私は2007年10月、女房・娘を連れて初の海外への家族旅行を行いました。
家族旅行を行うとなった時、団体のツアーに加わるのは好ましくない、私は車を運転しないので、訪問先への移動手段はどうするか・・・・などを考えて、ある程度知っていて鉄道を利用できるドイツを中心に、企画を練ることにしました。
ドイツであれば、鉄道を利用して、各地を訪問できるからです。 往復とも直行便で入れる町としてミュンヒンを基地と選択しました。 そこのホテルに荷物を置いて、手軽になって、訪問したい各地を見て廻ることにしました。
往復のフライトも、ホテルも、ほとんどの鉄道による移動も・・・・は、日本に居て、インタネットで調査ができ、予約や手配が可能でした。娘の希望もあって、訪問先は音楽関係が多くなりました。
10月16日(火曜)に、成田からルフトハンザ航空のフライトでミュンヘンまで直行しました。
直行の方が疲れもなく、楽です。 時差の関係で同じ日の夕刻にはミュンヘンのホテルに入りました。私にとっては何年かぶりのミュンヘンでした。
10月17日は、さっそくミュンヘンからオーストリアのザルツブルグへ鉄道で移動です。 ザルツブルグはモーツアルト(Wolfgang Amadeus
Mozart, 1756-1791)の町です。 ザルツブルグの旧市街はユネスコの世界遺産になっています。 古い町並みが残っています。狭い石畳の道路の両脇に、みやげ物屋などが並んでいます。
さて、ザルツブルグに生まれた有名人はモールアルトだけではありません。
物理学者、数学者、天文学者のドップラー(Johann
Christian Doppler, 1803年-1853年)もそうです。
観測者と震動源との相対運動によって振動数が変化することを詳しく調べ、1842年にそれを数学的な関係式をつくった、いわゆる「ドップラー効果」として有名です。 エンジニアの世界では、今でも有効な原理として多用されています。
ドップラーの生家は、ザルツブルクの新市街、マカルト広場に面していました。
このマカルト広場にはモーツァルトが1774年、旧市街の生地から移転した住居があり、記念館です。
写真1にドップラーの生家を示します。 単に「ドップラーの生まれた家」という趣旨のプレートが掲げられているだけです。 石造りのヨーロッパの家では、よほどのことがない限り壊れないので、代々色々な人が住み、このドップラーの家も現在でもどなたかが住んでおられるようです。
写真1:
10月18日はミュンヘンからパッサウへ鉄道で移動しました。
パッサウにあるセント・ステファン教会には、教会に設置したものとしては世界最大といわれるパイプオルガンがあり、毎日30分ほどパイプオルガン演奏が行われています。 正面にはキリストの像や神父の演台があり、正面を向いて座ります。 パイプオルガンは後方にあり、後ろからパイプオルガンの音が聞こえてくるという、普通のコンサートとは異なる雰囲気のコンサートでした。
10月19日はミュンヘンからフュッセンへ鉄道で移動です。 そこから有名なノイシュバンシュタイン城へ行きました。 この城は有名すぎるので、説明は割愛します。
10月20日はミュンヘン市内散策としました。 お土産の買い物と、ミュンヒンに来たらドイツ博物館に限ると、思っているので、3時間ほど見物に当てました。 写真2は博物館の正面玄関での筆者です。
写真2
最初に見つけたのは、写真3(装置の前に立つ筆者)です。
フロアにこの大きな宇宙背景放射電波の観測機械だけが目立ちました。
この機械の詳細は、説明が全てドイツ語の為に、不詳で終わりました。
帰国後、忘れた頃に調べてみました。
この説明のプレートの英語の部分を写4に示します。 このプレートだけは独文に英文が付記されていました。
そうなのです、宇宙背景を発見した研究者の一人がミュンヒン生まれのアーノ・ペンジアスなのです。
多分、そういうことから、観測装置がこの博物館にあるのでしょう。
写真5は観測装置のアンテナの部分の拡大写真です。
写真3 :
写真4:
写真5:
アーノ・ペンジアス(Arno
Allan Penzias, 1933年4月26日)はアメリカ合衆国の物理学者で、宇宙マイクロ波背景放射の発見によって1978年のノーベル物理学賞を受賞しました、
このペンジアスはドイツのミュンヘンに生まれました。
6歳の時に、ナチスによる迫害から逃れるために、イギリスに逃れ、そして1940年にアメリカニューヨーク市のガーメント地区に移住しました。
1946年にペンジアスはアメリカに帰化しています。
ペンジアスはニュージャージー州ホルムデルのベル研究所に就職しました。
この研究所でロバート・ウィルソンとともに、電波天文学の観測のための超高感度低温マイクロ波アンテナの研究を行ない、1964年に宇宙背景放射を発見したのです。
次はガイガーです。
ガイガー=ミュラー計数管は、ガイガー=ミュラー管(Geiger-Müller tube)を応用した放射線量計測器です。
ガイガー・ミュラー管は、1928年にドイツのハンス・ガイガーとヴァルター・ミュラーによって開発されました。
写真6はガイガーの肖像、図7は発明したガイガー・ミュラー管です。
写真6:
写真7::
マリー・キュリーが用いた放射能検出装置もありました。 写真8に示します。
写真8:
ラウエも見つけました。
マックス・テオドール・フェリックス・フォン・ラウエ(Max Theodor Felix von Laue、1879年10月9日 - 1960年4月24日) は、ドイツの物理学者です。
結晶によるX線の回析現象を発見し、X線が電磁波であることを示しました。
そして、その業績により1914年のノーベル物理学賞を受賞しています。
写真9にラウエの肖像を示します。
写真10はラウエの実験装置と思われますが、英文の説明がなく、詳細は? です。
写真9:
写真10:
宇宙関係では、特記すべきものがありました。
それはV2ロケットが展示されていることです。
垂直に立てて展示されているので、5階建ての博物館を最上階まで吹き抜けにしてもまだ納まらなかったのでしょう。 天井部は窓を開けたのでしょか、空が見える状況にして、展示してあります。
とてもこのV2ロケットの全体像をデジカメで撮影することはできません。
写真11は下から見上げで撮った写真です。 上部が筒抜けになっていることが判ります。
周囲の階段を登り、上部を撮ったのが写真12、そこから下部を撮った写真が写真13です。
そして写真14にボトムの部分で筆者が登場します。
写真11:
写真12:
写真13:
写真14:
この博物館には電気通信・電気技術に関する貴重な展示物も保管されていることになっています。
でも、展示物の入れ替えのためでしょうか、電子・電気関係のものはほとんどありませんでした。
ちょっと残念です。
ミュンヒンはオクトーバフェストというビール祭りで有名です。
今回はあえて混雑するであろう、ホテル代も高くなるであろうとして、ビール祭りの時期をさけました、またミュンヒンに来ることがあるでしょう。そのときの楽しみにしました。
10月21日の午後、ルフトハンザ航空で帰国の途につきました。
わずか12時間のフライとですが、時差の関係で10月22日と、翌日の午前中に成田に着きました。
1週間の旅でした。