*NHK内幸町放送会館跡の碑

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東京・内幸町で放送記念碑を見てきました。
記:2009−8−4

内幸町に出かけましたので、放送記念碑を見てきました。
本当に小さい記念碑で、ほとんどの人は記がつかないのではないでしょうか。
正面に「放送記念碑」とだけ銘があり、横に「日本放送協会は1938年から1973年まで、この地にあった」という説明がありました。

   


歴史を辿ってみると、
NHK
東京放送会館は、日本放送協会が1938年から1973731日まで本部として使用していた施設で、東京都千代田区内幸町(現在の日比谷シティ)にありました。

1925
3月に当時の東京放送局が仮放送を開始した場所は、東京・芝の東京高等工芸学校内(仮局舎)で、同年7月に愛宕山に本局舎が完成し移転、本放送を開始した。これが現在のNHK放送博物館となっている場所である。

日本放送協会となして全国ネットワークを展開。愛宕山局舎は手狭となった。

加えて、1940年に開催を予定していた東京オリンピックに合わせ、テレビジョン放送を開始する計画を立てる事となり、そのために本格的な施設が必要となったため、当時の東京市麹町区日比谷内幸町に大規模な放送会館の建設が計画され、1938年に運用を開始した。建設は竹中工務店が担当。