*石清水八幡宮にエジソン記念碑訪問の記

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2003
1119日と20日、委員会が大阪地区で開催された。委員会としての活動が終了後の帰路の時間を利用して、20日の午後、京都府八幡市にある石清水八幡宮を訪問した。石清水八幡宮は極めて由緒のある神宮であるが、この神宮が筆者の目的ではない。この石清水八幡宮はエジソンの白熱電球のフィラメントとして利用された竹の産地であり、エジソンの記念碑があるからである。

大阪の淀屋橋から京阪電車で特急と各駅停車を乗り継ぎ、八幡駅で下車した。
八幡駅前のロータリーでエジソンの像を発見した。図1に示す。
この像の説明プレートには「それは1880年のこと、エジソンと八幡男山の竹 このふたつの優れた素質が結びついて電球の輝きが人類のものとなった 八幡市民はふるさとが世界に希望の光をもたらす起源になったことを喜び 誇りをかけて平和な都市づくりをめざしている」とある。

またこの像のある通りの店の看板を見上げると、図2にあるように「のみもの 横川商店 エジソン通り」とある。八幡市の地図を確認してはいないが、このエジソン通りは正式な街路の名称なのか、愛称なのかは定かではない。

追記:
八幡市に問い合わせたところ、この駅前の商店街の「エジソン通り」に関しては
「エジソン通り」は正式名称ではなく昭和58年の八幡市駅前整備時に設置された竹と電球のモニュメントと同時期に駅前の商店で、名付けられた名称のようです。現在、呼称として一般的に使用されているものではありません。」という回答がありました。

 

 図1 駅前にあるエジソンの像 

 

  図2 エジソン通りにある横川商店

京阪電車の八幡駅の右手に男山ケーブルカーの乗り場がある。3分程度の乗車で山頂まで行ける。ケーブルカーに乗るが、客は筆者一人。
平日の午後、雨はふってはいないが、傘を持って歩く必要のある天気で、観光客はほとんどいない。山頂駅から参道を歩くが、だれもいない。目的とするエジソンの記念碑はすぐに見つかった。レストハウスなどがある広場の一角に堂々とした記念碑があった。

記念碑の写真を図3に示す。記念碑は中央にエジソンのリレーフを、向かって右側には「The memory of Thomas Alva Edison 1947-1931」と、左側には「Genius is one percent inspiration and ninety nine percent perspiration 英知は1%の着想と99%の汗(努力)」と表示されている。

記念碑の説明プレートによれば、「西暦1879年にトーマス・アルバ・エジソンが灯火の革命ともいえる炭素白熱電球を発明し、この石清水八幡宮境内に生えている竹が電球の命ともいえるフィラメントの材料として最も適していることを知り、電球発明の翌年から十数年もの永い間この竹を使ってたくさんの炭素電球を造り、世界の人々に電灯のありがたさを知らされました。つまり、この八幡の竹が炭素白熱電球の実用化に大きな役目をつとめたのです。
そこで1929年に電灯発明50年を記念して世界各国で電灯黄金祭が催された時、日本もこれに加わり記念事業の一つとして電球発明と切っても切れない関係にあるこの土地に記念碑を建て、エジソンの功績を永久に伝え称えることになったのです。
最初に建てられたのはこの境内北側に続く場所でしたがエジソン顕彰会の手で昭和33年にここに移され更に昭和5910月に現在の姿に再建されました。」とある。
 

 

 図3 エジソン記念碑 正面

ここで注目すべきは、八幡の竹は単にエジソンの白熱電球発明時に用いられたのではなく、その後もたくさんの竹がアメリカのエジソン工場に輸出され、白熱電球の量産に利用されたということです。
それではどの程度の竹が、八幡からもしくは京都府から輸出されたのであろうか?どこかに資料が残っていれば調べたいものである。どこの会社が輸出業務を行ったのであろうか?興味は尽きない。


エジソン記念碑の後ろは竹林である。図4は竹林からエジソンの記念碑の後ろを覗いた写真である。天気が悪くきれいにデジカメの写真が撮れないのが残念である。

   

  図4 竹林からエジソン記念碑の後ろを覗く

ほとんど人が居ないのを幸いとして、この竹林の竹から、一部、もぎ取ってきた。竹はマダケという太い竹なので、太い部分は無理なので、竹の枝の部分をもらってきた。図5はその竹の枝と笹である。エジソンの電球に使用された竹の子孫ということになる。

 

  図5 エジソンの竹の子孫 

その後、石清水八幡宮の本殿に参拝。芳名帳があったので、堂々と「電気の技術者、電気の技術史を探求、エジソン記念碑を見るために八幡宮を参拝」と記名して来た。社務所で絵葉書を購入した。エジソン記念碑を含む八幡宮の絵葉書7枚セットであるが、600円と高めであった。

戻りの男山ケーブルカーでは乗客は筆者以外に一人いた。このケーブルカーの内装を図6に示す。 ケーブルカーのスタンションポール(通常は垂直にポールが造られているが)の形状は、エジソンの白熱電球にちなんで電球の形になっている。

  

  図6 男山ケーブルカーの内部

最後に筆者のコレクションから、このエジソン記念碑を描く昭和9年(1934年)の小型印を含むエジソンの白熱電球に関するリーフを紹介する。(このリーフは他のページでも紹介してある。)


                 注;アルバムリーフの最下談のメータスタンプの説明は、電球発明75周年記念が正しい。

               切手の展覧会に出したリーフですが、今までこの誤りに気がつきませんでした。