*鳥羽にTYK無線電話の訪ねて

 

作成: 2006-11-20             戻る 

20061117日、所要で三重県伊勢市に行きました。用事が済んでから、午後のひと時にTYK無線電話の後を訪問する時間を得ました。

私の著書「おもしろ電気通信史」の中に、鳥羽で世界初の無線電話実用化を行った・・・と紹介してあります。
鳥羽に無線電話の記念碑が残っているので、機会をみて行ってみたいと思っていましたが、これまでには機会がありませんでした。
今回、その機会を得ました。

大正31914)年1216日から大正5年(1916)年410日まで、鳥羽・神島・答志島間で無線電話の実用試験が行われました。
無線電話の実用化としては世界で最初でした。TYK式無線電話は、鳥羽の日和山、
神島の灯台舎宅内(追記2参照)答志島の役場内の3か所に設けられました。

世界初の実用無線電話の名は、TYK式無線電話―開発した3人の頭文字(T:鳥潟 Torigata Y:横山 Yokoyama K:北村 Kitamura)から名付けられた。
彼らは発明当時、逓信省電気試験所の技術者で、中でも秋田県大館市出身の鳥潟右一がプロジェクトリーダ格となっていました。

電気通信試験所WEBの歴史のページの中には以下の記述があります。
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「(大正3年)19141216:
第四部部長逓信技師鳥潟右一、第四部無線電話係逓信技手北村政次郎、第四部無線電話係逓信局技手丸毛登、TYK無線電話機を伊勢湾内の鳥羽、答志島および神島の3カ所に設置、相互間での通話実験を開始。

(大正5年)1916411:
第四部部長逓信技師鳥潟右一、第四部無線電話係逓信技手北村政次郎、第四部無線電話係逓信局技手丸毛登、TYK無線電話機を伊勢湾内の鳥羽、答志島および神島の3カ所に設置し相互間で行ってきた通話実験を終了。」
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このTYK無線電話は、デンマークのプールセンが発明したアーク放電を利用した、無線電話器で、連続放電に難があり、苦労して電話に使用できる連続放電に成功していますが、同時期に真空管の発明などがあり、時代の背景としてはアークから真空管による無線周波数の連続発信が開発されていたので、このTYK無線電話は短命に終わっています。

鳥羽では、日和山(ひよりやま)に無線電話所が設けられました。
その様子は下図に示す2枚の古い絵葉書(三浦のコレクションから)でわかります。
1の絵葉書には
「志摩 鳥羽港 日和山 世界最初 鳥潟式 無線電話所」という説明が書かれています。

  図1


2の絵葉書には「鳥羽港 日和山無線電話」という説明が入っています。図1に比べると図2は、電話所の建物がより大きく写っています。

    図2 


これらの絵葉書を入手したのは20065月です。この入手でぜひ鳥羽に行ってみたいと思うようになりました。

追記1:2007−2−13

さらにもう一枚の無線局を描く絵葉書を入手しました。  図2Aに示します。 松ノ木の左側にアンテナが見えます。

 図2A 

JR鳥羽駅の正面の小さな山が日和山です。この一番高いところに見晴台があり、鳥羽湾を眺める絶好の場所です。方位石、無線電話発祥の碑、あるいは芭蕉の句碑などがあります。展望広場は少し下にあります。」 とか、
鳥羽市にも、標高65メートル程の日和山があり、頂上からは、眼下に答志島が、そして天気の良い時には、伊勢湾を隔てたかなたに三島由紀夫の『潮騒』の舞台になった神島を望むこともできる。 この日和山の山頂には、「無線電話発祥記念碑」があり、日和山・答志島・神島を結ぶ無線電話が、大正時代初期、国内で初めて使用されたことと、それが世界で初めての実用無線電話であったことを記念している。」
と鳥羽市 の観光案内や関連するWEBサイトに紹介されています。

さて、1117日(金曜)1345分に近鉄鳥羽駅前から歩き出しました。鳥羽駅の山側の出口の正面に日和山があります。案内板が建っていました。
この案内図には最後に「ここには世界で最初に無線電話の実用化に成功した所を示す記念碑が建っている」という説明がありました。

 3 鳥羽駅前にあった日和山の案内図


日和山の遊歩道に入り口から、誰もいない道を、山道を登ります。
途中にきらら橋があり、その近くにある案内板には
「山頂の実験所跡地には記念碑が建つという説明があります。
この案内板が正しいとすれば、これから登っていく山頂にある記念碑が建っている場所が無線電話実験所のあった場所ということができます。
結果としては、この案内板の記述が正しくないことがわかりました。後述を参照。

 

 4 記念碑

 

 5 記念碑のいわれ


山頂の見晴台に無線電話記念碑がありました。図4に示します。記念碑の説明板にはいわれが書かれていました。図5に示します。

「無線電話発祥のいわれ:
明治36年(1903年)ドイツ(三浦注:正確にはデンマーク)のプールセンにより電弧を利用した無線電話が発明されましたが、わが国でも逓信省電気試験所の鳥潟右一技師等が研究を進め、明示453月(1912年)ついに鉱石検波器等を利用した世界最初の無線電話送受信装置を完成させました。

