナハ宛にトルン・タクシスによって送達された手紙となっている。

Eisenach
(アイセナハ)は、ちょっとネットで調べてみるとドイツの中央部(旧東ドイツ)にある町で、古城があり古くからの中心地のようです。
中の手紙はびっしりと書かれており、ビジネスに関連した手紙ではないかと想像します。
中身を解析してくれる人が欲しいものです。

関係ないかも知れないが、現在のタクシー(Taxi) の語源はこのTaxisであるとされる。

 

 

 

---

 

 

20054月 エスペラント語の葉書


最近、EBayで以下のものを入手した。
1913
年のスタンプレスの絵葉書で、ポーランドのワルシャワの鉄道郵便印(と、説明にあるが、詳しいことは知らない)が押されている。
書かれている言語がエスペラント語であることから、三浦の将来の「通信の歴史、時空を超えた情報伝達」のコレクション用に、入手した。

エスペラントは1887年、当時ロシア領だったポーランドのユダヤ人眼科医ザメンホフ(L.L. Zamenhof)が提案したものである。
単語の要素(形態素)を主にヨーロッパ諸語から取り入れながら、造語法と文法が整理されているので、他の言語に比べてはるかに容易に修得することができると、される。

インターネットの攻勢で、近年「英語」が大きな影響力を持ってきているが、それ以前は、ひそかな国際共通語として期待された言語である。
この葉書は発案者の母国での使用ということから、また、考案されて26年後と比較的初期の言語使用ということからも、興味がある。

 

 

 

 

 

20073月 額面93の切手をゲット

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
1
から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では79と91は、切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

今般「93」という額面の切手を見つけた、200612月にカナダが発行したランを描く通常切手のシリーズの中に93Cという額面の切手があった。
小型シートも発行された。カナダ郵政では通常切手の場合、カナダ郵政による初日カバーは発行されない。
使用済みが必須の三浦としては、やむなく小型シートの初日カバーを1枚、購入した。
以下に初日カバーと93c切手の部の拡大図を示す。
このFDCは最終的には水はがしをして、93cの切手だけがコレクションに残ることになる。
これで、残る未収の額面は4件に減った。

 

 

93Cを含む小型シートの初日カバー

 

 93C切手の部 拡大図

 

 

---

 

20074月 新聞税切手も通信のテーマに

さて、三浦の「時空を超えた情報伝達」というコレクションは、最終的にはどのような範囲までを情報伝達とするかは、まだ定めないで、色々とマテリアルを漁っている。
最終的には電気通信の話に持っていくのであるが、この分野のマテリアルは手元にこれまでに集めたもので何とかなるだろうから、電気通信以外のマテリアルを見つけて、それから全体のテーマを構成しようと思っている。
おもにE bayで漁っている。新聞も情報伝達の有効な手段である。したがって新聞に関するマテリアルをちょっと集めて、2か3リーフ程度作るつもりである。
そのためのマテリアルとして入手したもの。
この他に、新聞関連としては新聞用の帯封の使用済みも入手してある。
実際の新聞がついた状態の帯封も1通だけであるが、昨年に入手済である。


 図1


以下(図2)に示すのは、フランスの新聞、Le Courrier de Sanne-et-Loire 1881611日日曜日の新聞で、折りたたんであるが、普通の新聞の大きさで、1面だけである。
新聞なのでかなりぼろぼろになっている。
この新聞には図1の拡大図に示すように、1cのフランスの切手が貼られ、その上に新聞が印刷されている。
この切手はいわゆる新聞税の切手となる。
切手を印刷した新聞に貼り付けて消印を押すのは手間がかかるので、最初に新聞用紙に切手を貼り、その上に新聞を印刷して、消印をかねるという手法である。

 

 2

 

---

 

20075月 松山収容所のドイツ軍捕虜の中に郵趣家

Ebayで面白いものを見つけた。三浦の収集テーマとはあまり関係のないものである。
色々と漁っていて、偶然に見つけ、手ごろな価格で落札できた。

図1は1915年(大正4年)11月発行の大正大礼記念切手4種完貼りのFDCで、松山の特印が押されています。
宛先は、実はこの宛先が面白いと思って入札したのですが、「Herrn H. Saxen Matsuyama Japan Yamagoye」となっている。
松山市山越のSaxen氏宛である。
多分これは松山に収容されたドイツ軍の捕虜宛ではないかと想像した。

