私は、2005年10月に欧州に行きました。
その時のドイツのゲルンハウゼンにライスを訪ねました。これは第2弾としての報告です。
2005年10月5日から7日にかけて、フランクフルト(マイン)の郊外にあるHanau(グリム童話の発祥の地だそうです)で開催されるJISC-CENELEC意見交換会という欧州と日本の政府関係の規格制定組織間の会合で、EMF(電磁波の健康影響)に関する論議も行なわれることになりました。そして、業界(電子情報技術産業協会)のEMF専門委員会(私はこの委員会の幹事です)を代表して、参加しました。
この会議の内容は部会報とは無関係なので、省略します。
図1
このHanauでの国際会議では、中日に半日息抜きの観光コースを設定してくれました。
行先はなんとフランクフルト郊外のゲルンハウゼンでした。
ゲルンハウゼン(Gelnhausen)はフランクフルトの東約70kmにある町です。
ここは中世の古い町並みの残っている観光地でした。ゲルンハウゼンは1170年に皇帝フリードリヒ1世によって建設された町です。
図1はゲルンハウゼン帝国議会800年(1180-1980)記念としてドイツから1980年に発行された切手です。描かれているのがフリードリッヒ1世です。
会議場からバスで「ゲルンハウゼンに案内する」といわれ、町の地図をもらってびっくりしました。
ゲルンハウゼンは、電話の発明はアメリカのA・ベルになっていますが、ドイツではP・ライスが、ベルに先駆けて電話を発明しているからです。ライスの生まれた町がゲルンハウゼンです。
2003年に私は「おもしろ電気通信史」を書きましたが、この時はライスの資料が欲しくてゲルンハウゼンに問い合わせました。
ライスの銅像の写真(電子ファイル、図2)が送られてきましたが、本の出版には不向きな低解像度のファイルでした。結果として、本はライスの切手だけの紹介に終わりました。
そのゲルンハウゼンに行けるとなり、喜びました。
図2 ライスの銅像
おもしろ電気通信史から抜粋(前後の関係から一部修正):
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ドイツのライスが「電話」という用語の最初の命名者であるという、もう一つの説があります。
ライスは1861年にプラチナ線が封蝋で結び付けられている動物の皮膜を、ヒトの耳の形をした円錐体の上に張った電話器を作りました。
フランクフルトアムマインの物理学会で公開しています。
音楽のメロディを伝送することはできましたが、まだ人間の生の音声の伝達には不十分で、実用には遠かったようです。
ライスはこの装置を“Telephone(電話)”と名づけました。
ライスは1874年に、ベルの電話の発明(1876年)の報に接することなく死んでしまいました。
電話発明者としてベルが世界的に有名になると、ライスの生まれたゲルンハウゼンの町の人は、ベルの電話よりライスの方が早く電話を発明したと憤慨し、「世界最初の電話の発明者、フィリップ・ライス」という石碑を建てて、鬱憤をはらしました。
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ゲルンハウゼンに到着後、現地を案内してくれるガイドさんがきました。
ガイドさんに私は即、「通常の観光コースに加えて、ライスの銅像などを付け加えてくれ」と依頼しました。
ガイドさんは、真っ先にライスの銅像のある広場に案内してくれました。ライスを、というよりはこの広場は町の中心になっており、観光コースの基点でもあったのです。
図3はゲルンハウゼンの町の広場に立つライスの銅像を前にした私です。
この銅像に前で、私は、ガイドさんに代わって、ライスの話を英語で行い、参加した日本人だけではなく、ドイツ人達からも喝采を得ました。
図3 ライスの銅像の前で
その後、古い教会、最初はゴシック様式で建設が始まり、後半はロマネスク様式で建設されたという2つの様式が混在する協会、フリードリッヒ1世の居城の跡(石作りの部分がかなり残っている)などを見学した。
その後は各自町の中を散策することになった。
図4 古い教会
ゲルンハウゼンには、ライスの生家も残っているので、その家を目指しました。
銅像のある広場に通じるメインストリートを100mも歩いたでしょうか。
そこにライスの生家が残っていました。図5・6にしめすように、家の壁に、「ライスが生まれた」というプレートがついているだけで、現在も普通の家として使用されている、という雰囲気でした。
このプレートは古くからあったものではないようで、最近になって追加されたもののようです。
今回入手したライスのパンフレットに掲載されている1983年時点での「ライスの生家」の写真には、このプレートはありません(図7)。
図5 ライスの生家 1階と2階の間にプレート
図6 プレートの部分 拡大
図7 1983年のライスの生家
図8 ゲルンハウゼンで発行されたライス生誕150年記念小冊子
さて、このライスの生家にはドイツ・オランダからの会議参加者と一緒に回りましたので、ライスに関する何か資料が町の案内所にあるのではないか、そこへ行こうということになりました。
地図を片手に案内所を探して歩きました。案内所は町の中にある郷土博物館の受付が兼ねていました。
郷土博物館は見学しませんでしたが、受付の付近にライス電話に関する小冊子がありました(図8)。
1984年に発行された60ページの小冊子で、ドイツ語ですが、参考になると思い、購入してきました。
この小冊子には、最後の方に、ライスの郵便切手や特印が掲載されていました。
こうした小冊子にきちんと郵便切手や特印を紹介してくれるということは、非常に喜ばしいことです。
でも、郵便切手は特に問題はなく、ほとんど私も入手済みですが、過去に、戦前も含めて、それなりに多数のライスの電話に関する特印が使用されていることを知り、愕然としました。
特に戦前のドイツの特印、1934年のライス生誕100年記念、1941年の電話発明80年の特印(図9)は欲しいものです。
それらの入手は可能か?・・・ゲルンハウゼンの訪問は喜びでしたが、同時に苦悩の種も持ち帰りました。
その後E bayのオークションでこの消印の出品がないかチェックしてみましたが、出ていませんでした。
したがって、いつ入手できるのでしょうか・・・・・
図9 小冊子に紹介されている戦前のドイツの特印
このゲルンハウゼンには「フィリップ・ライス通り」と、彼の名前をつけた道路もあるようです。
今回は確認をおこないませんでした。
最後にドイツから1984年に発行されたライスの切手(図10)を紹介して報告を終わります。
図10 1984年発行
追記;2017−5−6
上記の特印の中の1点、1941年の特印がようやく入手できました。