そして大正312月(1914年)には鳥羽‐答志島‐神島間の連絡用として世界ではじめて実用化に成功し、名古屋、四日市港に出入りする船舶の公衆用通信にも使われました。(三浦注:船舶には無線電話装置は装備されていないので、船舶との無線電話に使用されたとは言えない。)

この無線電話は、特殊電極と直流を使用する火花式発信器および、簡易な鉱石検波器とを組み合わせたもので、発明者鳥潟右一、横山英太郎、北村政次郎三氏の頭文字をとりT.Y.K式無線電話と名付けられました。イタリア人マルコニーが明治28年(1885年)に電波式無線電信を発明して以来世界中の通信研究者がこぞって 無線電話の実現に努力していただけにT.Y.K式無線電話の実用化は世界の通信界を驚愕させました。 

わが国の電信電話は今やすばらしい発展をとげ国民生活にとって欠くことのできないものとなっていますが、それもこれら先覚者の努力の結果といえましょう。  
                                   日本電信電話公社  」

6は記念碑の正面の写真です。碑文は「無線電話発祥記念碑 日本電信電話公社総裁 大橋八郎書」と単純です。

碑の裏側には細かい説明が刻まれています。碑の後ろはがけになっており、碑の後側の写真は取ることができませんでした。

裏側の説明文を書きとってきました。
1914年(大正3年)12月逓信省電気試験所技師鳥潟右一 横山英太郎 北村政次郎三氏が苦心の発明したT.Y.K式無線電話が鳥羽 答志島 神島間に設置され相互間の連絡ならびに名古屋 四日市両港に出入りする船舶の通過報などの公衆通信に使用された。これは世界における無線電話実用のはじめである。
  同内容の英文の記述(略) 
昭和3612月 日本電信電話公社 東海電気通信局 」


 6 記念碑の正面

 

 7 山頂に記念碑を見る  右側にあるのが記念碑


さて、この記念碑は山頂の見晴台に建っています。図7に示しますが、広場の右側にあと1m後ろに下がればがけという場所に記念碑は建立されています。
前述の案内板の記述が正しいとすればこの碑の場所に無線電話所が建っていたことになります。
7の正面方向は鳥羽湾です。数段の石段を登れば、それ以上の高い場所はありません。周りは高い樹木に覆われています。

1をみてください。古い絵葉書では無線電話所の横に数メートルの石垣があり、無線電話所は決して最高地点に建っていた訳ではありません。
したがって、案内板にあった記述は誤りであると判断できます。
無線電話所は、この山の山頂ではない、ちょっと下がって、鳥羽湾に面した別の場所にあったのでしょう。その場所はどこか、機会があれば調べてみたいと思います。
記念碑は、多くの方が訪れる山頂の見晴台に建立したのでしょう。

山頂は見晴台になっています。
8(山頂にあった案内図)に示すように、鳥羽湾に一望に見渡すことができます。
山頂の見晴台で一休みしました。230分です。
この場所から無線電話所が置かれた答志島、神島は見通内で、ほぼ一直線上にあります。
無線通信といいながら、見通し内の通信であったのでしょう。
天気は良く晴れていたので、対岸の愛知県側も見えました。でも周りはうっそうと樹木が茂り、見晴台にも、また遊歩道には太陽光は届いていません。
肌寒いくらいです。

 

 8 見晴台にあった案内図

 

 図9 見晴台から鳥羽湾を望む


3
15分に山頂を後にし、下りました。325分近鉄鳥羽駅に戻りました。
3
40分初の近鉄特急で名古屋へ向かいました。わずか2時間程度のTYK無線電話の跡を訪ねる旅を終わりました。


追記2  2008−1−16

TYK無線局は神島では灯台官舎に置かれたとあります。 この灯台を描く鳥羽神島郵便局の風景印があります。
1983
年(昭和58年)214日に使用開始となって風景印で、神島の全景と神島灯台を描いています。

   10 神島と神島灯台を描く風景印

神島灯台は、1909年(明治42年)に神島灯台の建設が始まり、1910年(明治43年)51日に点灯を開始しています。
光源は当時主流であった石油ランプではなく、吸入式ガス原動機の発電による電灯で、1901年(明治34年)に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号の電気式灯台となりました。なお、タングステンフィラメントを用いた白熱電球を光源とする灯台としては神島灯台が日本初でとのこと。

追記3: 2008−1−16

YK無線電話の発明者「鳥潟右一」差出の封筒を入手

鳥潟右一(とりがた ういち、1883-1923年)は、秋田県北秋田郡花岡村(現大館市)に生まれている。鳥潟平治の長男である。
1906
年東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業後に、逓信省電気試験所に入所し、通信工学(特に無線通信)の研究に従事した。
以下は最近入手した鳥潟右一が故郷の親父の平治宛に差し出した手紙の封筒である。
残念ながら中身の手紙はない。
明治42年(1909年)の差出ということから、26歳の時の差出である。

 11 封筒の表 

    12 封筒の裏