*エド・テラーと水爆 

 

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ちょっと恐ろしいテーマです。
1は、2002年頃に入手したマテリアルで、三浦のJAPEX02出品「アトム」のコレクションに入れているものです。
1957
年のイスラエルのカバーで、イスラエルの文字が読めないのですが、ワイツマン研究所を記念する特印を押印し、水爆の父と呼ばれたエド・テラーのサインが入っています。

このサイン入りカバーを入手した段階では、テラーに関する切手などは発行されていませんでした。
2008
年にハンガリーからテラー生誕100年切手が刊行されたので、これを契機にテラーに関してまとめて見ます。

 図1 テラーのサイン入りカバー

 

エドワード・テラー(Edward Teller、もとのハンガリー名ではテッレル・エデ(Teller Ede)、1908115 - 200399日)は、ハンガリー生まれでアメリカに亡命したユダヤ人核物理学者である。
アメリカの「水爆の父」として知られる。

1908
年、オーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで生まれた。
1926
年にハンガリーを去りドイツへ移住する。
ドイツで高等教育を受け、1930年にライプツィヒ大学のヴェルナー・ハイゼンベルクの元で物理学の博士号を取得、その後、ゲッティンゲン大学で2年を過ごす。

しかし1933年にドイツの政権を握ったアドルフ・ヒトラーはユダヤ人敵視政策を取る。
テラーは1934年、ユダヤ人救出委員会の助けでドイツを離れた。
一時期イングランドに滞在した後、ニールス・ボーアのいたコペンハーゲンで1年を過ごし、1935年アメリカ合衆国に移住した。

1941
年まで、ジョージ・ワシントン大学で教鞭を執り、そこでジョージ・ガモフに出会った。
1942
年ブリッグス委員会で働きながら、テラーはマンハッタン計画に参加する。
第二次世界大戦中、テラーはロスアラモス国立研究所の理論物理学部門に所属し、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた超強力爆弾(水素爆弾)へと核兵器を発展させるべきだと強く主張した。

1945
年、ニューメキシコでの世界初の原爆実験(トリニティ実験)立ち会い、「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」と感想を述べた。
1946
年にテラーはロスアラモスを離れ、シカゴ大学の教授になる。

1949
年のソビエト連邦の核爆発成功の後、1950年テラーはロスアラモスに戻り、水爆計画に携わる。
テラーは水爆を「マイ・ベイビー」と呼んでいた。
テラーとスタニスワフ・ウラムが実際に作動する水爆の設計を思い付いたとき、テラーは計画の長に選ばれなかった。

テラーは再度ロスアラモスを去り、1952年、新たに設立されたカリフォルニア大学放射線研究所のローレンス・リバモア支部に加わる事になる。
1952(
昭和27)年、ソ連より早く水爆実験に成功し、「水爆の父」と呼ばれることになった。

1958
年から1960年にかけて、テラーはローレンス・リバモア国立研究所の所長になり、その後カリフォルニア大学バークレー校で教える傍ら同研究所の副所長をつとめた。
1975
年、テラーは引退してリバモア研究所の名誉所長に指名され、またフーバー研究所のシニア研究員にも任命される。

引退後もテラーは絶えず核計画推進の主張者であり続け、実験と開発の継続を訴えた。
戦略防衛構想が撤回されたときにも、テラーはその最も強力な擁護者の1人だった。
1982
年、レーガン大統領よりアメリカ科学界最高峰の栄誉とされるアメリカ国家科学賞が贈られた。

2003
9月、カリフォルニア州スタンフォードで亡くなった。
95
歳だった。水爆を開発したことに関しては、生涯肯定的な言動を行い、悔いることはなかった。

以下はハンガリー文化センタのサイトにあった「先週のハンガリー 2008.01.1724」の記事の一つで、テラーに関する部分を、その一部を転記します。

水爆の父の記念レリーフ除幕:エドワード・テラー生誕100周年

ハンガリー生まれの核物理学者エドワード・テラー生誕100周年を記念して、ハンガリー学術アカデミー、パクシュ原発などが記念レリーフを設置した。
レリーフがつけられたのは、ブダペスト5区のサラィ通りとホンヴェード通りの角にある建物で、テラーが5歳から1926年に18歳で亡命するまで暮らした。
第二次世界大戦中は原子爆弾を開発したマンハッタン計画に参加し、1952年に最初の実験が行われた水素爆弾の開発を主導した。

ハンガリーには1990年に初めて里帰りした後、各種の勲章を受章した。
2003
年にカリフォルニアで死去。


ハンガリーとしては誇れる学者の1人でしょう。
32008年にハンガリー発行、テラー生誕100年記念切手のFDCです。
カシェは、定かではありませんが、ブタベストに設けられた記念レリーフと思われます。

 

 図3 FDC

 

4と図5は、ハンガリーの切手商(オークション屋?)が作成したテラーの写真というかカードです。
4には、ハンガリーが発行したテラー生誕100年記念コインの図も描かれています。
三浦はこのコインは入手していません。紙幣であればリーフに貼ることができるので、可能であれば入手しますが、コインはよほどのことがない限り、収集の対象から外しています。

4

 

 図5