私は、2005年10月に欧州に行きました。
その時のドイツのウルム市におけるアインシュタインの跡を探訪の記は報告済です。
これは第3弾としてのヘルツ探訪の報告です。
10月7日まではフランクフルトの郊外にあるHanauにいました。
8日の昼前にHanauのホテルからフランクフルト市内のホテルに移動しました。
ホテルはフランクフルト中央駅の隣にありました。
このホテルで、日本から8日の夕方に到着する2名の委員会メンバーと合流することになっています。
11時頃に早めのチェックインを済ませました。
Hanauのホテルでは通信事情が悪く、とうとうネットに接続して電子メールの送信・受信ができませんでした。
フランクフルトのホテルに入り、パソコンを取り出し、ネットに接続し、過去5日分のメールのチェックを行いました。
そして、12時頃にホテルを出て、隣の鉄道駅からカールスルーエに向かいました。
フランクフルトからドイツ鉄道のICもしくはICE電車特急で1時間強の距離にあります。
夕方5時には後続の2名が到着するので、その頃までにはホテルに戻る必要がありました。
何年ぶりかのドイツ鉄道の利用です。
過去の経験を思い出し、復習を兼ねて、先ずは鉄道案内コーナへ行って、行先などから鉄道の便を紹介してもらい、それから適当な列車名を選んで(ICE8675号フランクフルト発12:50、カールスルーエ着13:59を選択)、切符の窓口で切符を購入しました。
自動販売機も多数ありますが、ドイツ語表示なので、私は自動販売機が利用できず、人のいる窓口の利用です。
列車の発車まで時間がありましたので、昼飯です。
ドイツ流の大きいサンドイッチと飲み物をスタンドで購入して、他の客に混じって立ち食いです。
図1 フランクフルトからカールスルーエへの鉄道切符 片道32ユーロ
定刻にカールスルーエに到着しました。
別報告にある10月9日の場合のような例外もあるのかも知れませんが、概してドイツ鉄道の運転時刻は正確です。
ドイツ語の車内アナウンスは聞き取れなくても、自分の目的地の到着予定時刻から、腕時計をみて、降りる駅を判断することができます。こうしたことがあるので、私は一人でドイツ鉄道を利用して移動できるのです。
カールスルーエ駅の中や、駅前には観光案内所らしきものは見当たりませんでした。
駅からカールスルーエ大学へは2km程度ありそうな距離なので、タクシーを利用することにしました。
運転手に持参した「カールスルーエ大学にあるヘルツの記念碑」の写真を見せて、ここに連れて行ってくれと頼みました。
事前の調査でカールスルーエ大学の位置は確認できたのですが、ヘルツの記念碑の位置に関してはWEBで検索しても大学の構内のどこにこの記念碑があるか、情報がまったく得られなかったので、広い大学構内を探し回るのは避けたいと思ったからです。
親切な運転手なのか、カールスルーエでは有名なのか、大学のある門の前まで行き、運転手は「その門を入れば記念碑がある」と教えてくれました。
道路沿いにあるその門を入ると、広場になっており、大学の業績に貢献したと思われる大学の関係者ら多数の人物の銅像がありました。
ヘルツの銅像はその広場の一角にありました。図2−3にそれらを示します。
ということで、結果的には簡単にヘルツの記念碑にたどり着くことができました。
図2 広場にあった大学の構内案内図
図3 右側の建屋から飛び出した形のヘルツ講堂と記念碑
大学の10・11号棟がHertz-Horsaal(ヘルツ講堂)になっています。
このヘルツ講堂の前に、1925年に作られたヘルツの記念碑があります。
記念碑の前で記念写真を撮りました(図4)。
土曜日の午後3時です、学生や教職員も何名かはこの広場を通っていきましたが、静かでした。
このヘルツ講堂は土曜日のためか、閉められてしました(図5)。
建物の内部を窓から覗くとパソコンなどもあり、現用だれていることがわかります。
事前に訪問する旨を大学に連絡できれば、訪問日程が確定していれば、ヘルツ講堂の内部を見ることもできたかも知れません。
それはいつか来ることができるときの楽しみにとっておきましょう。
図4 ヘルツ記念碑の前の私
図5 ヘルツ講堂の入口 土曜日で締切り
この記念碑は1925年10月30日に建立されたものと、側面の銘にありました(図6)。
ドイツの物理学や無線工学関係の学会・業界・組織の手によって建立されたもので、側面には合計6つの組織の名称が記載されていました。
図6 記念碑の側面の銘
資料(岡本正志)によれば、街の西部にある大学分校前の道路にもHertz通りと名づけられているそうです。
今回は確認ができませんでした。
またヘルツの電波実験に使用した機材はミュンヒンのドイツ博物館にあるそうです。
ミュンヒンにも行きたいものです。
カールスルーエでヘルツは電波の実在を証明する実験を行った。
そしてヘルツはこの業績によってボン大学の物理学教授として栄転し、わずか4年間でカールスルーエを去った。
ヘルツの歴史的実験がカールスルーエで行われたことは事実であり、現在、カールスルーエ工科大学では、Hertzの業績を讃えて彼が実験を行った建物などを保存するだけではなく、「Heinrich Hertz客員教授という地位」をも用意している。1997年から98年にかけては、フランクフルト大学名誉教授の Dr. Heintz Riesenhuber がこの地位にあった。
客員教授用の宿舎にもHertzの名が付けられているとのことであるが、今回は確認できなかった。
カールスルーエ大学から駅までは、ゆっくり町並みを楽しみながら歩き、カールスルーエPM4:00発のICE電車特急でフランクフルトに戻り、5時半頃以降は後続の2名の到着をホテルで待ちました。
カールスルーエでの滞在時間はわずか2時間でしたが、ヘルツ探訪ができたことは嬉しかった。
最後にヘルツの記念碑のヘルツの像の大写し(図7)とヘルツの郵便切手(図8‐9)を紹介して、ヘルツ探訪記を終えます。
記念碑のヘルツはかなりいかめしい大学教授というイメージであるが、郵便切手に描かれたヘルツはかなり優しい趣がある。
図7 ヘルツの記念碑 大写し
図8 チェコ発行ヘルツの切手
図9 東ドイツ発行 ヘルツの切手
ヘルツを描く切手はこの2枚だけではなく、多数発行されています。
50Hz・60Hzといった周波数の単位Hz(ヘルツ)はこのH・ヘルツにちなんでいます。