歴史を紐解くと、大正3(1914)8月、日本はドイツに宣戦を布告、約三万の軍で青島を包囲した。
第一次世界大戦における日本の参戦である。
結果、日本軍は3906名のドイツ軍将兵を捕虜として収容することになった。
ドイツ兵俘虜が日本に連れてこられることになった。
彼らは最初全国の12ヶ所の収容所に収容された。

その12のうちの3つが四国にあった。
すなわち、松山、徳島そして丸亀である。
920名のドイツ兵俘虜がこれら3つの四国の収容所に収容された。
その内訳は松山の7ヶ所の収容施設に396名、徳島の2ヶ所の収容施設に約200名、丸亀の2ヶ所の収容施設に324名である。
松山地区では、当初は396名が大林寺(81名)、公会堂(現在の市役所の地)に180名、山越地区の5寺に135名が収容された。
弘願寺、長建寺、浄福寺、不退寺の4寺に各30名。通りを隔てた来迎寺に15名である。
ここで、松山市の山越地区が出てくる。

俘虜たちはこの3つの収容所で約2年半を過ごし、後にこの3つの収容所が今の鳴門にある板東収容所(坂東収容所郵便切手で郵趣家にもなじみの深い場所、大正6年(1917年)4月に開所)に統合され、そこでほぼ210ヶ月、合わせて約1,000名のドイツ人が、四国で5年数ヶ月を過ごすことになった。
坂東収容所は大正9年(1920年)4月に閉鎖されている。

次は、この宛名の人がドイツ軍の捕虜であることを確認することになる。
ネットを漁り、「チンタオ・ドイツ兵捕虜研究会」のWEBを見つけた。
このWEBには、判明している捕虜の名簿が公開されている。
実は、宛名が達筆で、読めなかった、
名前はH,姓の最初の文字は読めない、2文字目はaと他の文字との類推から判読、3文字目も読めない、4と6文字目はenと読める。
これだけの情報で、松山収容所の収容者名簿約400名の名前と照らし合わせて、最終的にSaxenと読んだ。
この図1のFDCは、実逓ではなく、押印後に自分で宛名などを記入したと思われる。
消印の上にペン書きのインクが乗っている。

さて、図2は大正819197月発行の世界大戦平和記念切手を、平和記念の絵葉書使用に完貼りし、徳島の特印を押印したものである。
こちらは名前だけを後で記入している。
この時期には、Saxenは松山収容所から坂東収容所に移っている。
すなわち、第2図のマテリアルは坂東収容所関連のマテリアルということになる。
捕虜の中に、収集家がいた、そしてこの郵趣品をドイツに持ち帰ったものと推定できる。
この2点のマテリアルの出品者はドイツである。
Saxen氏は亡くなり、郵趣品として市場に回り、三浦の手に入ったといえる。

参考までに、研究会のWEBには、丸亀収容所のH.Classenという捕虜宛の初日カバー(大正5年発行、裕仁立太子記念の1 1/2銭と3銭切手貼り)が紹介されている。
坂東収容所郵便切手は、こうした何名かの郵趣家が捕虜の中にいて、彼らが推進したのかも知れない。


図1 

 

2 

 

 

20076月 ドイツツェッペリン切手の偽物 三浦正悦

「時空を越えた情報伝達」のコレクションの中に、高額な郵便料金を支払っても早く相手に手紙(情報)を伝える必要のあるビジネス便に、ツェッペリン便は利用された・・・」というストーリで、商用便のフライトカバーは入手済みなので、あと少し何か飾りにするマテリアルが欲しくて、手を出してみた。
ドイツのツェッペリンのカバー、図1に示すドイツから南米宛の商用便はかなり前にアメリカのドイツ専門の切手商から買ってあるものである。
今般、E bayで最低値に近い金額で安く入手できたマキシムカードを図2に示す。


ちょっと見ると判らない、18倍程度のルーペで覗いてみてもわからない。
1に比べて図2の切手はなんとなくすっきり、きれいである。きれい過ぎる。
そこで、手持ちの60倍のショップ顕微鏡(60倍)でみて、ようやく差異を見つけた。
周囲の枠が超きれいな直線で描きなおされている。図2はよって偽者と断定できた。

