*東京・深川に平賀源内の跡を訪ねて      

 

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2003年に総合電子出版社から三浦は「おもしろ電気通信史」を刊行した。
こうした経緯もあって、北大の「科学史ML」にもメンバ登録をしている。
このメーリングで、2006年1月21日に江戸の古い町並みを探索する懇談会の案内があり、その探索路の中に平賀源内のエレキテル実験の跡地も入っていたので、飛び入りで参加してみた。

この会は江戸学懇話会といって、江戸時代に限定はされないが、古き江戸の街を、歴史家・科学史家の目で探索する私的なグループでした。
当日は13時、都営地下鉄「森下町」駅A1出口に集合、そこから散策が始まりました。メンバは15名程度でした。
当日は小雪が降っていました。森下町駅→芭蕉記念館→河船番所跡→桑田立斉種痘所跡→平賀源内エレキテル実験の地→セメント工場発祥の地→清澄庭園→松平定信墓所→深川江戸資料館そして懇親会場で2時間程度の飲み会でした。

平賀源内は深川に住んでいました。そしてこの深川の自宅で、エレキテルを組み立てで、電気の実験を行ったのです。
場所は隅田川の清洲橋の近くで、
清澄1丁目(読売新聞社ビル前)、道路から1m程度奥まった一角に「平賀源内電気実験の地」という碑が建っているだけでした。ただこの碑を見るために参加したのです。


  
図1 電気実験の地の碑の場所を示す地図  


写真1は小雪の中、電気実験の跡碑を見ている写真で、同行の方が写っています。
写真2は碑の正面、写真3は、碑の側面で「私宅で電気実験をおこなった・・・」と説明が書かれています。

三浦は以前、高松に行った時、志度に平賀源内の生誕の地を訪問しています。
エレキテルの実験が江戸で行われたとは、知りませんでした。
そして、江戸懇の後、インタネットで調べると深川散歩とか深川探索に関連する多くのホームページで、この平賀源内の電気実験の碑を紹介していることを知りました。以下はその一例です。

平賀源内エレキテル実験の地
 27歳で脱藩し、讃岐(香川県)から江戸へ出てきた鬼才平賀源内。
安永5年(1776)、源内は深川清住町の武田長春院の下屋敷で、「西洋人が雷の理を以て考案した器械」エレキテル(摩擦起電機)の実験を一般公開した。

 

 写真1


  写真2


  写真3

                                
この江戸懇では、芭蕉記念館にも行きました。
そこで写真4に示す芭蕉の直筆の「おくのほそみち」(複製)が展示されていました。


 写真4 「おくの細道」芭蕉自筆本


夕方の懇親会では、人物切手部会報177を見せて、「平賀源内とエレキテル」の記事を紹介し、図2に示す平賀源内の切手を懇話会の参加者に見せました。
残念ながら切手の蒐集に関心を持っている人はいませんでした。


 図2 平賀源内の切手