*燈台と佐野常民
3月25日に江ノ島で「灯台フォーラム」が開催されました。
この灯台フォーラムは、灯台を見るのが好き、灯台グッズを集めるのが好き、灯台の写真を撮るのが好き・・・・と何らかの形で灯台が好きな人間が集まって、話を聞いたり、話をしたりする私的な会合です。
このフォーラムで、お土産にもらったのが、燈光会発行「登れる灯台14基 その歴史」という小冊子です。
この冊子を帰路、電車の中で見ていました。なんと、以下に示すような記事が掲載されていました。
佐野常民:
明治3年(1870年)灯台関係の事務が工部省燈台掛に移され、翌4年燈台寮に昇格した時の初代燈台頭が佐野常民です。
佐野といえば、日本赤十字の創始者として知られていますが、灯台草創期において佐野の灯台事業に果たした役割は大きく、その見識と先見力がなければ、いかにブラントンが秀でた技術を持っていたとしても、莫大な予算を要する灯台の建設は進まなかったと思われます。
そうです、佐野常民は赤十字社の創立者として、1939年11月15日発行、赤十字条約成立75年の記念切手の4銭と20銭に肖像が描かれているのです。
こうなると、佐野常民は「灯台」関係者として私の切手コレクションに入れることになります。
ヤフーオークションに4銭の縦ペアが出品されていましたので、未使用ですが、取りあえず入手しました。
そして、これからは切手展のブースなどで、これらの使用済を探していくことになります。
さて、こうした情報はたまたま私だけが知らなかったのでしょうか?
「灯台 佐野常民」というように2語をキーワードにインターネットで検索をして見ました。
ばっちりとヒットするものがありました。佐賀市にある佐野常民記念館のWEBには灯台に関する記述もありました。
2006年4月6日のログです。
参照URL: http://www.saganet.ne.jp/tunetami/con_18/con_18.html
マルチ人間“常民”の奮闘人生アラカルト
常民は明治政府の要職を歴任してさまざまな分野で活躍するようになります。
1869(明治2)年からは、日本海軍の創設、イギリス式兵制の採用、洋式灯台建設の推進など、欧米諸国に肩を並べる国家づくりに貢献しました。
そして、さらに、この記念館のWEBには、以下のような電信機の話も出ていました。
1857(安政4)年、常民は中村奇輔らとともに精煉方製作の電信機をもって薩摩に赴いた。
写真は中村奇輔製作の電信機として諫早の旧家に伝えられるもの。 (注:写真に関しては上記URLにアクセスして見て下さい)
幕末に薩摩では電信機の実験を行っています。
その実験に関与したのが佐野常民となり、佐野常民はこうした事情から、私の電気通信の切手に堂々と掲載する対象となりました。