手元のスキャナを利用して1200DPIで画像を取り込み、その結果を図3と図4に示す。
周囲の枠、額面、国名表示などの部分は、菱点の連続ではなく、明らかに直線でコントラストもよく、描きなおされている。
内部の地球と飛行船の部分は、これはよく見ないと違いが判らない。
違いが判るのは、赤色でも非常に濃い部分を見ると、赤の菱点ではなく、白の菱点というか赤の連続して直線になっている。

 図1

 

 図2


三浦にしても初めて見た偽物である。よくできた偽物といえるかも知れない。
事前に正当なルートで入手した本物を持っていたことと、ショップ顕微鏡や高解像度のスキャナを持っていたことが、偽物の判定に有効であった。
6
10日の登戸支部例会でこれを紹介したところ、山口さんが図2の偽物の切手の左下部に文字を見つけた。
そこで、2400DPIの可能な最大解像度でその部分を読み取った。
5に示す。どうにか、Reprint 1937と読むことができる。
1931年の切手を1937年にReprintし(偽造し)、1931年の消印もニセ消しであると判定できる。

 3 拡大図 ○の部分は赤の菱形

 

 4 拡大図 丸の部分は赤の直線

 

図5 左下コーナの1DM 額面部の下 マージン部の超拡大

 

 

 

---

 

20077月 ツェッペリンの東京行き

ツェッペリンカバーは専門収集家が多く、三浦には手も足も出ないし、その関心もない。
ところが、20073月号のヨドバシカメラが発行している「ザ・ポイントネットワーク」という広告雑誌を見ていたら、以下の記述があった。
「飛行船による世界1周という大きな夢」という見出しで、コラムで「来日に沸く日本: グラーフ・シェッペリン号が日本で熱狂的に迎えられたのには理由かあった。日本のスポンサである大阪・東京朝日新聞の記者がフリード`リヒハーフェンからツェッペリン号に搭乗。電信でツェッペリン号の様子を毎目伝えた。そのため来日前から日本人の多くがツェッペリン号の動向に注目していたのである。」と。

この9行のコラムには驚いた。
こうなると、電信関連のテーマに、この朝日新聞社の記者のよるドイツ発・東京行きのツェッペリンカバーが必要となる。
いつか機会があれば・・・・・と思っていたが、意外と早くカバーがみつかった。
今般入手に成功したドイツ発東京行きのツェッペリンカバーを以下に示します。
Ebayで見つけ、100ドルか100ユーロ程度以下で落札できればよいし、駄目ならばあきらめようと思っていたが、ちょっとは競ったが、100ユーロを越えない範囲で入手できた。

 

 

 

---

 

20077月 飛行機事故カバー

「時空を超えた情報伝達」のテーマコレクションに中に、事故による情報伝達の遅延・断絶という観点から、比較的安価(50ドル程度以下)で購入できそうな、適当な事故カバーを探してみました。
そして、E bayでゲットしたのが、以下のカバーです。
1930年12月22日に非古希事故によって半分焼けてしまった郵便です。
アイオワ州からアメリカ国内のどこ宛でしょうか、住所が半分消滅しており、三浦では判読できません。
ラッキーなことに中身も半分焼けて残っていました。
12月22日ということで、クリスマスカードが入っていました。封筒と同じ形で焼けています。

 

 

 

 

 

 

20077月 額面79の切手をゲット

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。

1から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では79と91は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
今般、「79」という額面を入手した。残念ながらメータスタンプによる印字である。
タイから届いた書留便に像を描くメータが貼られ、その料金表示ガ79であった。
タイでは79という額面の切手は発行されていない。
メータでも、恣意的に79という額面を作ったのではなく、書留便ということもあって、この79表示のメータは、三浦の数列揃えのコレクションに入れることになります。
残る未収の額面は3件に減りました

 

 

 

---

 

 

 

200711月 JAPEX07での収穫品

 

JAPEX07は終わった。さて、来年はどうするか・・・・をこれから考える。
JAPEX
07での収穫品を紹介する。振り返ってみれば、たいしたものを買っていない。

その1は、図1に示す1956年発行佐久間ダム竣工切手の原画写真である。
多数の原画写真が陳列された中で、電力に関するものとして、これを選択した。
図2に示す実際の切手の拡大図と比較すると、構図は同じであるが、細かい表現が異なることが良くわかる。

