初の国際切手展出品でした。
10年に一度の国際切手展が横浜で開催されることが決まってから、郵趣の世界ではこの国際展への出品が一つの話題になってきました。
JAPEXという国内展に連続して出品してきた三浦ですが、いまだに国際切手展への出品の経験はありませんでした。
国際切手展への出品は、国内展で金銀賞以上の賞を得たコレクション、それも10年以内に受賞したコレクションであれば、国際切手展への出品エントリーの資格があります。
過去10年の間に三浦がJAPEXに出品して金銀賞を得たコレクションは2つありました。
そこで、今回の横浜国際展には、JAPEX2002に出品したアトム(原子力)のコレクションを出品してみることにしました。
JAPEX2002でのコレクションは4フレーム(64リーフ)でした。
国際展では初の出品では5フレーム(80リーフ)の出品に限定されるので、規模の点からも好都合でした。
2010年11月にPhilanippon2011への出品申し込みを行いました。
ところが、2500フレーム程度の規模を予定していたところ、4500フレームもの出品申し込みがあったとかで、多くのエントリーがばっさばっさと切られてしまいました。
2月下旬に出品の可否の通知が来ることになっていましたが、少し遅れて、3月の上旬になって、「出品不可」という拒絶の通知を受けてしまいました。
ところが、3月11日の大地震・大津波そして福島原発の事故が発生しました。
この福島原発事故の風評で、かなりの数の海外からの出品がキャンセルとなった模様です。
4月25日になって、日本のコミッショナーである稲葉氏からメールが入りました。
「日本国際切手展2011 追加出品について:今回の福島原発事故の風評により外国からの出品キャンセルが国単位で入っております。日本より追加出品をお願いする可能性が出てまいりました。つきましては、追加依頼を受けた場合出品を受けるか受けないかをお知らせ願いたいと思います。」
そして、5月1日に正式に、三浦のアトムのコレクションは復活で出品が決まりました。
福島原発の事故のおかげで、三浦の原子力の切手コレクションの出品が可能になったということは、何とも言えない気持ちです。
5月1日から搬入の7月26日までは、本当に出品リーフ作成に謀殺されました。
80リーフを、しかも初めての英文での作成です。
作業期間は3か月を切っていました。
そして、どうにか7月26日の搬入の1週間前にはほぼ出来上がりました。
審査の結果は銀賞でした。初出品としては妥当な賞でしょうか。
次頁以降にタイトルページと出品リーフを紹介します。
コレクションの規模: 合計 80リーフ
以下に4リーフのみ紹介
タイトルページです。
キューリー夫人を描く北朝鮮の切手の最終原画図案を含むページ。
1945年1月 アメリカの国内郵便であっても検閲印の押印された手紙、
宛先は原爆を開発中の秘密の研究所 ロスアラモス研究所にあてたもの
日本の原子力発電所に関連するページ
東海原炉での初の発電、東電の福島第1原発、中部電力の浜岡原発、四国の伊方原発に関するマテリアル等
*JAPEX11には、この国際展に出品したコレクションをそのまま、タイトル頁だけを以下の日本語にして出品しました。
手抜き委と言えば手抜きです。