秋田とエレキテル、一見関係ないようですが、関連性を見つけましたので報告します。
私は秋田の出身で、2005年3月25日に行われた母校の卒業式に出席するために、久しぶりに帰省しました。
卒業式が終了後、祝賀会でのビールが入ったまま、帰路の秋田新幹線に乗る前に、ふらりと平野政吉美術館に入りました(図1に入館券を示す)。
図1 入館券
この美術館は私が学生の頃に開館し、開館記念の小型印も使用されたことから一度だけ入館したことがあります。小型印が使用されなかったら、たぶん関心も持たなかったでしょう(古い資料が出てきましたので紹介します)。この平野政吉美術館は藤田継冶の絵のコレクションがメインです。
入館して、受付の脇に絵葉書が売っていました。見たことのある絵の絵葉書が有りました。図2に示すエレキテルの平賀源内が書いた絵です。この絵は切手にもなっています(図3)。とりあえずこの絵葉書も購入しました。
図2 平賀源内の絵の絵葉書
図3 切手となった平賀源内の絵
館内を見て歩くと、図2が飾ってあるのです。それも何も説明無しに。あれ、何?複写品かな?と思ったほどです。隣には藤田筆の「我が画室」というアトリエを描く絵が有りました(絵葉書を図4に示す)。絵を見ると暖炉の上部、左側に飾ってある絵がなんとなく図2の絵に似ているのです。
図4 藤田継冶のアトリアを描く絵 暖炉の上 左側に図3の絵が描かれている。
受付の人に確認をしてみました。図2の絵は「平賀源内が描いたと伝えられている」絵だそうです。「平賀源内・筆」とは断定できず、「伝・平賀源内・筆」となるそうです。そしてこの絵は藤田継冶が所有し、自分のアトリエに飾ってあったそうです。したがって、図4に描かれているのは平賀源内の絵ということになります。藤田継冶と深い交流のあった平野政吉は藤田の遺品などを引き継いだので、平賀源内の絵もここにある、ということです。
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この美術館開館当時の資料が出てきました。 よく捨てないであったと、自分でも思います。
作成:2005−7−20
開館記念の絵葉書に秋田郵便局使用 昭和42年(1967年)5月5日の記念小型印を押印
これは絵葉書の表の部分 秋田郵趣会の発行 かなりよれよれですが、絵葉書のはいっていたタトウ
裏には7円切手を貼って、おなじく小型印を押印して有りますが、私が100円払って入館した入場券