 

 図1 原画写真

 

図2:実際の発行切手

 

図3

 

その他には、ゼネラルスタンプの品川仁さんに、はい、これ電気の三浦用と示されたポーランドの特印カバー、1926年のワルシャワ無線展覧会記念特別飛行のカバーを購入、図3に示す。

図には示しきれないので写真は割愛したが、川床さん情報どおり、ユキオスタンプには日本の穿孔切手のエンタが一箱あった。

中身を全部チェックしたが、同一会社差出のものが多かった。
何もないかあきらめたら、最後の1通が東京・内幸町にあったNHK差出のJOAK穿孔入りであった。即購入してきた。


---

 

20083月 アメリカのエンパイアステートビルの絵葉書も

三浦のコレクションとしての灯台の切手を纏めていた頃、アメリカのエンパイアステートビルのトップは灯台になっている、ということを知った。
エンパイアステートビルを描く切手として何枚かはある。
そして、あるアメリカの絵葉書を紹介する本の中に、エンパイアステートビルの夜景で、トップに灯台の光が描かれている絵葉書が含まれていた。
そこで、当時、アメリカの収友に、ニューヨークのこのビルの夜景の絵葉書でトップが光っているものがあれば、送ってくれと、依頼した。
しかし、結果は未入手に終わっている。

今般、E bay2枚も、ほぼ同時にこの絵葉書を見つけて落札した。以下に示す。
これで、この絵葉書とともに、エンパイアステートビルを描く切手を灯台のコレクションに入れることになる。
参考までに、アメリカ切手でしばしば登場する自由の女神も、灯台である。どの部分が灯台になっているのかまでは、まだ調べてはいない。
自由の女神の夜景の絵葉書を探すのもこれからの楽しみである。

 

 

 

 

---

 

*2008年5月 フランスの1949年電信会議記念印

 

フランスのパリで19495月から7月にCITTInternational Telegraph and Telephone confernece国際電信電話会議)が開催されている。
1949
6月にフランスはこの会議を記念する切手5種を発行している。
以下に示すものは、この会議の記念印を押印したカバーです。
残念ながら記念切手の貼付はなく、通常切手が貼られている。
2
通とも同じ発信人で、受取人も同じオーストリア向け実逓です。

1615日付け、図2は少し遅れて711日付けで、図2はなぜか検閲印まで押されている。
1949
年、第2次世界大戦が終わって4年経過してもまだ一部の郵便は検閲されていたのであろうか。
これらのマテリアルは「国際電気通信連合ITU」に入れるべく入手したものです。

 

 

 

 

---

 

200105月 額面97の切手をゲット

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
1
から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では7991は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。

先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
また、過日、「79」という額面をタイからのメータスタンプ貼り書留便で入手した。
アメリカの切手で79セントのFDCを入手したことも報告した。

今回入手したのは、97です。イギリスでは20104月郵便料金改定で、20gまでの世界向け航空便料金を97ペンスとした。
よって、数枚の通常切手が発行された。
以下はその一例である。イギリスに手配して、送ってもらった。

残る未収の額面は2件です。
ルーマニア1943年の91額面の寄付金付き切手の使用済みは入手できるか?99の額面の切手はどこかの国で発行してくれるか?

 

 

 

 

---

 

200106月 額面99の切手をゲット   

JAPEX05のワンフレーム展に「1−100数列揃え」というコレクションを出品した。
1
から100までの額面の切手を並べたものであるが、この時点では7991は切手の発行はあるが使用済みが入手できずに空欄、93、97、99は切手の発行すら見つからずに空欄であった。
先日93という額面のカナダの切手を紹介した。
また、過日、「79」という額面をタイからのメータスタンプ貼り書留便で入手した。
アメリカの切手で79セントのFDCを入手したことも報告した。またイギリスの「97」切手も入手した。

今回紹介するのは、ようやく入手したブルネイの国王か皇太子かの結婚記念の切手で、2004年の発行、額面は99となっている。
使用済みは困難なので、FDCで落手した。
ブルネイのカタログを見ても、同年代に99の額面の切手は他には全く発行されていない。
もしかして、結婚記念日に伴って末永くという意味で、99という額面を選択したのかも知れない。
残る未収の額面は1件です。ルーマニア1943年の91額面の寄付金付き切手の使用済みは入手できるか?