更新:2012−11−20
図1 風景印
写真1 1978年撮影の写真
1978年の霞が関郵便局の風景印には霞が関郵便局前の交差点から覗いた風景の中に、右側にぽつんと千代田送信所テレビ塔が描かれている。
千代田送信所のテレビ塔を描く郵趣品は、この風景印(図1)だけでしょう。
手元の資料を整理したら、1978年に霞が関郵便局に風景印を押印にいった時に、霞が関郵便局の前から、風景印と同じ角度で撮影した写真が出てきました。 写真1に示します。
千代田送信所のテレビ塔を大きく写した写真が欲しいものです。
と、思っていたら、
1978年頃に入手した千代田送信所の資料(何かの資料のゼロックスによるコピー)が古い資料の中から出てきました。
それを以下の写真2に示します。
写真2
2012年4月2日 撮影 霞が関郵便局前の交差点からの写真 千代田送信所のテレビ塔はなくなっている。
2012年4月の霞が関郵便局の風景印 図案は改正され、千代田送信所のテレビ塔はなくなっている。
千代田送信所:
現在NHK千代田放送会館のある場所は、この千代田放送会館が出来る前には高さ178mのテレビ塔・電波塔が立っており、千代田放送所と呼称されていた(1982年送信所廃止。ただし、タワーそのものは会館建設まで残っていた)。
千代田放送所は1953年2月に日本最初のテレビ局として開局したNHK東京総合テレビジョン(当時3ch)のテレビ塔・電波送信施設であり、日本最初のテレビ送信施設でもある。
1959年4月、総合テレビのサービスエリアを関東一円に拡大するために、前年に完成したばかりの東京タワーから電波を送出することとなった。
NHKでは同年1月に、東京タワーからNHK教育テレビジョンを1chで送信開始したばかりであったが、この措置でチャンネルが入れ替えられ、総合テレビが1ch、教育テレビが3chという、その後地上アナログ放送終了まで続く形となった。
1960年に、教育テレビの送信も東京タワーからとなってからは紀尾井町分室という名で予備送信施設とされた。
しかし、隣接するグランドプリンスホテル赤坂(旧・赤坂プリンスホテル)の新館完成で電波送信が困難となったことから、1982年に廃止された。
予備送信所の機能は赤坂プリンスホテル新館に移され、2006年現在も同建物の屋上にアンテナが設置されているところを確認することができた。
通常時では基本的に月2回、日曜深夜の東京タワー送信所の機器点検・整備で減力放送が行われる際に運用されていた。
なお2011年3月に同ホテルが営業を終了し、2012年5月より解体工事が始まる予定となっていることに加え、同月に東京スカイツリーがオープンすることに伴い2013年より東京タワーが予備送信所としての機能を引き継ぐことから、同ホテルの予備送信所としての運用も終了する。
会館前にある「NHK千代田放送所跡地 ここは1953年からテレビジョンの草創期をきざんだ記念の地です。1992年12月」と記されたプレートが往時をしのばせる。
本来であれば、テレビ放送発祥の地 と言い切ってもよいはずである。
千代田放送会館の前の歩道に面した場所に、ひっそりと建っている。 2012年4月撮影
千代田放送会館:
NHKの放送設備を備えた会館施設。報道番組の取材、制作で渋谷のNHK放送センターの補完的な役割を果たしている。
現在の千代田放送会館 2012年4月撮影